イトリ
イトリ
どうせ全部がくだらない。運命なんて、一生なんて。
イトリが「運命の人」と出会ったのは雨の日。
低気圧に辟易しながら体を起こした朝、今日が革命的な日になるなんて思いもよらなかった。
どれだけ着飾って外へ出て、傘を差しても、フリルのスカートの裾は濡れてしまう。
「どこか行くの」
コーヒーを片手に新聞を読んでいたシュンが尋ねる。
「今日は俺が休みだから、家にいてよ」
「約束があるの。言ってなかったよね、私が昨日先に寝ちゃったから」
ごめんね。イトリはシュンと目を合わさずに言って、玄関へ向かう。
灰色の雲の下、今日はどこへ行こうかしらと割れそうに痛む頭で考えていた。どこへ行くべきなのかしら。
この街には自然がない。海へは車を使わなければいけないし、山もずっと遠くにある。湖に行くには快速電車に数時間乗っていなければならない。イトリは自動車免許を持っていなかった。シュンが持っていたから、それでいいと思った。電車に乗るのも苦手だった。お金もシュンが持っているから、分けてくれるから、自分でどこかへ行くための資金の必要を感じなかった。
シュンがすべてを持っているから、私は何もなくてもいい。
6つ年上の会社員だったシュンと学生のうちに結婚したイトリは、徐々にそう思うようになった。就職に失敗して、行く当ても決まらないまま大学を追い出される形で卒業した。そのとき、シュンはイトリに、なにもしなくていいと言った。俺のそばにいるだけでいい、と。瞬間的にすべてを諦めてしまった。
私は一生この人にすがって、情けなく生きていく。それが私の一生だ。
イトリは確信した。安堵感と、諦めと、バリバリに割れたガラスの破片が散らばったようなあっけなさを織り交ぜた心がそれから生まれた。ずっと渦巻いている気持ち。悟られないように息をするのに必死だから、シュンと同じ空間にいることが苦痛になっていった。
傘が雨粒をはじく音。湿ったアスファルトの香り。久々に感じる雨の空気。頭痛がなかったらどれだけ風情を楽しめただろう。イトリは残念に思う。頭がいたい。頭がいたい。
カラカラ、とベルの音が聞こえた。
雨の匂いにまじって、古い紙のにおいがする。少しかびっぽい。
イトリが顔をあげるとそこは商店街のようでいくつも店がならんでいた。軒先に古本を置いている店がある。匂いのもとはここだったんだ。
古本売買とカフェが併設された今風の店だった。
おそるおそる入ってみる。
指先のうみを舐めた うみまちときを @f-yo-sei
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