★30★ 聖職者からの懺悔。

 唇に咥えた煙草の先端の灰が、僅かに走った動揺に震えて落ちる。服の上に落ちたそれを払い退け、深くかけていたソファーに浅く座り直す。


「……穏やかじゃないな。いったい何の話だ?」


「その反応だとまだ知らないようだね。君の仕事にも関係がありそうだと思って教えに来て良かったよ」


 こちらの問いかけに彼は意趣返しが成功したとばかりに目を細める。そのことが少々面白くないものの視線で話の先を促せば、クリストフ神父は常なら穏やかなその表情を引き締めて口を開いた。


「あくまでまだ商人達の噂の段階なのだけれどね、どうも魔女狩りのようなものが行われるかもしれないらしい。マリオンが行こうとしていた修道院の付近にも、怪しい連中が現れていたそうだよ。あのまま別れていたら、取り返しのつかないことに巻き込まれていたかもしれない」


 “魔女狩り”という単語は、ダンピエール家の当主達の一部が書き残した日記の中で、何度か目にしたことのある単語だったが、どれもかなり古くすぐにはピンとこない。記憶の中でも百年近く前のものになる。


 日記とはいっても、淡々と連日魔女として捕らえられた女性達の年齢と名を書き連ね、ただ“火計に処した”という記載だけで、何の目的のために残されたものなのか分からないものだった。


「この時世に魔女狩りとはまた随分と古風だな。百年前ならいざ知らず、何故今頃そんな噂が出てくるんだ」


「うーん、そうだね……むしろ今のような時世だからじゃないかな。最近のように政情が不安定だと、この手の話は珍しくもない。為政者は自分達に民衆から不満の目が向かないよう、そうした情報を作るのも仕事のうちだ」


 そう言って微笑むクリストフ神父の表情に、ほんの一瞬だけどこか微かに嘲るような色が混じった。貴族的な傲慢さ。そんなものとは無縁に思える彼にその色を見た気がして、意外さに目を見張る。


 するとそんな私の視線に気付いたのか、クリストフ神父はこちらに苦笑を向け、居心地悪そうにソファーの上で身動いだ。それから小さく「かつての自分の生き方を思い出すからね」と、懺悔のように吐き出した。


 ――ふと初めて会ったときに、あんな寂れた教会にいる神父にしては、品の良い男だと思ったことを思い出す。けれどだからどうということもない。私が知っている目の前の男は、初めて会ったときから変わらない。


にわたしが元々他国の貴族家の出身だと言ったら、君は信じるかい?」


「……唐突だなとは思うが、貴男が私にそんな下らない嘘をつく利点がまったくない。そうなれば信じない理由もないだろう」


「それが政権争いに巻き込まれて落ち延びた先で、追っ手から隠れるために適当な廃教会に逃げ込んで神父の真似事をしていたら、いつの間にかそれが誠になっていたという荒唐無稽な話でも?」


 自嘲気味に嗤う表情にはかつてそうであったのだろう狡猾さが浮かび、その一瞬だけの変化の前に見えた彼の元の死顔はなかなか歪に醜悪で。けれどそれはすぐに現在の穏やかな死顔に塗り込められてしまう。


「ああ。私の知る貴男は最初からずっと“ただの善良な神父”だ。それ以上でも以下でもない。その仮の話・・・はシスター·マリオンにはしたのか?」


「はは、そうか……ありがとう。それと当然彼女にもこのことはすでに話したけれど、彼女も君のように簡単に赦してくれた。まったく君たちときたら良い子達すぎて困るよ」


 愉快そうに目尻に笑い皺を刻んで微笑みながら、ウイスキーのグラスに手を伸ばすクリストフ神父に、思わず「赦すも赦さないもない。現在の貴男への正当な評価だ」と答えると、彼はさらに笑い皺を深くした。


「ひとまず結論から聞こう。私の仕事に関係があるのは分かるとしても、自身の過去を引き合いに出してまで何を忠告しようとしている?」


 問題はそこだった。時代錯誤な魔女狩りが本当にまた再び起こるとして、それが処刑人の職務に含まれるならその仕事を全うするだけだ。苛立ちはしないものの、内容の読めない会話というのはしていて居心地のいいものではない。


 するとクリストフ神父は何がおかしいのか喉の奥で小さく笑い、手にしていたグラスのウイスキーを一口飲んだ。


「“死神”の君になら、こんな自分の失敗談を引き合いに出してまで忠告したりはしなかったよ。けれど、君はルネさんを得て“人間”になってしまった。わたしがマリオンに出逢ってから二十年かけて緩やかに変わったのとは違い、君はたった二年ほどで急激に変わった。心根が素直な証拠だ」


 薄い水色の双眸が心の内を探るようにじっとこちらを見据える。その視線を真正面から受けると、彼はふっと眩しいものを見たように目を眇めた。彼の言を借りるなら、そこに含まれる柔らかなものを与えたのはシスター·マリオンなのだろう。


 ルネを得たからといって今の私の瞳にあの色があるとは思えないが、仕事に向き合うときの心持ちが以前までと異なることは分かっていた。裁きの大斧にそんなものを乗せてはならないことも。


 少なくとも処刑人の一族に生まれた以上人殺しの道具は、人殺しであるべきだ。そうでなければこれまでの我々・・の存在意義が根底から揺らいでしまう。


 帰ってからまだ指輪をつけ直していない左手で右手の証をなぞると、それを見ていたクリストフ神父が苦笑した。


「与えられた役割をこちらがどれだけ全うしようとしても、周囲の人間には伝わらないし通じない。そして君は君が自分で思うよりもずっと優しいから、わたしは時々心配になってしまうんだ」


 そう言って穏やかに微笑む聖職者の首に、トネリコの枝葉を模した退魔の銀が、死神を前にゆらりと揺れる。

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