第一話 アビスチルドレン
静寂に満ちた地下空洞。海とはまた異なる青々しい色味の湖の畔で、今まさに命を賭けた戦いが始まろうとしている。
「うおおお!」
それは、まだ年端もいかない子供の叫びだった。
得物である二対の短刀を逆手に、自身の倍以上はあろうかという体躯のモンスターへと突撃していく。
青い体毛の馬型モンスターは、それを避けるように大きく跳躍して相手の頭上を飛び越えた。
しかしモンスターが地面に着地しようかというそのとき、待ち構えていた別の子供が矢を放つ。
矢は狂うことなく対象を捉え、モンスターの後足腿に突き刺さった。
「ヒィィィン!」
モンスターを前足をばたつかせ悲鳴を上げるが絶命には至らない。 それどころか興奮して見境なく暴れだしてしまう。
「スクエア隊! 援護を頼む!」
「了解! スクエア2、3は散開して注意を引け! スクエア4は隙を見て麻酔弾を撃つんだ!」
「了解!」
指示を下す子供。それに従い動く子供。 彼らは皆、大人よりも小さな体でモンスターに立ち向かっていく。
その姿はまるで軍兵のようで、そこはまるで戦場のよう。
否、それも間違いではないのだろう。ここはダンジョン。根のように地下に伸びる謎の空間。
無限に広がる闇、無数のモンスター、無知な者は瞬く間に肥やしとなる運命であり、命など幾つあっても足りない危険極まるこの場所は、まさしく戦場だったのだ。
「麻酔弾命中!」
「いいぞ! クロス隊! 後は任せた!」
麻酔が効いたことによりモンスターの動きが抑えられる。とどめを刺すならばここしかないだろう。
そう考えた指示役の一人は、二人の子供に接近した後急所を武器で攻撃するよう言った。
「クロス2、3。慎重にいけよ!」
「わかっている!」
麻酔を撃たれたからといってモンスターの動きが完全に止まることはない。だから、決して油断することなく子供達は対象に近づいていく。
相手の呼吸、筋肉の機敏、全てを把握した上で最適なタイミングで仕掛けようとする。
しかしここはダンジョン。ハプニングなどは日常茶飯事で、それはいつだって最悪の場面で訪れる。
「前方からモンスター接近! キラーバッツだ! 群れで来るぞ!」
子供が一人、指を指して見たままの情報を知らせた。 続いて他の子供達も確認しようとするが、そのときにはもうコウモリ型のモンスター達は目前にまで近づいていた。
「くそっ! こいつら弱ったブルーホースを狙って……」
「モンスター共に邪魔されてたまるか! スクエア隊作戦陣形をBタイプに変更! 迎撃するぞ!」
「了解!」
指示役もサーベルを抜刀したように、事態は一転切迫したものとなっている。それもそのはず、今まさに相対したキラーバッツというモンスターは、とても獰猛で人肉を容易く噛みちぎる驚異的な顎の力と飛行能力を有している。 体長はセンチメートル程で的は小さく、加えて今いるその数はおよそ20、子供達の倍の数だった。
「クロス2! ファイアーブレス用意!」
「いつでもいける!」
「よし! 撃てえ!」
突如、指示を受けた一人の口から火が洩れた。
真っ直ぐ向かってくるモンスター群。正面にて待ち構えるその子供は次の瞬間に業炎を薙ぎ払った。その炎の餌食となったモンスター達は火だるまとなって撃ち落とされていく。 しかしまだ半分も減っていない。
「いいか! 殲滅の必要はない! あくまでキラーバッツは撃退だ! 決して深追いはするな!スクエア隊突撃ッ!」
号令と同時に子供達は走り出した。滞空するコウモリを叩こうと、剣や斧それぞれの得物を振り回すが、戦い慣れしていないのかしばらく空振りする様子が続いた。
しかし問題はない。指示役が言ったように殲滅は目的ではなく、撃退、あるいは本命である馬型モンスターを倒すまでの時間が稼げればそれでいい。
「よし、なんとかスクエア隊が抑えてくれているみたいだ。 クロス隊!このチャンス無駄にするな……」
言いかけたそのとき、しばらくの間動きを見せなかった馬型モンスターが立ち上がった。
キラーバッツに気を取られている間に麻酔の効果が薄れつつあったのだ。
こうなれば追撃するという選択を取りづらい。手負いの獣が何よりも厄介であることは指示役の理解するところだった。
モンスターは威嚇した後、子供達とは逆方向に駆け出していく。
「逃がすか!」
しかしそれを追おうとする者が一人。 先程ファイアーブレスを放った少年が指示を受けるより先に飛び出していた。
「待て! クロス2! これは命令だ!止まれ!」
「ふざけるな! ここで倒さずにいつ倒すんだ! これ以上犠牲があってたまるか。あいつらの仇は、今ここで討つ!」
少年の加速は凄まじい。相手が腿に矢を受けているとはいえ、走力に秀でた馬型モンスターに追いついている。
「もらった!」
後少しのところまで迫ったとき、少年はそこで大きく跳ぼうとした。相手の背部に跨がり短刀で首を掻き切ろうという算段だ。
だが、現実は少年の考えるようにはいかなかった。
「なに!?」
突如急停止したモンスターは、振り返ることなく両後ろ足で蹴りを放つ。
焦るあまりそんな事を想定していなかった少年はそれをモロに顔面で受けてしまう。
鈍い音はコウモリ型モンスターと戦っていた子供達にまで届き、その音に恐れをなしたのかコウモリ型モンスターは何処かへ逃げ去っていく。
「ポム…… そんな……」
戦いは静かに終わりを告げ、馬型モンスターも消えた後、仲間の一人が少年のところにたどり着く。
血を吹き出し、形が変わってしまったその顔面。 名を呼んでも返事はなく、もう呼吸もしていなかった。たった今、一人の少年の命が戦いの最中失われたのだ。
この世界には日の光りをまともに拝むことが出来ない地下ダンジョンで常に危険と隣り合わせの生活を強いられる子供達がいる。
そんな彼らを誰かがこう呼んだ。
奈落に堕ちた少年少女。
アビスチルドレンと───。
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