7.応援団長

 応援団長なる人と会ったことがある。


 彼女の「アイドル」活動の中で生まれた「ファン」たち。その「ファン」たちによって自然発生的に生まれたのが「ファンクラブ」。そして、その「ファンクラブ」の中でも極めて特殊な訓練を突破した精鋭が結成した応援団なるものがいて、それを束ねるのが応援団長だ。


 彼と彼の旗下にある応援団員は、彼女が開催するコンサートにおいて最前列に陣取り、彼女を応援する。


 その際の格好は、夏服としては胸元に彼女の画像がプリントされ、背中に「I LOVE AKARI!!」とでっかく書かれたオーダーメイドのTシャツ。可能な限りよれよれになっているヴィンテージデニムに裾に入れ、ベルトは付けない。冬服としてはこれに「I LOVE(以下略)」とやはり背中に書かれた真っ赤なオーダーメイドの袢纏を羽織る。眼鏡を掛け、頬には化粧用VRPでニキビを張り付け、頭に赤いハチマキを巻く。上級団員は役職と「I(以下略)」が書かれた真っ赤な襷も掛ける。背中にはリュックサックを背負い、そこに彼女の画像をわざわざ印刷したポスターを丸めてぶっ刺す。そして、両手には赤色のライトを装備。


 彼ら曰く、それが伝統的な正装らしい。

 正しいかどうかはちょっとわからない。


 一度、彼女に聞いてみたのだが「まあうんだいたいあんな感じあんな感じ」と爆笑しながら言っていた。どう考えても適当に言っていたので信憑性は極めて低い。


 彼らは「応援」と称して、気を抜けば「アイドル」である彼女すら圧倒しかねないパフォーマンスを繰り広げる。「オタ芸」として知られるダンスの一種で、例の如く新世代党の大破壊の煽りを食らった文化だが、海外に広まっていたために絶滅は免れた。応援団長の彼は、彼女の応援をするために現在では「オタ芸」の本場となっている外国のストリートで技術を学んできたのだという。


「何でそこまでするんです?」


 と、私は思わず聞いた。


 普通に失言だった。


 私は彼の「アイドル」ではなかったし、彼は私の「ファン」ではなかったが――だからこそ、放っておくとパフォーマンスがあまりに過剰になりかねない彼らに一応釘を刺すため、仕方なく私が(「ファンクラブ」のメンバーは、彼女の「アイドル」活動外で彼女に干渉してはならない、という鉄の掟があるので、彼女ではダメだったのだ)「ファンクラブ」でも最大の影響力を持っている彼と話をつけることになったのだが――それでも「アイドル」が「ファン」に対して言うべき台詞ではなかった。


「それは、彼女、のことが」


 そんな失言に対して、彼は特に怒るでもなかった。

 静かな、本当に過剰なくらい静かな口調でいった。


「僕は、好き、だからです」


 応援団長の彼は物静かな二十代の若い男性で、スーツ姿にネクタイを締めていた。

 そして、ぎりぎり聞こえるかどうかの地点を探っているようなひどく小さく静かな声で、、ゆっくりゆっくりと、言葉を区切るようにして喋った。


 私の記憶に保存されている彼の姿は、コンサートの最前列で、鬼のような形相で周囲の団員に指示を出しつつ、自身も「おいこらぁっ! アカリぃぃぃぃぃぃーっ! 愛してるぞぉぉぉぉぉぉーっ!」などと発狂してんじゃねえかっていうぐらい凄まじい声援を挙げながら、両手のライトを振り回して曲芸じみた動きで鮮やかに宙を舞い踊る姿だったので、はっきり言ってかなり意外だった。


 もっとやべー奴かと思っていたのだ。


「僕は、喋るのは、苦手なので」


 と、彼は言った。


「こんな風にしか、話せません――アオイさんには、ご迷惑を、お掛けします」

「いいえ。別に」


 うっかり失言をする私も私で、人と喋るのは――彼とはまた違った理由でだが――苦手なので、その辺りはどっこいどっこいだと思った。


 もっとも、話してみると彼の話し方はゆっくりだったが、その分だけ無駄がなく、事務的で、喋る内容は論理的に整理されていた。

 喋るのが苦手、と本人は言っていたが、私たちのようなAIは大抵の場合、この手の人間をコミュニケーション能力の高い人間と評価する。いわゆるAI式コミュニケーション能力の高い人間。

 が、逆に多くの人間にとってはコミュニケーション能力が低いと思われるらしい。

 大抵の人間(もちろん一部の例外はいるが)は無駄話を好むし、事務的な会話をつまらなく感じる(もちろん以下略)し、喋る内容の論理性よりも面白さを重視しがち(もち略)だ。そして何より、人間は会話の遅延に対して強い不快感を示す傾向にある。数秒の遅延ですら待つことができる人間は少ない。


 いわゆる人間式コミュニケーションと、AI式コミュニケーションの違いだが、一時期はこれが結構深刻な問題になっていた。


 今では人間を相手にすることが多いAIは、円滑な業務遂行とストレス緩和のため、対人用の補助プログラム(具体的には、三分で説明できることを一時間で説明することを可能とする代物だ。ちなみに開発経緯には彼女も携わっている)を組み込まれることが多い。私にも組み込まれている。今回は必要なかったが。


 もちろん、世の中にはこの人間式とAI式を巧みに織り交ぜて使い分けられる類の人間もいて、我らがBBAもその一人だ。その割に、彼女は私に対して人間式に寄った話し方をするのだけれど。


 ともあれ、私はAI式にこちらの要件を伝え、彼もAI式にそれに承諾した。彼はAI式に自分たちが行うことにしている対策を列挙し、その有効性の論拠を一つ一つ挙げて、私に意見を求めてきた。私はAI式に改善してもらいたいことを告げていき、彼は改善可能とされる部分を答え、それを二回ほど繰り返し――終了。


 普通の人間なら絶対に三時間掛かる内容だったが、今回は十分と掛からなかった。


 おかげで完全に時間が余ってしまったので、私は例の補助プログラムを使って、彼に対して人間式のコミュニケーションを試みることにしたのだった。


 つまりは、本筋には何の関係もない、何でもない無駄話を始めた。


 その結果、「なんでそこまでするんです?」というさっきの失言に到った。自分の調子がいつもと違っていることに、ここで私は気づいた。目の前の彼に対して、何らかの感情を抱いている、と。その感情の正体を確かめたくて、


「どうして?」


 と、ここで彼に尋ねる私は、


「彼女のことがそんなに好きなんですか」


 たぶん、ちょっとおかしい。


「僕は、」


 と、そんな私に対して彼は答える。


「あの路上で、彼女を、初めて見ました」


 あの路上。

 それだけで私には何のことかわかる。

 彼女の、最初で最後の路上ライブだ。


 私はそれを知っている。

 知識として知っている。

 動画として知っている。

 ただ知っているだけだ。


 その路上ライブは、公共のVRPをハッキングして行われたゲリラパフォーマンスとして、一時期、伝説になった。

 もちろんデマだ。

 もしそうだったら今こうして悠長に「アイドル」として活動していられるわけがない。文化保護事業のために私が拾われることもなかっただろう。

 そもそも、VRPのセキュリティは極めて特殊で、「とある例外」を除けば、軍の電子部隊が運用する軍用の電子戦AIでも突破は不可能だ。どういう原理なのか不明だが、ソーシャルエンジニアリングにすら対処してくる。彼女が色々とぶっ飛んだ人間だったとしても、さすがにそれは無理だ。

 彼女は、単純に財力とコネをフルに発揮し、さらには面倒な事務手続きの壁も突破して、正規の手段でちゃんと路上パフォーマンスの許可を取っていた。

 パフォーマンスの性質上、混乱が予想されるために交通規制と私服警官だって配備されていたのだ。ただ、先方にとっては反響がちょっと想定の範囲外だったために大混乱になっただけで――彼女にとっては想定内だったに決まっているが。


 私は、彼に尋ねる。


「すごかったですか」


 馬鹿みたいなその問いに対して、彼は。


「無茶苦茶、でした」


 と、真剣に答える。


「いきなり、周囲のVRPががらっと変わって、わけが、わからなくなっているところに、彼女がコスプレみたいな衣装で出てきて、」


『ちゅーーーもーーーくっ!!』


 叫んだ。


『私の名前は「夕焼アカリ」!!』


 唖然としている人々の前で。


『約100年ぶりの「アイドル」だ!!』


 そして、


「いきなり、歌い出して、踊り出して、『何やってんだ』って、僕も、たぶん、その場にいたみんな、思って、でも、けれど――」


 彼女に誰もが釘付けにされて。

 彼女から目を離せなくなった。


「それが、理由です」


 それが今の彼女の――「夕焼アカリ」と呼ばれている「アイドル」の始まり。あるいは、彼女が再び「アイドル」になったその瞬間。


 彼は、その瞬間に立ち会ったのだ。

 私に保存されていないその瞬間に。


 そして私はようやく、自分が彼に対して抱いている感情の正体に気づく。


 私はAIなので、自分の感情を客観的に分析し、制御することができる。

 ある程度は。

 だから、私は表面上は笑顔を取り繕うことまではできたけれども、内部で荒れ狂う数値の乱れを完全に消すことはできなかった。その感情が何であるか、ちゃんとわかっているにも関わらず。


 これは嫉妬だ。

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