第10話 こんな仕事で3000円
これは発射スイッチだ。
押すと何かが出て、照準の先の船を沈める。
今までは知らせていただけ。殺してはいなかった。直接人を殺してしまったらどうなるのか、それなりに不安はあったが、案外何ということもない。
今までとそう、変わらない。
変わったのは業務内容が少々。
持ち場は野外から、廃業したホテルの一室を改造した部屋になった。窓から海は見えるが見ていなくてもいい。監視地点より低い場所にあるから見ている意味はあまりない。監視員からの通知音が鳴ったらモニターを確認。確認役が敵船と判定したら船影が赤く縁取られる。トラックボールで照準を合わせて、発射スイッチを押す。
手数は増えたが何も難しいことはない。待機中、通知音を聞き逃してはならないからイヤホンは不可だが本は読める。これで時給3000円。美味過ぎる。
「ピピピピピ……」
通知だ。
モニターに船影が映る。
監視員は今、誰がやっていて、どんな気持ちなんだろう。僕より日が浅いなら――たぶんそうだろう――「発射スイッチを押す奴と自分は違う」とでも思っていることだろう。
安心しろ。同じだよ。
押してからどれだけブランクがあろうが、間に人を挟んでいようが、押したら高確率で相手が死ぬのだから、それはほぼ発射スイッチと言っていい。
船影の縁が光った。赤。
トラックボールを回す。
照準の動きが妙に鈍いのは、どこかで重い砲塔が動いているからだろう。焦る必要はない。水平線上の船はゆっくりとこちらに向かってきているから、慌てなくても十分間に合う。
照準が、合った。目標がセンターに入ると照準の枠が強調表示されるのでわかりやすい。
あとは発射スイッチを押すだけだ。
(せーの)
砲身がどこにあるか、どんな砲弾が出ているのか、僕は何も知らない。そういった意味でも監視役の頃と変わらない。
戦士――日野が言うところの――なら、砲撃の特性や修理方法、一発撃つのにかかる費用、「敵船」の国籍等、全部把握するんだろう。知らんけど。何なら「砲撃」の歴史を火薬の発見あたりから勉強したりもするだろう。全部学んで、主体的に戦うだろう。
こちとらバイトだ。何も知らない。押せと言われたから押す。それだけだ。発射スイッチだということはわかっている。押せば相手が死ぬことも。だから何? これが「戦い」だとは思わない。バイトだ。
荷物が来たから品出しする、人が並んだからレジに入る、賞味期限切れを廃棄する……それらと同じ、ただの作業だ。お店のためにとかお客様のためになんて思ったことは一度もない。時給がもらえるからやっていただけ。これもそう。御国のためになんて気持ちはない。
ああ、漁師たちを守りたいという気持ちはある。スーパーにいた頃も、感じの良い同僚や優しいお客さんの役に立ちたいとは思った。でもそんなの、些細な感情だ。働く根拠は給料にある。
僕が働きたいと思った結果として給料があるのではなく給料が存在するから働いている。逆になってはいけない。働かせる側は何かにつけて労働者を洗脳、奴隷化しようとしてくるが、奴らの思い通りになってたまるか。やるべきことをキッチリやっている限り、どんな心構えでいようと問題ないはずだ。
社員なら会社を支えたいみたいな気持ちがなきゃ務まらないだろう。その分給料が高い。ボーナスもある。バイトは給料が安くてボーナスもないんだから会社に尽くそうなんて気持ちがあるわけがない。
(あれ?)
照準を合わせてから、何秒経った?
モニター右上の時計。
そんなに経っていない。ほんの2、3秒だ。
一瞬でやたらと物事を考えた気がする。
今から殺すから、スイッチを押したら相手が死ぬから、僕は興奮しているのか?
馬鹿な。
相手どころか肉眼では船も見えない。着弾の音はおろか発射音も聞こえない。モニター上の船影が消えるだけ。テレビゲーム黎明期のシューティングゲームより手応えがない。スペースインベーダーだっけ? やったことないけどたぶんそうだろう。
作業だ。商品のバーコードをレジでピッとやる。あれと同じ。難しいことは全部機械がやってくれる。僕には何の技能もいらない。
じゃあ何だ? どうしてこう頭が冴えている。
興奮しているのか? 船が消えるのは何度も見てきた。発射スイッチを押すのだって初めてじゃない。3度目、いや4度目だっけ? どうでもいい。戦闘機の撃墜マークじゃあるまいし、数える気はない。
監視員の頃より「殺し」に近づいたし事実殺しているのだがまだまだ遠い。なのにやたらと脳が――何ら建設的ではないが――回るのは、つまりこれが「殺す」ということか。
匂いも音も知覚していないけれど、あの船に人が乗っているという事実が僕にプレッシャーをかけているのだ。
それなら、それでいい。
考えてみれば、本当に監視員と何も変わらないなら、1000円も時給が上がるはずはないのだ。精神的負担の分上がった。そういうことで腑に落ちる。
腑。
死んだ人間の内臓は、魚が食べるのだろう。
その魚を、漁師が?
(いい加減撃て!)
また2秒ほど経っていた。
急げ。
発射スイッチを、押す。
消えた。
ほら、やっぱり何も感じない。
速過ぎて弾道も見えないから少なくとも撃ち落としたという感じはしない。
殺したけど、それが何だ。
僕は僕の「健康的な食生活」を守るために人を殺す。
家族や祖国じゃなくて悪かったな。
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