第弐拾伍話 マサの問い



「いや、申し訳ない……。少し気が抜けてしまったようで……」



 毒気を抜かれたような二人の様子に、九郎丸は慌てて弁明した。はにかみながら後頭部を掻く。



「な、なるほど……?」



 余りの雰囲気の乖離に比叡が首を傾げていると、子どもゆえに空気を読まない辻がとてとてとマサに歩み寄ってそのままその膝に滑り込んだ。



「つ、辻さ?」



 鼻声で驚くマサに辻は何も言わなかったが、下からその翡翠玉のような二つの目でじっとマサを見つめた。


 九郎丸が思うに、道中ずっと喋り通しだったマサが何も言わずに俯いていたので、案じたのだろう。



「辻はマサさんを心配しているようです」



 優しい子だなぁと九郎丸は独り言ちた。



「おらは大丈夫だよォ……、あんがとなぁ、辻さぁ……」



 マサは辻の頭を撫でやるが、その声にはやはり元気がない。そんな娘の様子に父は痛ましそうな視線を向けた。

 だが、その場の空気がしんみりし出したところで、それを断ち切るように手を叩いたのは他ならぬ比叡であった。



「そうと決まれば宴の用意させにゃあなんねぇ! マサぁ、そんな湿気た面すんでねぇ! 蔵ん中にある猪肉全部使って、盛大に祝うべ!」



 ずん、と立ち上がると音がしそうな体躯の比叡は戸の方に顔を向けると怒鳴った。



「助六! タケ坊! どうせ忍び込んで聞いとるんじゃろう! 宴の準備じゃと皆に伝えぇ!」



 がたがたごとん、というような慌ただしい音がして二人分の足音が遠ざかってゆく。



「気付いていたのですか?」


「気付かんとも、アイツらのすることぐれぇわかりますだ。鼻たれ小僧のとっからよぉう知っとりますんで」



 比叡の言葉に九郎丸はくすりと噴き出した。



「では、おらも宴の準備がありますんで。……その間にマサ、おめぇが村ン中さ案内して差し上げろ」


「はいだ……、九郎丸さま、おらについて来てくだせぇ」



 マサは沈んだ声音のままに立ち上がり、辻を伴って部屋の出口に向かった。



「マサさん……?」



 そう九郎丸が呼びかけるも、マサは九郎丸と目を合わせようとしない。

 マサの態度を叱りつけようとする比叡を押しとどめ、九郎丸はマサと共に部屋を出た。



「あっちが井戸……、あっちには獲った猪の肉やら皮やらを置いとく蔵がありますで……」



 あれは猪の解体場、あそこでは女どもが仕事を、そこは猪撃ちの為の鉄砲を直していて……、とマサの案内は酷く淡々としていて、そこにこの村に来る前に彼女が村について語った時のような彩は無かった。

 足取りもとぼとぼと弱々しく、杖をつきながらでも後を付いていくことにそれほどの苦労はない。


 しかし、双方の間に会話はない。あるのはマサの一方的な説明の言葉だけだった。


 辻は様子のおかしいマサを気遣ってか傍を離れようとせず、ずっと彼女と手を繋いだままでいる。



「……」



 九郎丸はただ黙って、マサに言葉を投げかける機会を伺っていた。



「そこを曲がれば集会所……、さっきの建物に着きますでな……」


「マサさん」



 一通り案内を負えたのか、マサの淀みのなかった声が途切れたその瞬間を見計らって、九郎丸がマサの名を呼んだ。



「マサさん」



 反応のないマサの背中にもう一度。


 そこで漸く、マサは口を開いた。



「……九郎丸さまは、おらんこと憎くはねぇんですか?」


「何故?」


「何故、って、だって、あなた様はおらの所為で……」



 マサはそこで声を詰まらせた。


 九郎丸は静かに次の言葉を待つ。


 辻がぎゅっとつないだ手を握りしめた。



「九郎丸さまにとって、家族って、大事なものだったんじゃねぇですか。九郎丸さまのいたとこは、九郎丸さまにとって家族みてぇなもんだったんじゃねぇですか⁉ 大事なとこだったんじゃ、ねぇですかッ……⁉」



 ばっと振り返ったマサの目じりには涙が浮かんでいた。



「あなたさまのそんな大事なものをっ、おらの所為であなたさまは無くしっちまったんじぇねぇですか⁉ おらが、九郎丸さまの大事な場所を奪っちまったんじゃねぇですかッ⁉ おらが奪っちまったのは、足だけじゃなかったんだっ!」


「それは……」



 しかし、否定する言葉を九郎丸は咄嗟に用意できなかった。紛れもない、事実であった故に。



「何があったんです? どうしてそんなことを……」



 代わりに、九郎丸はそのような問いをマサに投げかけた。



「おらは、あなたさまの優しさに舞い上がって、甘えてたんだ。お父(ど)に言われるまで気付かねなんて、おらは底抜けの大馬鹿もんだッ……」


「……」



 九郎丸は押し黙った。


 九郎丸はマサの父と顔を合わせる前に、彼女と父親との間に対話があったのだ。

狡猾さとは無縁の彼女のことだ、包み隠さず全て話したに違いなかった。双方の間にどのような会話があったかは知る由もない。だが、あれ程娘の無事を感謝していたあの父が、娘をこうまで責め立てるかと思えば否だった。


 一度区切りをつけた筈のことを、しかしマサはやはりどこかで気に病んでいたのだろう。それに気付けなかった。


 九郎丸は己の短慮を恥じた。


 忌むべき楽観だ。マサをもっと慮るべきだった。



 おれこそ、彼女の明るさに甘えていたのだ。



 彼女を追い詰めたのは、九郎丸である。



「おれはッ……!」


「おはおめぇが無事でよがったと言ってくれたけんど、良くねぇッ! ちっとも良くねぇ! 九郎丸さまは、おらの顔だって見たかねぇんじゃねぇですか⁉ それなのにおらは、あなたさまの横でへらへら笑、ってッ……」



 マサの辻と繋ぐ手に力が入り、辻が痛みに顔を顰めて彼女の手を振りほどいた。



「あっ、辻さ……、すまねぇ……」


「ん……」



 辻は首を振ると、再度自分からマサの手を取った。



「マサさん。そのようなことは言うべきではありません。おれは、貴女を助けたことを後悔などしていないし、この足は貴女の所為ではない。おれは、貴女に救われたのです」


「……九郎丸さまは綺麗事ばっかだ……。正直に言ってくだせぇ! それとも、あなたさまはの人たちのことを何とも思ってねぇんですか⁉ そんな筈ねぇ! だって、あんなに、あんなにッ……!」



 苦し気に吐き出される言葉に、九郎丸は真っすぐとマサを見た。その顔に、常の薄い笑みはない。甘言は無意味であると悟った。



「……一座は、確かにおれにとってかけがえのない場所でした。えぇ……正直に言ってしまいましょう」



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