第拾漆話 人助けの決着
「先程はぁ取り乱しちまって、まっこと申し訳ねぇですだ。もう落ち着きましたんで……」
まだ幾何か赤みの残る目元を、マサは恥ずかしそうにきゅっとして笑って見せた。が、その表情は未だ少しぎこちない。
「女将さんにゃあ、ホントに感謝しねぇといけねぇですだ……」
しみじみとそう言ったマサに思わず九郎丸は苦笑した。それを見たマサが不思議そうな表情を浮かべる。
「いや、実は、こちらもついさっき説教を賜ったところでして。自分の為したことはきちんと受け止めて決着をつけろ、と」
マサの緊張を少しでも解そうとしてか、九郎丸はお道化た風にそんなことを言った。だが、九郎丸の思惑とは裏腹に、マサはそこでしゃきりと背を伸ばした。
「九郎丸さま、おら、償いてぇんです。恩人さまが困ってる時に、知らんぷりして暮らせるようには育てられてきてねぇ。そんなお天道さまに顔向けできねぇようなこと……。それに、貴方さまの足はおらが奪ったようなもんだ。だからせめて、貴方さまがそれで不自由しねぇように償いてぇ……。どうか、その機会をおらぁに下さいませんか」
そこまで言って、マサは指をついて頭を下げた。額を畳に痕が付く程強く押し当てて、マサはそう九郎丸に嘆願した。
「……」
九郎丸は愛想笑いを消して、瞼を下ろした。暗闇の中でどう答えるべきか暫し逡巡する。
正直なところ九郎丸自身、マサをどうしてよいか決めあぐねていた。なにせ覚えていないのだから、恨むだとか憎むだとかそういうものは勿論、償うと言われたことさえぴんとはこない。足を奪ったのは自分だとマサは言うが、当の本人にその自覚はてんで無いのである。九郎丸にとって償われることなど何もないし、そうなれば必然、マサに求めるべき償いとやらも皆目見当がつかぬのだった。
だが、先程の女将の言葉に耳を貸すのなら、それではこの娘が救われない。九郎丸が何も求めなければ、このマサという娘は一生下ろすことのできない重荷を背負うことになる。罪悪の意識という重荷を。
それは当然、九郎丸の望むところではなかった。
「マサ殿、一先ず顔を上げて貰いたい。そのままだと、どうも居心地が悪い」
九郎丸の言葉にマサはおずおずと下げていた頭を上げる。その額にはやはり、畳の痕がくっきりと残っていた。目元には止まった筈の涙のようなものが滲んでいて、九郎丸の顔が笑みの形に引き攣らせた。
「……償いたいというその気持ちはわかりました。ただ、それで身を削るようなことはしないで欲しいのです。折角助けた命、その命で幸福に生きてくれるなら十分、と言いたいところですが、それでは貴女の気が収まらないのも承知しています」
そこで九郎丸は一度言葉を切った。マサはきゅっと唇を噛んで次の九郎丸の言葉を待っている。
「そう、だな……」
九郎丸は視線を横に流して思案した。
「……あぁそうだ。実のところ、今は行く当てもなくて丁度困っていたところなのです。この宿で何時までも世話になる訳にもいきませぬし、銭も何れ尽きるでしょう。そうなる前に何処か腰を落ち着けられるような場所を見つけたいと思っていました。どうでしょう、貴女の村に、空き家でもあればそこをもらい受けることは出来ますでしょうか」
九郎丸の故郷は彼をマガリに売った村だ。今更そんなところに居場所などある筈もなく、まして足の悪い男など、厄介者以外の何物でもなかろう。
「そ、そげなことでええんですか。空き家は確かにありますだが、ぼろっちぃあばら家みたいなもんで、恩人さまを住まわすだなんてとてもとても……」
九郎丸の申し出にマサは申し訳なさそうにそう言った。折角の恩人の頼みを断るようで気を病んでいるのだろう。
「もともとそんな大層な暮らしをしていた訳ではありません。雨風を凌げるところがあればいい。欲を言うなら、あとは小さな畑でもあればこの子と自分の食い扶持くらいはどうにかなるでしょう。足りなければ草鞋でも編んで売るなりして暮らせばいい。その時は買ってくださいね」
気にすることはないとばかりに九郎丸は明るい声音を返す。それでもマサは納得がいかないようだったが、渋々と頷いた。
「貴方さまがそう望むんなら、おらがとやかく言っちゃいかんだね……。そんなら任せてくだせぇ。おらの村は全員が家族みてぇなもんだ。事情を話せば恩人さまだもの、きっと快く受け入れてくれるだよ」
「家族……」
「そうともさ」
その言葉に、一縷の懐かしさを九郎丸は感じた。思い出すはマガリでの日々だ。慕い慕われた一座の皆は九郎丸にとって、血の繋がった家族よりも家族らしい者たちであった。もっとも、九郎丸を一人残して早くに死んでしまった親のことを彼自身は殆ど覚えてはいないのだが。
「おれも、そこではその家族とやらの一人になれるのだろうか……」
それは、マサに問いかけたと言うよりも独り言に近かった。しかし、耳がいいのかマサは敏くその声を聞き取ったらしかった。
「もちろんさ、村に住むもんはみぃんな家族だぁ」
少し照れ臭いような柔らかな笑みを浮かべ、マサははにかんだように笑った。
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