第4話 言えない聖女。
静まり返った、『たそがれどきの食堂』。
そこにアイシュエンゼの笑い声が響いた。
「あっはっはっはっ!! これは傑作ね!! わざわざ恥をかきに来たのかしら!?」
アルティフィアの手を振り払い、お腹を抱えて笑うアイシュエンゼ。
「なんですって?」
不快そうに顔を歪めながら、ナナコがアイシュエンゼと対峙する。
リヴィアよりも小柄で幼い印象を受ける身長のアイシュエンゼだが、ナナコを物怖じせずに見つめ返す。
その視線は、見下しに近かった。
「聖女リヴィア様がいないせいで、とぉおっても苦労なさったんでしょう? 今日の戦闘! それも呪いでもかけられたような全不調と思うほど!」
アイシュエンゼは、注目する周囲に聞こえるようにわざと声を上げる。
「勇者クラスとも謳われるパーティなのに、今日は随分ボロボロに汚れていらっしゃる!」
「っ! これはっ……!」
「聖女様抜きで、今日はどんな敵と戦ったのですかーあ?」
動揺するユーラシアン達が、口が裂けても言えないことはわかっていた。
アイシュエンゼは嘲わらった笑みをスッと消すと、囁く声で言い放つ。
「命を落とさなくて、残念」
あまりにも冷たいその声に、ユーラシアンのパーティ『勇敢なる剣(つるぎ)』は青ざめた。
「呪いって、身体にあざとかの証が出るらしいですよ? その汚れを洗い流しながら、確認した方がよくないですか? 不調なら、早く寝た方がいいですよ! そんな日もあります!」
コロッと笑顔を作り直したアイシュエンゼは「でも」と付け加える。
「聖女リヴィア様がいない以上、今までのような活躍は無理でしょうねっ!」
青い瞳は、冷たく射貫く。
恐ろしいほどに、冷たい。
ユーラシアンのパーティは、アイシュエンゼのその発言で今更気付く。
ーーまさか、今までの活躍が全て、リヴィアのおかげだと言うのか?
ーー不調の原因は全て、リヴィアがいないせいなのか?
ーー何故?
「あっ。リヴィア様のことならご心配なさらず!」
「そうだ、オレ達のパーティに入った」
リヴィアの腕に自分の腕を絡ませるアイシュエンゼ。
反対側に立ったアルティフィアも、そう宣言した。
仮とも預かったとも、言わない。
「そうよ! アタシ達の仲間なんだから!」
「そんで!? もう言いがかりは終わりだよな!? オレっち達、みーんな食事中なんだけど!」
キリナもバンも、加勢。
そして、バンは注目する周囲のことも言った。
突然乱入して言いがかりをしてきた元パーティ。
傍から、そうしか見えない。
恥をかいただけのユーラシアン達は何も言えず、『たそがれどきの食堂』から逃げ出した。
周囲から失笑が零れたあと、気持ちよく酔い始めた客達が「聖女様バンザーイ!」と祝杯を上げる。
それから各々が、飲食にも戻る。先程、恥をかいた勇者クラスのユーラシアンのパーティを話題にしながら。
「全く! 失礼な連中だったな!! あんなやつらとどうやってパーティ続けてたんだ!?」
席に戻ったバンは、プンプンしつつも、チキンを頬張る。
「しまった……リヴィアの分の取り分をもらい損ねた」
アルティフィアは、失態をしたと反省して、椅子に腰を落とす。
「どうせ、回復職だから……とか難癖付けるに決まってるよ! ギルドマスターを通した方がいいって!」
キリナもプンプンしつつ、グレープジュースを飲み干した。
「てかよく凍り漬けにしなかったね、アイシュ」
「アルティに、全力で止められた」
「あ、そうだったね」
「それにしても、ずっと補助魔法を使われていたことすら気付かないなんて、なんてアホな連中かしら。……死ねばいいのに」
アイシュも、グレープジュースを飲み干す。
ボソッと殺気立った呟きをした。
「やめよやめよ! あんな連中の話、空気悪くなる! 店員さーん、飲み物おかわり!!」
キリナは、そうジョッキを掲げる。
「リヴィア……さっきから黙っているけれど、大丈夫?」
バンは口元を拭いながら、黙っているリヴィアに声をかけた。
「……私は大丈夫ですが……ユーラシアンさん達はどうして不調なんでしょう?」
「「「えっ!」」」
補助魔法をかけていたリヴィアがいないことで不調だと思い込んだ。
ユーラシアン達が不調と言い張るせいで、本当に原因不明の不調に襲われているとリヴィアは心配している。
「リヴィア様、大丈夫です」
美しい妖精の微笑みを浮かべたアイシュエンゼは、リヴィアの肩を撫でた。
「彼らの悩みは、もうじき消えますよ」
命もろともな!
とまでは言わないでおくアイシュエンゼ。
そうであってほしいと願うのだった。
「大丈夫ならいいですけれど……」
「飲んで飲んで! グレープジュースだけど!」
「宴だー!!」
キリナとバンは、どんどんグレープジュースを飲ませる。
「歌うなよ?」とアルティフィアは呆れつつも、笑って眺めた。
食事を済ませたあと。
一同はヴァルキュール夫妻の家まで、リヴィアを送った。
万が一、また元パーティに絡まれないためにも。
庭のない一軒家。二階建ての豪邸だった。
玄関は立派なポーチとひさしがあり、重たそうな扉が構えている。
「ほげー! 高そうな家!」
「上がっていきますか? 紅茶なら出せますが」
「いや、疲れただろう。オレ達はこれで失礼する。朝、迎えに来るから」
たまに掃除をしに来ていたから、人を上げるくらいいいと思い誘ったリヴィア。
そこをアルティフィアがやんわりと断りを入れる。
「また明日」とリヴィアが中に入ったことを確認してから、アルティフィア一行は自分達が借りているアパートへ足を進めた。
「なぁーアルティ。確かにオレっち達じゃあ宝の持ち腐れだと思うけれどさぁー。オレっちが強くなればいい話じゃない?」
頭の後ろで腕を組んで、バンは尻尾を揺らしながら問う。
「オレ達にはオレ達のペースがあるだろう。それにリヴィアを付き合わせる気か?」
「んー。リヴィアなら付き合ってくれると思う!」
アルティフィアの言葉に、バンはご機嫌に返す。
「そうだな、あのお人好しじゃあ、な。でも、オレ達には高嶺の花すぎるぞ、あの聖女様は」
アルティフィアが空を見上げると、ぽつりと大きな穴が開いたような満月があった。
「高嶺の花だからいいんじゃない。手を伸ばす勇気もないわけ?」
キリナと手を繋いで前方を歩いていたアイシュエンゼが、振り返って嘲る。
「だいたい、アルティが声をかけたんじゃない。責任は最後まで取りなさいよ」
「あっ! そうだよ! アルティ、責任取らなきゃ!!」
キリナも振り返って、意見を押し付けた。
「だから預かることにも承諾したんじゃないか! 責任なら取った!」
「「えぇーそれだけー?」」
「どこまで責任を取らせるつもりだ、お前ら!」
キリナとバンの伸びた声に、アルティフィアは怒り出す。
「アルティが怒った怒ったー!」と、楽し気に帰り道を歩いて行った。
◆◇◆
小鳥のさえずりと仄かな朝陽で、目を覚ます。
のそっと起き上がると、聞こえてくるキッチンで作業をする音。
朝食が作られた音だろう。
目元を擦りながら、私は寝間着のドレスのまま、キッチンへ向かう。
「おはよう、愛しの君。もう朝食は出来るから、座って待っていてくれ」
「おはようございます……」
人の姿をとった精霊が言う通りに従い、私は椅子に腰を下ろす。
ぽけーっとしながら、待っていれば、朝食が並んだ。
「お待たせ。髪が乱れたままだ。梳かしてもいいかな?」
覗き込む美形の顔が、眩しい。
久しぶりすぎて、目を細めてしまう。
「お願いします……」
こくん、と頷く。
そうすれば精霊さんは、緑の匂いを漂わせながら、若葉色に艶めく長い髪を靡かせてブラシを探しに行く。
私の目の前には、コーンフレークと、目玉焼きと分厚いベーコンが盛られたお皿がある。
それから、精霊の森から持ってきたであろう星草が盛り付けられたお皿もあった。
あ。これも久しぶりだ。
星の形で藍色と緑色のグラデーションの草。
ふわっとした食感で、甘いデザートになるんだよね。
なんて思っていれば、髪が触れられた。
腰まで届く長い髪を丁寧にブラシで梳かしてくれる。
これもまた久しぶりだな……。
誰かに髪を梳かしてもらえるって、幸せだなぁ……。
なんて思いながら、ポリポリとコーンフレークを咀嚼して気付く。
「えっ!? なんでいるの!? エネルフォレ!」
「おっ? 気付いてしまったか。ふっふっふっ」
寝ぼけていて普通にしていた!
両腕を私の頭を包むように絡ませると、すりすりと頬擦りをしてきた。
「いやぁそろそろ会いたさが、限界を超えそうでな。会いに来ちゃった☆」
見えないけれど、多分ウインクして舌を出しているに違いない。
茶目っ気ある仕草をする精霊さんだもの。
「ここ、結界が張ってあるはずでは? よく入れましたね……」
「ずいぶん前に鍵は預かっているよ?」
「あ、そうだったんですね」
鍵を持っていないと、結界に弾かれてしまうはず。
だから安心して、寝ぼけていた。
「リヴィが自立したいって言うから離れたが……本当に本当に寂しかったのだぞ? 我は微塵も離れたくはなかった。ああ、愛しの君の香り! 癒しだー」
せっかく梳かして整えてくれた髪が、頬擦りで乱れていっている気がする。
「私を理由に使命を疎かにしたいだけでは?」
「使命なんぞ、我が息をしているだけで十分! リヴィにこうして触れられない時間は、息をする度に痛かったぞ?」
「大袈裟なんだから、もう」
精霊エネルフォレ。
若葉色の長い髪と美しい顔立ちの青年の姿をしていると、貴族や王子様みたい。
でも、世界全ての魔力の根源である精霊樹。
その化身。
精霊樹の森の管理者。
彼なしでは、魔力の回復も困難になると言い伝えがある。
魔力があって生まれた者は、精霊樹エネルフォレ様の祝福を受けた。
また魔力なしで生まれた者は、祝福を受けなかった。
とか言われるけれど、別にエネルフォレ自身は関与もしてないし、祝福をあげた覚えもないと話していた。
「ほれ、たーんとお食べ。好物だっただろう? 我が森の星草」
「うん、ありがとうございますっ!」
「はーあっ、愛しの君の笑顔……癒されるー」
顔を緩ませるエネルフォレ。
私は先に作ってもらった目玉焼きをフォークを使って割って、厚切りベーコンと絡めて食べた。
エネルフォレはニコニコしながら、私を向かいのテーブルから眺める。
「久しぶりだからか……愛おしさが爆発しそうだ。そんな愛しの君がお世話になっているパーティ『勇敢なる剣(つるぎ)』とやらにも、我は挨拶をしないといけないだろう」
「うぐ」
いきなりパーティの話が出たものだから、喉を詰まらせてしまう。
「大丈夫かい? リヴィ」
心配して私の後ろに回って背中を擦ってくれるエネルフォレ。
い、言えない……!
つい昨日クビにされたなんて!
どうして昨日の今日で来てしまうのだろうか。
「精霊樹の森にいてもね、リヴィのいるパーティ『勇敢なる剣(つるぎ)』の噂が届いたよ。今では勇者クラスとまで呼ばれているパーティなのだろう?」
もうそこからクビにされたなんて……言えない!
「ふふふっ。絶対に、リヴィの力のおかげだろう? リヴィが縁の下の力持ちとして活躍しているのかと思うとちと物足りぬ。しかし、リヴィあってこその勇者クラスのパーティ。かの昔にいた勇者本人とは比べ物にはならんとは思うが、そのパーティはそこそこ強いのだろう? 毎日リヴィに感謝しているのだろう? ん? リヴィよ、何故先程から黙っている? リヴィ?」
感謝されたことないし、役立たずだって言われてクビにされた……。
いっ、言えないぃいい!!
「おーい、リヴィ? まだ眠いのか? 一緒に二度寝をするか?」
「エネル! 星草はあとで食べるね、ごちそうさま! そろそろ帰った方がいいんじゃないかな? 私も仕事に行かないといけないし」
「だから、パーティに挨拶を」
「そんな暇ないよ!! 帰ってください!!」
「会ったばかりではないかー!」
やだーと駄々をこねるエネルフォレを押し退ける。
呻きつつも、エネルフォレはパチンと指を鳴らして、消えた。
深い緑の香りを残して。
それを吸い込むと、少し落ち着いた。
「よし!」
私はすぐに部屋に戻って、着替えを行う。
肩出しの白いフード付きワンピースにコルセットを付ける。ホルダーごとナイフを仕込めば、準備完了。
長い髪も撫でつけて、食器を片付けた。
星草は紙袋に入れて、持って家を出る。迎えに来てくれるという約束だから、ポーチに座って待つ。
星草を一つ、袋から取り出して、口の中に入れた。
ふわっと消えるくちどけ。甘さが広がる。
「リヴィアー! おはよー!!」
「あっ! おはようございます!」
キリナさんの元気な声を聞いて、私は笑顔になって手を上げた。
太陽がよく似合う小麦色の肌を持つキリナさんは、肩まで届く黒髪をサイドで束ねている。
豊満な胸は、胸用コルセットが包み込んでいて、へそをさらけ出していた。
腰巻きの下には、短パン。それから足を最低限包んだようなシューズを履いている。
大剣を背負った、そんな格好。
「何持っているの?」
「おやつです。星草、食べますか?」
「星草って……精霊樹の森でしか育たない草のことでは?」
アイシュさんが、困惑した声を出して身を引いた。
エルフ族らしい白い肌と金髪に青い瞳、それと尖った長い耳。
それらを持つアイシュさんは、ローブを身に纏っていた。
黄色のラインの入った水色のローブのフードを被っている。昨日もそうだった。
私と同じく、下はワンピースのようで、黒いタイツを穿いた細い足が出ている。
ブラウン色のブーツを履いて、魔法杖を握った格好。
「草がおやつ? 美味しいのか?」
バンさんが興味津々で身を乗り出してきた。
獅子の半獣人であるバンさんはほぼ人間の姿だけれど、耳は獅子のもので頭の上にある。
そして後ろには、尻尾が生えていた。
ぼかっとしたタートルネックでノースリーブの上着を着ていて、膝丈くらいのズボンを穿いている。
大きなブーツを履いた格好。
「待て。精霊樹の森でしか育たない草を、なんで持っている?」
アルティさんが、バンさんを引っ張って引き離す。
ダークエルフ族らしい褐色の肌と紫色かかった白銀の髪と瞳と、そして尖った長い耳。
それらを持つアルティさんは、この中で一番大人に見えるほど、身長が高い。
すらっとした手足。黒のタートルネックの上着と、ズボン。腰には左右に短剣を携えていた。
「それは我が持ってきたからだ」
後ろから聞こえた声に、私は固まってしまう。
なんとか、ギギギッとぎこちなく顔を動かして、振り返るといた。
笑顔を浮かべた精霊エネルフォレ。
顔の前に垂らした左右の髪が外はねしている。長い若葉色の髪。
瞳は、もう少し濃い色。人間にしか見えない姿。
白いゆったりとしたシャツに身を包み、黒のズボンを穿いた格好。
「これは、どういうことだ? 愛しい愛しいリヴィ?」
だらだらと冷汗を流す私に、エネルフォレは尋ねた。
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