第2話 冬国

 豪雪。吹雪。

 目の前が白く塗り潰されている。

 前から激しく吹きつけてくる突風と雪。

 一人の力では、前に進むことも満足にできなかった。


「大丈夫ー!?」


 ごぉっ! と唸る音に、かき消されないように大声で叫ぶ。

 真後ろで背中を押してくれている相棒へ向けたメッセージだ。

 いまも背中を押してくれている力はなくなっていないので、倒れているわけではないのだろうが……、返事がないので心配になった。


 足を止め、後ろを振り向こうとする。

 踏みしめた足は、膝より下まで積雪によって埋もれてしまっている。

 振り向くのも一苦労だった。


 少しだけ屈んで、相棒と顔を合わせる。

 マフラーで顔のほとんどを覆っているとは言え、それで寒さを全て遮断できるわけではない。

 まったく同じマフラーをしているので、寒いのは身に染みて分かっている。


「チキ、大丈夫?」

「うん、ぜんぜん大丈夫」


 と言うが、元からあまり動かない表情だ。

 両手を上げてアピールしていても、大丈夫そうには見えないが……。

 ちらりとマフラーの隙間から見えた相棒の顔は、寒さのせいで真っ赤だった。

 ずれたマフラーを整える。

 くすぐったそうに、チキは口元だけ微笑み、目を瞑る。


 その時、吹雪が突然、強まった。

 背中を押されて、前のめりに倒れてしまう。

 結果、チキの真上から覆いかぶさってしまった。

 下が雪だったので、それがクッションとなり、怪我はなかった。

 はあ、と一息ついて安心していると、


「ねえ」

 と、チキ。

「ヒック、おもい」


 うわぁごめんごめん! と慌てて立ち上がろうと手をつく。

 ずぼっ、と手が肘の部分まで埋まってしまった。

 全体重はかかっていないが、チキの体に密着してしまう。


「おーい、ヒック……」

「違うよ!? わざとじゃないからね!?」


 位置的に、チキの胸の部分に顔を埋めてしまっている形だが、しかしお世辞にも、チキの胸は大きいとは言えない。まな板とは言えないが、それに近い。

 彼女の年齢を考えれば、妥当だとも言えるのだが。


「いいから、早く起きて。背中から雪が染みてきて冷たい」


 冷静に訴えているが、この吹雪の中、服の中に雪が侵入してくるのは地獄だ。

 唯一の絶対的な安全地帯が侵されているのだ。

 内側から体温を奪われたら、縋るものがなくなってしまう。


 細心の注意を払って、ヒックはゆっくりと起き上がる。

 そして手を伸ばし、チキの手を取った。

 積雪はチキの体の形で凹んでいた。

 チキひとりが埋もれてしまうほどの深さだった。


 弱まる気配のない吹雪を考えると、積雪はさらにかさを増していくだろう。

 立ったまま埋もれてしまうほど、積もる可能性だってないとは言えない。


「ヒック、寒いよ」


 いちど侵入を許したら、次から次へと侵入してくる。

 チキの服の内側に、冷気がどんどん溜まっていく。

 チキの顔色が悪くなっていく。見ていて、衰弱していくのが分かった。

 もって、数十分くらいか。

 それ以上は、いつ命を落としてもおかしくはない。


「チキ、もう少しがんばって! あと少しで、国が見えてくるから!」


 うん、とチキは頷く。

 ヒックの腕をがしっと掴んできた。

 抱きしめるように、ぎゅっと力を強める。

 これが弱くなってきたら、危険信号が赤になったと見るべきだ。


「……それ、離しちゃダメだよ」


 そう言い聞かせて、ヒックは足を進める。

 チキのあと押しがなくなり、しかもチキを引っ張っている状態だ。

 まったく、前に進まない。本当に亀の歩みだった。

 チキには悪いが、正直、近くにある国は、まだまだ先だった。


 数十分以内にたどり着けるとは思えない。

 この視界の悪い吹雪の中だ。

 もしも吹雪がなかったとしても、予想として、小一時間はかかるのだ。

 この吹雪の中、向かえば、さらに時間がかかる。

 もう少し、と何度も何度もチキに言い聞かせて、騙すしかない。

 苦しいと思う。つらいと思う。でも、がんばってほしい。

 挫けそうになることが何度もあるだろう。

 その度に、隣にいて、励ますから。


 ――チキを守れるのは、僕だけだ。

 ヒックは力強く大地を踏みしめる。

 力の行き場が――空間だった。


 積雪を貫き、ヒックの足は空中に投げ出されている。

 大地に積まれた雪ではなかった? 崖からはみ出した雪を、踏んでしまった?


 その時だけ吹雪の風が弱まっていた。

 まるで図っていたかのような意思を感じる。

 向かい風がなくなり、ヒックの体が前に進むのに、なんの障害もなかった。

 支えるものはなにもない。咄嗟になにかを掴もうとしても、そのなにかがない。

 空を切る。手は、鳥の真似をしているだけだった。


「ぃ、――チキ、ごめん!」


 崖から落ちる。察したヒックは咄嗟にチキを抱きしめた。

 できるだけ丸まり、ふたり一緒に。


「……あ。あったかい」


 崖から落下する瞬間、チキのそんな呟きが聞こえた。

 そんな呟きも、次のヒックの悲鳴によって、かき消される事になった。

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