第3話 冴えないおやじ

「おやじ!」

 閉店の下げ札をものともせず、ユーインが店に上がり込む。

「おいおい、店じまいだと言っただろう……。この匂いは……。そうか、奴のデザートを食ってきたんだな」

「仕方なくな。そんな事より、あんたに話があって来たんだ!」

「どうだった」

 ユーインの言葉を無視して、マスターは言った。問い掛けには、無視できぬ重さがあった。

「……美味かったよ」

 迷ったが、ユーインは正直に答えた。そうしなければ、男の友情に反すると思ったのだ。

 それが通じたのか、おやじはにっこりと笑った。寂しい笑みだった。

「だろうな。あんな味は、俺には逆立ちしたってだせねぇ」

「そんな事ねぇよ! おやじには、おやじの良さがあるじゃなぇか!」

「慰めはよしてくれ。言っただろ。もう決めた事だ」

「勝手に決めんな! 俺の気持ちはどうする! 今まで口に出した事はなかったが、この際だから言わせて貰うぜ! あんたのデザートに、俺がどれだけ救われたと思ってる! あれがなかったら、俺はとっくに死んでたかもしれねぇんだ! 苦しい時、辛い時、あんたの出してくれるデザートが俺を支えてくれてたんだぜ!」

 声を震わせ、ユーインが言う。

「なんだいそりゃ。随分と大袈裟な話だな」

 冗談とでも思ったのだろう。軽い口調でマスターが言う。

「大袈裟じゃねぇさ。色々あって、俺はちょっと前まで、厄介な呪いに身体を蝕まれてたんだ。身体中どこもかしこもいかれちまって、舌だって馬鹿になって、味なんか、甘さ以外ほとんどわからねぇ。なにを食ったって、砂を噛んでるみたいなもんさ! そんな中で、おやじのデザートは違った。それが、どれ程の救いになってくれたか、おやじには分かるか!? あんたのデザートにはな、美味しさ以上の何かがあるんだ!」

 そんな事があったとはつゆ知らず、マスターは目を丸くした。

「……ユーイン。あんた、そんな事があったのか……」

「それだけではありませんわ! おじ様がここで諦めてしまっては、わたくしの大好きなスイーツショップもなくなってしまいます! だからお願い、諦めないで!」

「われからもお願いする! おぬしの作るプリンは、わが好物のサウルスの至宝にも匹敵する至高の甘味! こんな事で失われてしまうのは、あまりにも惜しい!」

「あんた達……」

 くたびれた中年男の、けれどよく見れば、少年のような輝きを残すつぶらな目に、じわりと綺麗な輝きが滲んだ。

「俺からも頼むよ。おやじさんがデザート作りを辞めちゃったら、ものすごく沢山の人が困る事になるんだ」

 マスターは足元を見た。そこにある見えない鏡に映った自分の姿を確かめるように。

 そして、やれやれと溜息を吐く。

 くたびれた吐息は、どこか幸せそうな気配を漂わせていた。

「仕方ない。客のあんたらにそこまで言わせたんだ。もう一度だけ、頑張ってみるか」

「おやじ!」

 ユーインも感極まる。

「勘違いするなよ。別に、立ち直ったわけじゃないんだ。ただまぁ、俺としてもな、このまま何もしないで引き下がっちまうのは情けねぇ。しっかりと準備をして、今度はこっちからデザート勝負を仕掛けるつもりだ。あの天才に勝てるとは思わないが、もし勝てたなら、俺は自信を取り戻せる。負けたとしても駄目で元々。すっぱりと諦めがつくってもんだ」

「馬鹿野郎! なに弱気な事言ってやがる! 俺達甘党の為にも勝って貰わねぇと!」

「そうですわ! 文字通り、おじ様にはデザート界の未来がかかっているのですから!」

「そうじゃぞ! われに出来る事があれば言うてくれ! なんだって協力するぞ!」

「みんな、おやじさんのデザートの大ファンなんだ。甘党じゃないけど、俺だってそうさ。だから勝とう! おやじさんの実力は、まだまだこんなもんじゃないはずだ!」

 口々に励ます。その言葉に、誰一人嘘はない。

「はは。こんなくたびれたおやじに残された伸びしろなんてたかが知れてるんだがな。これ以上ぐだぐだ言うのも男らしくない。精々、あんたらの事を信じてみるよ」

「そうこなくっちゃ!」

 四つの声が重なった。


 †


「けど、あいつに勝つにはどうしたらいいんだ?」

 話がまとまると、出し抜けにアルドは言った。

「それが分かれば苦労はないぜ」

 苦い顔で、ユーインはがりがりと頭を掻く。

 うーんと、胸焼けにも似た重い沈黙が圧し掛かると、不意にティラミスが声を荒げた。

「ええぃ! 三人寄れば文殊の知恵と申すではないか! 幸い、ここには時代を超えた大の甘党が三人も集まっておる! われ等が知恵を合わせれば、なにかいい案が浮かぶのではないか?」

「なるほど。流石ティラミスですわ!」

「あぁ。竜の嬢ちゃんの言う通りだ」

「じゃあ、あいつに勝つには、ティラミスはどうしたらいいと思うんだ?」

 アルドが司会にまわって尋ねる。

「うむ! サウロスの至宝がそうであるように、大切なのは素材選びであろうな!」

 自信満々にティラミスが言う。

「ユーインはどうだ?」

「そうだな。おやじがあの若造に勝てそうな所か……。おやじは、料理の腕もそうだが、客の事を考えて新作を作るのも上手いんだ! 奴と戦うなら、そういう所を生かした方がいいんじゃないか?」

「確かに、おやじさんが出してくれたアップルパイは、甘党じゃない俺でも美味しく食べれたもんな」

 実際、思い出すだけでアルドは涎が出て、また食べたいと思った。こんな事は中々ない。

「シュゼットはどうだ?」

「わたくしは、皆様とは違う意見を持っていますわ。確かに、あの方のシュ―アイスは美味しかったですけど、おじ様のデザートと比べて、そこまで大差があったとは思いません」

「そんな事はないだろう」

「シュゼットよ。この場で世辞を言うのは、マスターの為にならぬぞ」

 甘党として矜持だろう。ユーインもティラミスも、はっきりと反対した。

「お世辞ではありません。それにはちゃんとした理由があるのですわ」

「ほう。そんなものがあるのなら、聞いてみたいね」

 マスターも興味が出てきたのだろう。少年のように目を輝かせて尋ねる。

「簡単な答えですわ。この時代の方々やティラミスは、アイスクリームを食べ慣れていません。初めての物って、なんでも感動があるでしょう? だから、余計に美味しく感じたのだと思いますわ。わたくしは食べ慣れていますから、そこまでではありませんでした。あの方は、そこまで計算して、シュ―アイスを出しているのではないかしら」

「そいつは……考えても見なかったぜ……」

「じゃが、そう言われると、その通りじゃな。われも、初めてサウロスの至宝を食した時は、涙が出る程感動したものだ」

「同じ土俵なら、俺にも勝ち目があるかもしれないって事か……」

 真剣な面持ちでマスターが呟く。焦点の合わない瞳は内面に向けられ、勝利へのレシピを模索しているのだろう。

「すごいじゃないかシュゼット! そんなの、全然思いつかなかったよ! お手柄だぞ!」

「ほぇ!? そ、そんな風に褒められたら、照れちゃうよ……」

 不意打ちを受け、シュゼットはイチゴのように頬を染めた。

「三人の意見をまとめる、素材を生かし、アイスという同じ土俵で、なにか新しいデザートを作ればいいわけか。しかし、なにを作れば……」

 考え込むマスターに、アルドは言った。

「俺は素人だけど、勝負を仕掛けるなら、同じデザートがいいと思う。その方が勝ち負けがわかりやすいだろ?」

「シュ―アイスで勝負をするという事ですの?」

 シュゼットが目をパチパチさせ。

「けどよ、それじゃあ猿真似と言われちまうだろ」

 ユーインは難色を示す。

「うーむ」

 と、ティラミスは天秤にかけて悩んでいる様子だ。

 アルドも思いつきで言っただけなので、反論されると困ってしまう。

 結論を出したのはマスターだった。

「いいや。アルドの旦那の言う通りだ。シュ―アイスで負けた借りは、シュ―アイスで返すのが筋ってもんだ。そうだろう、ユーイン」

 にやりと、悪戯っぽくマスターが笑いかける。

「おやじ……なにか閃いたのか?」

「あぁ。……いや、ダメか。ここにある設備と材料じゃ、思い通りの物を作れそうにない……」

「そういう事ならわたくし達の出番ですわ!」

 待ってましたとシュゼットが声を上げる。

「おうとも! これでもブローカーの端くれだ。欲しい物があるなら、なんだって用意してやよ!」

「用意してやるって……お前の専門は呪いの武具だろうが」

「細かいことはどうでもよい! 早く望みの品を教えるのじゃ!」

 三人の甘党がマスターに詰め寄った。

「わ、わかったよ。教えるから、落ち着いてくれ!」

 そうして、アルド達はマスターから希望の品を聞いた。

「なるほどな。アイスを作る為の氷か」

 アルドが言った。

「あぁ。そっちの黒い嬢ちゃんから作り方は教わった。あとは、材料を冷やす氷さえあればなんとかなる。出来れば、ものすごく冷たい奴がいい」

「そいつは俺に任せてくれ。おあつらえ向きのブツを知ってるからな」

 請け負ったのはユーインだ。

「ならばわれは、上質なミルクを担当しよう。われの籠手に誓って、最高のミルクを用意してみせようぞ!」

 自信満々にティラミスが胸を叩く。

「じゃあ、シュゼットはツルリンの種か」

 アルドは言う。

「あいつの種はローストするといい香りのするナッツになるんだが……」

 不意にマスターの歯切れが悪くなった。

「おじ様? どうかしたのかしら?」

「贅沢を言えば、もっと色がきれいで香りの強いナッツが欲しいんだ。上質なミルクに負けないくらい香ばしい奴がな。まぁ、ない物ねだりをしても仕方がない。手に入る物でなんとかやってみるさ」

「いけませんわ! やるからには、ベストを尽くさなければ! 香ばしいナッツなら、わたくしに一つ心当たりがあります!」

「そうかい。なら、嬢ちゃんを信じるよ。すまないが、よろしく頼む」

「えぇ! 魔界に堕した精霊の生まれ変わりである闇のプリンセスに、どどどんとお任せ下さいな!」

「そうと決まれば、手分けして取りに行こう! 目的地まで、次元戦艦で送っていくぞ!」

 頷くと、四人は店を飛び出した。


 †


 最初に次元戦艦を降りたのはユーインだった。時は現代、場所はガルレア大陸の北部、常冬のクンロン山脈だ。

「ぶぇぇぇっくしょん! うぅ、寒ぃ……。しくったぜ……。クソッタレの呪いに蝕まれてる時は痛覚以外ほとんど感じなかったが。こんな薄着でような場所じゃなかったぜ……ぶぇぇぇっくしょん!」

 おやじ特有の雷鳴のようなくしゃみが、クンロン山脈内のトンネルにこだまする。猛吹雪の外よりはマシだが、それでもトンネル内の気温は氷点を大きく下回っていた。

「ぶるるるる……。前にイザナで仕事をした時に、クンロン山脈のトンネルには鐘氷柱とか言う解けない氷柱が生えてると聞いたが……。解けないだけあって、なにかの偶然で落ちたヤツを拾うしかないんだよな。早く見つけないと、こっちがアイスになっちまうぜ……」

 がたがたと身体を震わせながら、薄気味悪いトンネルを駆けまわる。しかし、目当ての物は見つからない。

「ちくしょう! じれったい! 頭の上にはこんなに沢山鐘氷柱が生えてやがるってのに! ……いや、待てよ。落ちてないなら、落しちまえばいいじゃねぇか!」

 閃くと、ユーインは自慢の槌を構えた。

「折角だ。特大のブツを頂くとするか! うぉおおおおお! ラーヴァインパクトォオオオ!」

 燃え盛る闘気を槌に纏わせると、ユーインは高く跳躍し、逆さ吊りの大樹のような鐘氷柱を殴りつけた。

「手応えありだな。……うぉお!?」

 地鳴りのような軋みと共に、砕けた鐘氷柱の欠片が雨あられと降り注ぐ。

「どぁあああああ!? 張り切りすぎたぜ!」

 右に左に飛び回り、なんとか避ける。

「はぁ、はぁ、はぁ……死ぬかと思った……」

 おかげで、身体はすっかり温まったが。

「こんな情けねぇ姿、アルド達には見せられねぇな! はっはっは!」

 快活に笑うと、ユーインは足元に散らばった鐘氷柱を鞄いっぱいに詰め込んだ。


 †


 一方その頃。

 時は古代、ミグレイナ大陸のパルシファル宮殿にて。

 ティラミスはサウロスの至宝で有名な菓子職人を尋ねていた。

「久しいな菓子職人よ! 常連のわれがやって来たぞ!」

 育ての親の顔よりみた菓子職人の顔である。最近は、彼の顔を見るだけで舌が喜び頬が落ちる。ニコニコと年相応の笑みを溢すと、手を振りながら駆け寄った。

「久しいなって、ティラミス様。さっき来たばかりじゃないですか」

 菓子職人が言う。もっともな話で、時空を超えた食べ歩きツアーの出発点がここだった。

「そういうな。ただの挨拶ではないか。それより今日は折り入っておぬしに頼みがあって来たのじゃ」

「はぁ。ティラミス様のお願いだったら、大体の事は聞きますけど……」

「うむ! なんと言ってもわれは偉大なる召竜士であるからな。殊勝な心掛け、褒めて遣わすぞ」

「いえ、これ大の常連さんに対するサービスですけど」

「ぬがっ!?」

 肩透かしを受けて、ティラミスは肩をコケさせた。

「それでティラミス様。頼みと言うのは?」

「う、うむ。その、おぬしがサウロスの至宝に使っている牛乳を少しだけ分けて欲しいのじゃ」

「いいですよ」

「いい返事じゃ! お礼に、おぬしの腕とサウロスの至宝の事は旅先で宣伝しておくぞ!」

「いえいえ。いつも美味しく食べてくれているお礼ですよ。そうだ、丁度今、新作のプリンが出来た所です。食べていかれませんか?」

「えっ!? 新作のプリン!? で、でも、われには大事な使命が……」

「そうですか。お忙しいのなら仕方ありませんね。また今度の機会という事で」

「あ、ぁ……で、でも、ちょっとだけなら、いいかなって……って、分かってるわよプリン! アルド達が待ってるって言うんでしょ! ちょっと言ってみただけじゃない! うぅぅ……」

 保護者代わりの竜に叱られ、ティラミスの目に涙が滲む。

「ティラミス様? どうかしましたか?」

「な、なんでもないもん! 後で必ず食べに来るから、われの分、残しておいてね! 絶対だよ!」

「もちろんですよ! 僕も、一番の常連さんのティラミス様の感想を聞くのが楽しみですから。それじゃあどうぞ。いつも使っている、ミルミルミルキーミルクです」

「ありがとう! 協力、感謝するぞ! それでは、さらばじゃ!」

 早く事件を解決して、新作プリンを食べるんだ!

 ティラミスの頭の中はその事でいっぱいだった。


 †


 最後は未来。

 散り散りになって空を流れるミグレイナ大陸のプレートの一つ、最果ての島だ。

「この程度の相手なら、わたくし一人で十分でしたのに」

 不自然な程規則正しく寄せては返す人口の砂浜を歩きながら、シュゼットが言う。

「ナババと戦うんだろ。一人じゃ危険だよ」

 アルドが言った。シュゼットの強さは知っているが、それでも、女の子を一人で魔物と戦わせるわけにはいかない。

「けど、知らなかったな。ナババの種が美味しいナッツになるなんて。シュゼットはどうして知ってたんだ?」

「以前、ラヴィアンローズでナババの種を使ったケーキを食べましたの。宝石のように綺麗で、口に入れるととってもいい香りがするんですのよ。あれなら、酒場のおじ様のお眼鏡に適うはずですわ」

「あぁ。きっと適うさ」

 そうこうしている内に、二人は海岸沿いを徘徊する黄色い魔物を発見した。

「見つけたぞ!」

「さくっとやっつけて、おじ様に種を届けますわよ!」

 多くの死線を潜った二人にとって、今更この程度の魔物は敵ではない。

 言葉通り、さくっと片付けると、二人は次元戦艦に戻り、仲間達を迎えに行くのだった。


 †


「こいつはすごい! どれもこれも、俺が思っていた以上の品じゃないか!」

 ユニガンの酒場に戻った後。

 集めた品物を受け取って、マスターは声を震わせた。

「どうだ。これならいけそうか?」

 ユーインが尋ねる。

「……どうだろうな。こればっかりは作ってみなけりゃわからん。ただ、一つ言える事があるとすれば……」

 自分よりもはるかに若いパティシエに負け、自信をへし折られ、すっかりしょぼくれた冴えないおやじの姿はそこにはない。

 そこにあるのは、ただ純粋にデザート作りを楽しむ、子供の心を持った大人の姿だけだ。

「俺は今、無性にデザートを作りたくてたまらないって事だ!」

 元気いっぱいに叫ぶと、おやじは威勢よく腕をまくり、奥の厨房に消えていった。

「おやじ……」

 感慨深げに、ユーインが呟く。

「おじ様、すっかり調子を取り戻したみたいですわね」

「うむ! 少し前まであんなにしょぼくれておったのに! すっかり別人のようじゃ!」

 アルドの胸にも、出来立てのジャムのように熱い想いが宿っていた。

「あとはおやじさんに任せて、デザートが出来るのを待とう」

 今はただ、信じて待つほかにない。

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