第14話・とある騎士見習いたちのはなし・1


 修練場の真ん中に、たいそうふてくされた顔がふたつ。


「何をやったんだ、坊主ども」

 砂埃にまみれ髪はぼさぼさ、あちこちにすり傷をこしらえたふたりの騎士見習い――レオとヴァルターを、呆れ顔で見やったのは砦いちのお調子者だ。三人の周りでは、たった今まで起きていたつかみ合いを止めようとしたり、逆に煽っていた少年たちや若い騎士たちが様子をうかがっている。

「誰が坊主だ」

 睨み返すわがまま侯子に、そういう所が坊主なんだよと応じると、ウォリックのサイモンは、口を真一文字に引き結んだまま押し黙っているヴァルターへと視線を転じてきた。

「だいたいおまえも、どうしてとねりこの坊主がからむといつもこうなんだ」

「それはこちらの台詞です、ウォリック卿」

 煙水晶の双眸で西の騎士を見すえて、ヴァルターは不服そうに口を開く。

「こいつの尻ぬぐいをさせられる、わたしの身にもなっていただきたいものです」

 生真面目な少年のことばに、わがまま侯子が聞き捨てならないとばかりに眉をつり上げる。

「誰がおまえにそんなことを頼んだ」

「頼まれたってお断りだよ、俺だって」

「ふん、腰ぬけ鵞鳥がちょうがえらそうに」

「砂まみれのいのししには言われたかないね」

 辛辣なヴァルターのことばに、猪呼ばわりされたレオが激昂する。互いに噛みつかんばかりの仔狼たちをすんでのところで引きはがし、いい加減にしろとサイモンが声を上げようとしたときだ。


「何の騒ぎだ」

 呆れ半分、面白半分で騒ぎを眺めていた周囲の空気が、一瞬にして静まりかえる。修練場の入口に、その人となりを以て鬼と怖れられる副団長と、黒髪の騎士の姿があったからだ。

「エクセター」

 サイモンに首根っこを掴まれた少年たちの様子から、ことのなりゆきを見抜いたか。鋼の双眸をギルバートに向けることもなく、峻厳なる砦の鬼が口を開いた。

「ままごとでも教えているのか」

 居ならぶ騎士見習いたちや、叙任まもない騎士たちが思わず震え上がるほどに凍えた声にも、砦いちの無愛想は動じた様子も見せなかった。

「<灰色狼>の作法ならば」

「子犬のじゃれあいがな」

 容赦のない一言に、あるじがどう答えるのかとヴァルターがはらはらしたときだ。

「誰が子犬だ」

 静まりかえった場に、はっきりと響いた声があった。見れば隣にいるレオが、副団長を鋼玉の双眸で睨みつけているではないか!

「この老いぼれ狼」

 わがまま侯子の一言に、周囲の空気が凍りつく。すわ雷かと、首をすくめた少年たちやの目に映ったのは、当の老いぼれ狼のおかしげな表情だった。

「牙が疼くか、小僧」

 老騎士の揶揄にも、とねりこの侯子はひるむ様子さえ見せはしない。

「そのうち、老いぼれ狼の尻にも噛みつくだろうさ」

 傲然と言い放ったわがまま侯子に、ならば来いと副団長は笑う。

「分もわきまえぬ若造の喉笛を食い裂く気概は残っている」

 猛る仔狼を悠然と受け流し、老いたる灰色狼はまたも振り返ることなく、エクセターと呼ばわる。

「小僧どもを、明日の修練に組め」

 副団長のことばに、周囲のものからどよめきが起こる。

 場数を踏んだ騎士たちですら、まともに渡り合えるのはごく少数だという副団長じきじきの修練に、騎士見習いが加えられることなど今までになかったからだ。先を越された年長の少年や新米騎士の中には、面白くなさそうにレオとヴァルターを睨みつける者までいる始末だ。

「直々に手合わせを?」

 何遍死ぬことやらとこともなげに応じたあるじに、血の気が引いたヴァルターは必死で懇願する。


 お願いですから隣で喜んでいるデュフレーヌの猪と俺とを一緒にしないでくださいだいいち副団長はお若いときから剣技において誰もかなう者はいなかったとうかがいましたがギルバートさま。


 懸命の祈りが通じたか。しばし考え込んでいたギルバートが副団長に向かって口を開いた。もしかしたら、自分は見逃していただけるようお願いしてくださるのではと、期待を抱いたヴァルターだったが、

「御意」

「ギルバートさまッ!?」

 悲鳴じみた声を上げる少年の肩を、いたわるように叩いたのはウォリックのサイモンだった。

「腹ぁくくれ、坊主」

「冗談じゃありません」

 ひとごとだと思ってと、反論しようとしたヴァルターをさらに苛立たせたのは、そら見たことかと得意げに胸をそらすわがまま侯子だった。

「似たり寄ったりの連中相手じゃ、話にならないからな」

 騎士見習いの中では、もはや誰ひとり疑うもののない実力からくる自信と、権門の跡取りらしい尊大さとをのぞかせるレオ。双の鋼玉が年長の少年たちを一瞥すると、それまでやっかみを隠そうともしなかった連中がたちまちひるんだのは、今はなき王家につらなる血がなせるわざなのか。

「ヴァルター、おまえも来い」

 楽しみが増えてちょうどいいじゃないかと笑ったわがまま侯子に、ふいにこみ上げてきた怒りをとどめる術はなかった。

「だったら一人でやれ」

 生真面目な少年が放ったいつになく険しい声に、レオがぽかんとした顔をした。まるで断られるなどとは、微塵も思っていない表情だった。

「おまえみたいな向こう見ずと一緒くたにされる、こっちの身にもなってみろ」

「ヴァルター」

「俺はいやですからね」

 ギルバートの声音が諫めるような響きを含んだことを知りながら、それでも少年は言わずにはいられない。

「主従そろって、これ以上こいつのわがままに振り回されるなんてまっぴらだ」

 さらに口を突いて出かかったことばをとどめたのは、いつになく静かな声だった。

「わかった。ひとりでやる」

 どうせ誰もついてこられないしなと呟いたレオの表情に、心がじくりと痛んだのだけれども、

「好きにしろ」

 放ったことばでますます自分がみじめになってゆくさまを、これ以上さらす気にもなれず。生真面目な騎士見習いは、とどめようとするサイモンを振り切って修練場を後にするのだった。



             ◆ ◆ ◆



「ふざけるな」

 騎士見習いたちがそろって寝起きする部屋へと歩みを進めながら、ヴァルターはひとりごちる。

「何が明日の修練だ」

 猛者ぞろいの<狼>たちですら、実戦さながらの覚悟で臨むほどだ。あるじのギルバートやリシャールでさえ、剣を取り落とさないようにするのがやっとだなと互いにこぼしながら、こしらえた打ち身や痣に顔をしかめていたものだ。

 そんなところにただの騎士見習いが放り込まれたならば、どうなるかは容易に想像がつこうというもの。抜刀する間もなく砦の鬼に沈められ、みっともなく地べたに転がるのが関の山だ。

「おまえといっしょにするなってんだ、このちび狼」

 デュフレーヌの猪、向こう見ず、かんしゃく玉。

 その気性と行動から、砦の人々がわがまま侯子に奉った数々の綽名を並べ立て、<母なる御方>への愚痴もついでにつけ加え。憤懣やるかたないヴァルターの様子は、守備に就いていた兵士たちの興味を引いたらしい。

「何だ、またとねりこの坊主と喧嘩か」

 よくやるなあと声をかけてきた顔なじみの兵士に、違いますと即答する。

「あんな奴、俺が知ったことじゃありません」

「その割にゃよくつるんでいるじゃないか。金髪ちゃんに赤髪ちゃん、ダウフトさまを入れて五人で」

 父とそう年齢の変わらない、壮年の兵士が笑うさまにヴァルターは肩を落とす。三人娘はともかく、レオと自分がひとくくりで見られていたという事実がなんともやるせなかったからだ。

「あんな奴と一緒にしないでくださいっ」

 少年の主張は、能天気なおとなたちの能天気な笑いに勢いをそがれるかたちとなった。

「そうかっかするなって、友だちじゃないか」

「いくさ場にも出てきやしねえお偉いさんに比べりゃ、坊主のほうがはるかにましだろうが」

「修練場で<狼>の兄さんがたにぼこぼこにされちゃあ、ちび狼がえらい剣幕で噛みついてるのがまた見ものだし」

「まあ、多少にぎやかなくらいがうちの砦らしいからな」

 そもそも砦にやってきた経緯からして、人騒がせなことこの上なかったいうのに。どうやら砦の人々は、レオの傍若無人ぶりをからりと笑い飛ばす図太さを会得しつつあるらしい。

 あれのどこが多少なんだよ。

 おいどうしたと問いかける兵士たちには応じることなく、ヴァルターはその場を離れて歩き出す。


 羽目を外しすぎたり、読書の邪魔さえしなければ、気難しそうに見えてたいていのことには寛容なあるじのもとで、それなりに平穏だったヴァルターの生活は、レオが押しかけ同然に砦の騎士見習いとなったことですっかり一変してしまった。

 いつでもどこでも、何をするにもふたりで一緒。ひとくくり。

 武芸の稽古にはじまって、森や近隣の村々に出没した魔物の掃討まで。半人前の騎士見習いがふたりで組むときには、必ずレオとヴァルターの名前がそろって告げられる。

 なんで俺なんだよと、断固反対したところで虚しいだけ。

 ひとりよりはましだと判断したらしいレオに、いいから来いと引きずられていき――そうしてたいていはありがたくない騒動に発展し、そろって<狼>たちから説教を食らうこともしばしばだ。

「適当に混ぜた薬どうしが、ごぼごぼと反応をしめすようなものね」

 もはや、何度目か数えるのも忘れた取っ組み合いののち。散々な姿を並べるレオとヴァルターを前に、ほんとに子供よねあんたたちってと呆れるレネを、ダウフトがやんわりとなだめていたものだ。

「騎士団長と副団長も、見習いのころはよく喧嘩をしておられたそうですよ」

 すり傷に切り傷にひっかき傷、痣やたんこぶの勲章であざやかに飾り立て。<オルテスの鷹>と称されしガスパールの雷を食らいながら、ふたりでいっしょにふてくされていたのだとか。

「きっとレオもヴァルターも、喧嘩をするほど仲がいいんだと思います」

 のんきな聖女のことばに、冗談じゃないと叫んだふたりの騎士見習いは口々に反論する。

「こいつと組まずに済むよう、ダウフトさまからもギルバートさまにお願いしてください」

「があがあと騒ぎたてるこのおしゃべり鵞鳥を何とかしろ、ダウフト」

 売り言葉に買い言葉。一触即発の危機は、長老さまの煎じ薬でもどうかしらとすすめてきた凄味のあるレネの笑いと、たまげたダウフトの制止によって回避させられたのだが。

 一事が万事この調子。歩く傍若無人につきあわされ、ぶつかりあい、そのつど気力も体力もすり減らされてばかりいる凡人はたまったものではない。

「だいたい、ギルバートさまも人がよすぎるんだ」

 修練場で自分を諫めようとしていたあるじを思い出し、ヴァルターはさらにふてくされる。

 わがまま侯子なぞ、お守りを押しつけられる前にさっさと簀巻きにしてとねりこ館へ送り返せばよかったのだ。砦にやってきたとき、聖女らしからぬ村娘に反感を抱くレオを案じた奥方が、原因を解くようにあるじへと命じたことも、その後のなりゆきに少なからず関わっていると人づてに聞いたものだ。

「何も、ギルバートさまじゃなくたっていいじゃないか」

 多忙なあるじを煩わせてばかりいる、わがまま侯子への苛立ちがまたもやこみ上げてくる。さらに腹立たしいのは、そんなレオに、あるじがうんざりした顔を見せながらも辛抱強くつきあっていることだ。

「放っておけばいいのに、あんな奴」

 不満いっぱいの表情は、聞き分けのない小さい弟に、頼りになる兄をすっかり占領されてしまった子供のよう。修練場でレオが見せた表情をつとめて思い出さないようにしながら、部屋にたどり着つくべく、回廊の角を右に曲がったときだ。


「すみません」

 誰かにぶつかったのだと、気がついたときには遅かった。石の床に、書庫から借りてきたとおぼしき本たちがばさばさと落ちてゆく。拾い上げようと慌てて身をかがめたヴァルターに、ご案じなさいますなと至極穏やかな声がかけられる。

「わたくしひとりで、拾うことができますゆえ」

「トマスさん」

 よっこらしょ、と悠長なかけ声とともに床にしゃがみこみ。これは二冊目、はてこれは五冊目だったかなと、拾い上げた本の表題を確かめているのは、デュフレーヌ家からレオに付き従ってきた老人だった。

「『沈黙は金』、『羊をよける七十二の方法』……はてこれは」

「オードの民話集です。こっちはリャザンの」

「おお、それでございます。聖エウラリアが綴られた<魔槍戦役>のてんまつ」

 北方教国に穿たれた深い傷痕を忘れぬようにと、<詩聖>エイレネの妹によって編まれた年代記を手に取り、トマスは満足そうにうなずく。

「エクセター卿の父祖のおひとりは、リャザンの生まれであられましたな」

「ムーロムのイリヤなる、遍歴僧兵だったと聞いています」

 守るべき故郷に荒廃をもたらし、敬慕の情を寄せていた大教母エイレネを喪ったのち、リャザン僧兵の中にはかの国を離れ漂泊の身となった者も少なくなかったという。流浪のはてにエクセターにたどりつき、そこで共に生き、共に歩み、共に土へ還るさだめを分かちあう者を見いだしたあるじの父祖も、そうした者たちのひとりであったのだろう。

「こんなにたくさん、どうしたんですか」

 拾い集めてみれば、十冊ほどの本がトマス老人のもとに戻っている。向こう見ずが好き勝手をしている間に、読書でもなさるのかなとヴァルターが思ったとき、

「若さまのご所望にございます。紙片に記した本を、書庫へゆき片端から借りてくるようにとたいそうな勢いで」

「あいつが?」

 思わず上げた声に、ヴァルターは慌てて口を塞ぐ。わがまま侯子が本を広げるときは、まるで何かの苦行かと見まごう表情をしていることが多かったからだ。

「いえ、その」

 失礼きわまりないヴァルターのことばにも、よいのでございますとトマスは鷹揚に笑う。

「若さまの書物嫌いは、とねりこ館にあってもつとに評判でございましたゆえ」

 それがいったい、どういう風の吹き回しか。

 本なんて枕の代わりだと公言しては、泉下のお父上とお母上がたいそうお嘆きにと爺やを落涙させてばかりいたレオの様子が、最近は少しずつ変わってきたのだという。

「これも、皆さまの薫陶のたまものにございましょう」

 いちばんの原因は、ギルバートさまだろうな。

 外つ国のめずらしいはなしを読み聞かせるあるじに、緑の瞳を輝かせている村娘の隣に陣取って、一字一句たりとも聞き逃してなるものかとばかりに、じっと耳をそばだてているレオの姿が浮かぶ。

 ギルバートさまのまねっこかよと、ちょっぴり意地の悪い考えがかすめたりもしたのだけれど。よくよく見れば、トマスが手にしている本たちは、幼いあるじの好みがそれなりに反映されているものもあるようだ。

「『剣術指南、巻の二』、『騎士イサンブラスの遍歴』『シエナ・カリーンのマルコによるアスタナ往還記』」

「旅行記がたいそうお気に召したようでございます。遠き異国の文物を、間近で見てみたいものだとこの爺にも話してくださいます」

 いつの間に、こんなものを広げるようになっていたのだろう。もしかすると修練ののち、昼寝の時間だと堂々と宣言しては姿を消す、あの二、三刻のあいだだろうか。

 そんなことを考えていたヴァルターの前で、本を抱えたトマスが立ち上がろうとする。けれども一度に持ち上げるのは無理であったらしく、ふらふらとよろめいてはまたも本を取り落としそうになる。

「俺が持ちます」

 慌てて、老人から数冊の本を取り上げる。ずしりと重い一冊が「植物大全」であることに気がついて、ヴァルターはぎょっとする。きっと今頃は、書庫に務めるのっぽの学僧が、三千頁の相棒がいないことでさぞさみしい思いをしているだろう。

「これはいたみいります、ヴァルターさま」

 老人の丁寧なことばが、少年にはなんだかむず痒い。一兵卒の息子にしかすぎない自分を、ヴァルターさまなんて呼ぶ必要など、これっぽっちもありはしないというのに。

「へ、部屋はどっちでしたっけ」

 居心地の悪さをごまかすかのように、きょろきょろとあたりを見まわしたヴァルターに、この先をすこし左に曲がったところでございますとトマスが笑う。

「よろしければ、茶のひとつでもいかがですかな。ヴァルターさま」

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