左利きは早死にするか
【はじめに】
左利き早死に説という言説をどこかで耳にしたことがある人は多いと思うが、現在ではこれは正しくない(より慎重な表現をするならば、説を支持し得る結果は今のところ報告されていない)ことがわかっている。Wikipediaにも正しくないと書いてあるし、いまではこれを主張している記事等に遭遇する方がまれになってきた。
では、現在では左利き早死に説にどういう状況で出会うかというと、雑談などでの発言で触れることがほとんどである。そういう発言をする人は、左利き早死に説が世の中に初めて出てきたときに大きな衝撃を受けて、その後、知識が更新される機会がないまま今日まで過ごしてきたのかもしれない。
なんにせよ新発見は大々的に広められがちである。一方、後になって発見の熱が冷めたころに、実はあれは間違ってましたとすごすご発表しても、めったに注目されない。したがって、左利き早死に説をいまでも主張する人に出会ったとしても、ある程度はしようがないところもある。だれもが自分で気づかないだけでとっくに陳腐化した知識を山ほど持っていることだろう。
しかしそれはそれとして、新しくて正しい知識で上書きするに越したことはないので、調べてわかった範囲でわかったことを書く。
【左利き早死に説】
左利きは右利きよりも早死にするという説は、Coren and Halpern(1991)の論文が根拠とされている。今日ではこの論文については統計手法や考察に誤りがあると指摘されているようだが、この際具体的な内容を実際に確認してみよう。
この論文では、まず、年齢ごとの利き手についての結果が紹介されている。それによれば高齢者において左利きは少ないとのことである。ただし、著者らもこの結果だけを根拠に直ちに左利きは早死にするとは主張しておらず、左利きの高齢者が少ないのは昔は利き手交換の圧力が強かったためであると一旦は推測している。実際、年代に伴って左利きが増加することはほかの論文でも報告されている(Ferres et al., 2023)ため、これは事実そうなのであろう。文明の近代化やなんらかの発明が左利きの増加に関与している可能性もゼロとはいえないが、今のところはそういう因子は発見されていない。よって、年代に伴う左利きの増加は、社会的に利き手交換の圧力が弱まったためであると解釈した方が自然だろう。
話は少し逸れるが、左利きの人に対する利き手交換の圧力と関連した話題として、バラク・オバマ大統領が左利きで、左手で公文書に署名していたことは記憶に新しい。オバマ大統領の就任前後で左利きが増えたかどうかについての調査結果は見つからなかったが、下記URLの記事によれば、オバマ大統領が左利きであることを歓迎した左利きの人々もいたそうである。
もう1つの少数派「左利き」もオバマ新大統領を歓迎
https://www.afpbb.com/articles/-/2563579
話を戻して、著者らは利き手による寿命の違いを検討するために、手始めに野球選手を対象として調査している。論文によれば「選手名鑑などを見れば生没日と使う手が明記してある」ことが野球選手を対象とした理由らしい。野球の場合、左打ちが有利なため、本来右利きでも左打ちに転向した選手も少なくないことが気になるが、論文には「強い右利きと左利きを対象とした」と書いてあるため、おそらく、「右投げ・右打ち」と「左投げ・左打ち」の選手だけを対象としたような気がする。
さて、その結果だが、右利きの平均寿命は64.64 ± 15.5歳(N = 1472)、左利きは63.97 ± 15.4歳(N = 236)とのことである。論文には「有意差なし」としか書いてないので念のためウェルチのt検定で両側検定した結果を載せると、t = 0.620, df = 316, p = .536、となるようである。
この結果で「利き手で寿命に差はない」で終わってもよさそうなのだが、やはり研究者というのはしぶとい生き物らしく(私の人生におけるモットーの一つは、ヤクザとインテリには喧嘩を売るな、である)、「データは正規分布に従っていないような気がする」ということでノンパラメトリックな検定をやり直している。事実、人間の寿命は下記URLに示すように正規分布に従わないので、ノンパラメトリックな検定を使うこと自体はおかしくなさそうである。しかし、右利きと左利きの寿命の差を調べるためにラン検定(ワルド・ウォルフォウィッツのラン検定)を行っているがどうなのだろうか。私は統計解析に明るくないので私が間違っている可能性の方が高いかもしれないが、2群の値の違いはU検定(マン・ホイットニーのU検定)を使うように習った遠い日の記憶がなくもない。ただ、正直よくわからない。とかく統計学は退屈である。しかしともあれ、ラン検定によれば右利きの方が寿命が有意に長い(p < .001)という結果になったそうである。
平均寿命及び死亡数が最大になる年齢(男女別,平成24年)
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h26/zentai/html/zuhyo/zuhyo01-00-01.html
野球選手を調査対象として左利きは早死にするという結果が(著者らの主張としては)示されたが、しかしやはり釈然としないものが残る。サンプル対象が特異的な気がするし、利き手の判定も不明な部分があるし、統計解析の手法も腑に落ちない。そこは著者らももちろん把握していて、もっと幅広い人たちを対象に改めて調査を実施している。2875世帯に手紙を出して「故人の利き手と寿命」を尋ねて、全部で987個の解析可能なサンプルを収集したとのことである。
その結果、右利きの平均寿命は75.00歳、左利きは66.03歳だったそうである。利き手と性別を要因とした二元配置分散分析の結果が報告されており、利き手と性別の主効果は有意(いずれもp < .0001)で、それらの交互作用は有意ではなかった(p > .1)とのことである。
この結論として、「左利きは右利きよりも9年早死にする」という説が一時期流布したわけである。しかし、これは変な話で、前述のとおり1991年当時の高齢者には左利きが少なく、その理由は寿命ではなく利き手交換の圧力のためであると著者らも一旦は推測している。論文では「左利きの高齢者が少ないのは昔の利き手交換の圧力ではなく、長生きできないからである」と、前言を撤回する形で主張しているのだが、議論の進め方に飛躍があるように感じる。
第一に、もし左利きの高齢者が少ない理由が利き手交換の圧力のせいではないことを主張したかったのであれば、調査において質問として「かつて利き手交換を強いられたか」も確認しなければならなかったのではないか。質問は故人の近親者に行われたため、故人の生得的な利き手がどちらかというのはわからないと判断して聞かなかったのかもしれないが、親や配偶者などが近親者に対して「私はもともとは左利きだったのだよ」と伝える機会というのは、それほど突飛ではないだろう。
利き手の交換は、ほとんどの場合は書字の場面を想定している。したがって、本来は左利きの人でも右手で書くことを強いられて、その結果、周囲には右利きと誤解されるというのはあり得る話である。一方、野球で本来は左利きの人が左打席に立ってもそれを変更させたがる指導者というのはめったにいない(内野手の左投げを右投げに変更させたがる指導者はいるだろうが)。そう考えると、近親者に故人の利き手を尋ねるよりかは、野球選手の投げ手と打席で利き手を判定する方が、案外、本当の利き手を反映していたように思えてくる。そして、野球選手においては利き手で平均寿命に差はないと結論付けた方が妥当だったのだ。
第二に、左利きが早死にする理由として、世の中は右利き用に作られているため、左利きの人々は日常生活において多大なリスクを抱えているからである、と著者らは考察している。これは一見もっともらしく聞こえるが、しかしよく考えてみるとやはり変である。百歩譲って、左利きは右利きよりも事故に遭いやすことを受け入れるとしよう。それでもなお、少なくとも最近の日本でいえば、40歳まで生きた人の主要な死因はがんを始めとした病気なのである。私もこれを読んでる大部分の人々も、最期は不慮の事故とは関係のない死に方をベッドの上で迎えるのである。そのため、仮に左利きの方が事故に遭いやすかったとしても、それが平均寿命に大きく影響するとは考えづらい。
死因順位(第5位まで)別にみた年齢階級・性別死亡数・死亡率(人口10万対)・構成割合
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suii09/deth8.html
そもそも、左利きの方が事故に遭いやすいという仮定も直ちに同意しがたく、左利きを原因とする労働災害事例が容易には見つからなければ、利き手で保険の掛け金が変わるなんて話もついぞ聞いたことがない。事故ではなく日常生活のストレスが病気に悪影響を与えると主張しようにも、左利きの方ががんや心疾患にかかりやすいという話も聞いたことがない。左利きの人々が日常的にさまざまな不便を強いられていることは確かだろうが、それが寿命を9年も縮めているとは思えない。
職場のあんぜんサイト:労働災害事例
https://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzen_pg/SAI_LST.aspx
以上より、左利きの方が早死にするという説は、Coren and Halpern(1991)の調査の結果から主張することは相当に無理があるといえそうである。
【参考文献】
Coren, S., & Halpern, F., D. (1991). Left-handedness: a marker for decreased survival fitness. Psychological Bulletin, 109(1), 90-106.
Ferres, J., L., et al. (2023). Modeling to explore and challenge inherent assumptions when cultural norms have changed: a case study on left-handedness and life expectancy. Archives of Public Health, 81(137).
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