7話 幼馴染とか手料理とかetc...



 肩にかからないくらいの長さで切りそろえられた黒い髪。女性の髪形に疎いので名称が出てこない。ボブカットとか言うんだったか。

 顔は小さく丸い、目も大きく真ん丸だ、髪形も相まってかわいらしい人形のような印象を受ける。ざっくりと言ってしまえば童顔である。これをいうとむくれるので言わないようにしているがいつ見ても思う。


 この容貌でドアの向こうからひょこりと顔を出しているのだから余計に子供っぽく見える。顔つきを見るにどうやら恨めしくて睨んでいるといった様子であるがどうにも迫力がない。妖怪としては三下以下である。座敷童のほうが幾分か怖い。


 こいつが香月優葉。現在、とある事情で学校に来られていない、俺の幼馴染の一人である。彼女が一番付き合いが長いだろう。その上母親同士が学生時代の同級生で家族ぐるみの付き合いもある。


 何度も言うようだが、この年にもなるといくら昔馴染みとはいえ家にお邪魔するというのは少々気が引けるものである。女子高生の家に遊びに行くというワードだけ見れば何か起こりそうな予感がするではないか。詳しくは言わない、つまりそういうことだ。


 ならばなぜ俺は今この家にお邪魔しているのか、ご飯をご馳走になるためだっただろうか。いや、お誘いが来る前にはすでに家に上がっていた気がする。和咲ちゃんの勉強を見るため、それも家に上がった後だ、違うだろう。ゆっくりしすぎて何をしに来たのかすっかり忘れてしまった。もう頭の中はご飯でいっぱいである。食事の前では些末なことだ。忘れよう。


 恨めしそうな顔をした優葉が

「勉強見てくれるんじゃなかったの!」


 現実逃避したところで逃避できるものではない。俺はこいつの勉強を見るために香月家にお邪魔していたのだ。しかし、先に和咲ちゃんと紬の勉強を見ることになってしまったし、そうこうしているうちに晩御飯の用意も終わってしまいそうだ。


 優葉には年長者として少し我慢してもらうしかない。


「ちょっと予定変更。先に紬と和咲ちゃんの勉強見ることになった」


「この浮気者!」


「あんたはこっち手伝いなさい」


 襟元にお母様の手が伸びる。無抵抗のまま引っ張られていく優葉は、納得できないという表情でこちらを睨む。


「うぅ……」

 突然現れた闖入者はキッチンへと拉致されてしまった。


 何はともあれ邪魔者はいなくなった。これで集中して勉強を教えられるというものだ。


 とりあえず二人の課題を解いている様子を見ることにする。中学生ともなればあまり口出しされるのもいい気持ちはしないだろう。向こうがアドバイスを必要とするまで黙って見守ろう。


「お兄ちゃんあんまりジロジロ見ないでよ」


「じゃあどうやって勉強教えてやればいいんだ」


「私は別にいらないってば」


 やけに反抗的である。兄弟やら親やらと一緒にいるところを友達に見られたくないという気持ちは十分に分かる。だから否定する気もないが、それでも突っぱねられると少し寂しい部分はある。


「そーだそーだ!柊人もこっちを手伝え!」

「ほら、さぼらないさぼらない」


 野次を飛ばしてきた優葉がまたキッチンへと連行された。


 キッチンの方はというと、賑やかに調理をしているようで親子の仲の良さを感じさせる。そんな騒がしさすらも心地のいいBGMのようだ。再び二人の勉強を眺める。


 すると和咲ちゃんがこちらを向いた。


「お兄さんこの訳ってこれで合ってる?」


 それは英語の和訳の問題だった。教科書通りに訳されてその文章は、回答として問題こそないもののやはり不自然な日本語分になってしまっていた。


「ん、合ってるっちゃあ合ってる。けど、ニュアンスが硬いからもっと使い慣れてる日本語でいいぞ」


「これで辞書通りじゃないの?」


 紬が納得いかないといった表情でこちらを見る。


「それはそうなんだけど、日本語だって辞書のまんまのガチガチの意味で使わないだろ。それと同じ。『しばしば』なんて日本語普段使わないから、口語ならたまにとか、時々でいいよ。単語の意味聞かれる問題とか、地の文ならちゃんと辞書通りに訳した方がいいと思うけど」


「……なるほど」


 少ししかめたような顔をして紬が自分の課題に戻る。どう見ても『なるほど』という顔ではないが、納得したならいいだろう。


 キッチンの方から騒がしい足音が聞こえてくる。


「ほらほら片付けなさい!」


 お母様がものすごい勢いで片づけを促す。


 テーブルの上に広げた教材を片付け、布巾で手早くテーブルを水拭きする。


 食欲をそそる匂いとともに食卓に現れたのはハンバーグだった。


 程よく付いた焼き目と、上からかけられたデミグラスソースは約束された美味しさを演出している。



「ところで優葉って料理できたんだっけ」


 優葉が料理をしているところというのは家庭科の調理実習の時しか見たことがない。つまり見たことが無いに等しいということだ。


「ま、まぁ人並みには」

「普段は全然やらないけどね~」

「和咲!黙ってなさい!」


 顔を真っ赤にして優葉が怒鳴る。どうやら図星らしい。


「え~だって本当のことじゃん。お姉ちゃんが台所に立ってるところなんてバレンタイン以外見たことないよ」

「そんなことない!さすがにもうちょっと料理してるもん!」

「本当にそうかしらね。お母さんにも覚えはないけど」


 優葉がついに膝から崩れ落ちた。どうやら彼女に味方はいないらしい。


「うっ……。みんなして私をいじめるんだ……」

「大丈夫ですよ優葉さん。うちのお兄ちゃんも料理しないので」

「紬、それはフォローとは言わないぞ。見てみろ優葉の顔を」

「え、え?私なんか変なこと言った?」


 やはり優葉に味方はいないようだ。朝から妹に起こされ、家事もほとんど母親と妹に任せっきりの俺なんかと同列にするのはどう考えてもフォローではない。優しさは方法を間違えると鋭利な刃になりかねないのだ。きっと紬は今日それを学んだに違いない。


「大丈夫だよ。お姉ちゃんのことは放っといて」


 踏んだり蹴ったりである。流石に紬でもここまで冷たくはない。


「そんなに疑うなら食べてみなさいよ!」


 それもそうである。料理を普段からしているかしていないかは指標の一つでしかない。作られた料理がおいしいか美味しくないか、料理はそれがすべてなのだ。


「いただきます」


 表面はしっかりと焦げ目がついている。割っても肉汁はあからさまに溢れてはこない。タネがしっかりと水分をつなぎとめている証拠だ。噛んだ瞬間にじんわりと広がる肉汁、


 誰が作っても同じクオリティのハンバーグはできるだろう。多分母親の作るハンバーグと大差ない、大差ないはずなのにどうしてここまで俺は味わって食べているのだろうか。俺が普段味わって食べていないだけでそもそもハンバーグというのは元からこれくらい美味しいものなのかもしれない。


「普通に美味しいよお姉ちゃん」

「でしょ!」


 和咲ちゃんからお褒めの言葉が出た。俺も同意見である。


 そういえば優葉の手料理を食べるのはいつぶりだろう。毎年バレンタインに実験台として大量のチョコレートの試作を食べ続けてきたが、料理となるとそれこそ小学校の調理実習以来かもしれない。あれを手料理と称していいかどうかは疑問が残るところだが。


「お姉ちゃんやればできるじゃん!」

「もっと褒めてもいいんだからね」


「優葉さんのお料理美味しい……」

「ほんと!?嬉しい!」


 絶賛の嵐である。


「なんだよ」

「まだちゃんと感想聞いてない」

「……美味しかったよ」

「良かった」


 にこりともせず自分のハンバーグを食べ始める。せっかく褒めたのだからリアクションの一つくらいあってもいいだろうに。


「お姉ちゃん我慢しないで喜びなよ」


 和咲ちゃんに言われ頬を赤くする。幸か不幸か色白なせいで感情が顔色に出やすい。どうやら何か思うところがあったらしい。


「別に我慢なんてしてないわよ!」

「ふーん」


 その後も賑やかな夕食は続いた。いつぶりだろうか、考えても思い出せないくらい前の記憶だったような気がする。


 結論を言うと、晩御飯をごちそうになって本当に良かった。


「じゃあ柊人は今度こそ私に勉強教えて」

「分かったよ」


 料理の出来栄えを褒められた優葉は先ほどから上機嫌である。


「じゃあ私はそろそろ帰ります」

「紬もう帰っちゃうの?」


 和咲ちゃんが名残惜しそうに言う。


「うん、洗濯物取り込まなきゃ」


 紬もどことなく寂しそうだ。


「偉いわねえ」

「あ、お菓子持ってきたので食べてください」

「兄妹そろってできた子ねえ」


 紬が褒められてむず痒そうな顔をする。


「それじゃ私はこの辺で」


 時刻は19時30分といったところだ。すでに外は真っ暗だろう。流石に一人で帰らせるのも心配である。


「紬、送っていくか?」

「ううん、一人で大丈夫」


 こちらを見据えた目には『子ども扱いするな』という意思が見て取れた。


 この辺は住宅街で車通りも多くない。そう神経質になることもないだろう。


「分かった。気を付けてな」

「お兄……ちゃんもね」


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