第十六話『天使と特撮―1』
知恵とロトは談笑していた時、胡桃からロトの横暴を聴かされたアリアは頭に血が上って徐に蜜柑を掴んだ。
「ちょっとロト! こっち向きなさい! 胡桃の仇を打つんだから!」
「なにかしら? ――って危ないわね」
言われた通り振り向いたロトだったが、咄嗟に飛んできた蜜柑を避けた。
天使の力によって投げられた蜜柑は窓を突き破って、遠くへと飛んで見えなくなってしまう。間近で犯行を目撃した胡桃と知恵は唖然である。
「くっ! 避けるのは禁止! あんた我が友、胡桃の目を潰したんでしょ! その罰よ!」
「潰してないわ。蜜柑の汁をかけただけじゃない。負け犬の遠吠えにしか聞こえないわね」
「悪の欠片を持っていない人間を攻撃するなんて駄目なんだから! それくらい知ってるでしょ!」
全ての天使は悪の欠片を除去するために働き、それ以外の人間に危害を加えることは禁止されていた。何の監視もない口頭のだけのルールだとしても破ってはいけないだろう。
ぐうの音もでないロトは痛いところを突かれたとそっぽを向いた。
天使という曖昧な存在しているとしか把握していない胡桃は話を理解できず、取り敢えず知恵と自己紹介をしていた。
「うちは隣に住んでいる見張胡桃やよ。よろしくやで」
「あ、はい。私は相生知恵です。よろしくお願いします」
「あー……うちの方が年上やけどタメ口でええで? ロトやアリアにもタメやろ?」
「あ、うん。じゃあお言葉に甘えますか」
互いに好印象だった二人は軽い握手をし、窓に視線をやった。
「で、これはどうするん? またガラスが割れて大惨事になってるけど……」
「アリアが責任取るしかないね。窓ガラス割るなんてアリアが悪い」
「え!? また私!? くっ……」
知恵だけでなく、心の友である胡桃からも非難を浴びたアリアは鳩が豆鉄砲を食ったように驚愕し、名残惜しそうに懐からエンジェルパウダーを出してロトに謙譲した。
「はぁ……仕方ないわね」
気怠そうに受け取ったロトは修復魔法を使って窓を直した。が内心は胸が躍っていた。
それもそうだろう。エンジェルパウダーは天使の中では通貨のようになっており、アリアから二回も搾取したのだ。人間的な感覚ではただで大金を手に入れたようなものだった。
「で、仄音を待つ間、二人で何をしようかしら?」
「こいつ……うちらは客に入っとらんのか……」
さらっとロトの眼中には知恵しか入っていないことに不服そうに胡桃とアリアは深い溜息を吐いている。
ロトがアリアと胡桃を客人としてもて成していないのは分かり切ったことだろう。四人は寒さを凌ぐために炬燵を囲んでいるが、出された林檎ジュースは二つ。勿論、ロトと知恵の分だけだった。
「あはは……ロトはさっきまで何をしていたのさ?」
「仄音のぱそこんを借りてアニメを見ようとしていたわ」
苦笑いをしていた知恵の質問に答えたロトを、冷めた目で胡桃は「さらっと嘘を吐いたな……」と小声でツッコミを入れた。
「へー、アニメかぁ。何を見ようとしていたの?」
「いや、まだ決まっていないのよ。私自身、アニメに疎いから……仄音の好きなアニメがいいんだけど……」
「仄音さんが好きなアニメねぇ……皆はどんなアニメが好きなの?」
話題を振られた胡桃は腕を組み、アリアは炬燵に頬杖を突いて考え始めた。
「うちはほのぼの系……それかコメディかな? あまりストーリーが深くないアニメがいいわ」
「それは……どうしてかしら?」
「いや、私はアニメを流し見する方だからしっかりして重いストーリーだとついていかれへんねん。だから気楽で見れるギャグアニメとかの方が好きかな」
「あー……我が友よ。その気持ちは分かる。だけど、やっぱ恋愛でしょ! 少女アニメよ! 主人公とヒロインの交わりそうなのに交わらない。すれ違い、勘違いの連続! 視聴中はもどかしさを感じるけど、最後はハッピーエンドでスッキリ! あれは癖になるよね」
胡桃とアリアの意見を聞いたロトは顎に手を添えて思考に耽る。そして、そういったアニメに、自分は嵌まることないと悟った。
「他には? 知恵はどうなの?」
「私はアニメじゃないけど特撮が好きかな」
「特撮って男の子が見るものじゃない」
「その考えは古いで。今の時代、女児向けアニメを男性が見て、男児向けアニメを女性が見る時代や」
「そ、そうなの……」
据わった瞳の胡桃に啓蒙されたロトは少しだけ辟易としてしまった。
「それでも特撮はちょっと……」
特撮と言えば正義のヒーローというイメージが強いだろう。主人公が変身して世界の平和を守る。悪い言い方をすれば大きな野望を叶えるためにコツコツと努力を積んできた悪の組織に、正義のヒーローである主人公が怒りの鉄槌を下すというテンプレだ。
魔法少女や勇者といったものが嫌いなロトは特撮を否定する訳ではないが、特段興味がなく、まだアリアの言う少女アニメの方が好感を持てた。
「そっかぁ……私も最初、特撮はアレだったんだけどさ、仄音さんに勧められたら嵌まったんだよね」
「それを早く言いなさい! さっそく視聴するわよ!」
仄音という名前を聞き、ロトは俄然特撮、それも仄音が見ていた作品に興味が湧いた。
あまりの変わりように全員が引いていたが、それに気づかないほどに興奮していたロトは一人で用意を始める。
「って、あら? ぱそこんが暗くなって……これは壊れたわね」
「ちょっ違う違う! スリープモードに入っただけや。うちが用意するからあんたは動くな。機械音痴過ぎんねん」
「そう……」
戦力外通告されたロトはしょんぼりと落ち込んだ。いくら毅然たる天使だとしても、ハッキリと言われると傷つくのだ。
その隙に胡桃はテレビから伸びていたケーブルとパソコンを繋ぎ、お気に入りファイルから仄音が使っているであろうアニメサイトを開く。幸運にもログインしっぱなしであり、そのまま使用することが出来た。
「お? やっぱプレミアム会員やん。見放題やで」
「やったじゃん! で、その仄音が見ていた特撮のタイトルはなんなの? 知恵?」
「えーっと確か『神仮面ファントムセイバー』だった筈よ」
そのタイトルに心辺りがあった胡桃は興味深そうに相槌を打った。
「あー……あれか。確か二、三年前の作品やった――ってまだ続いているやん!?」
胡桃が驚くのも仕方ないだろう。
本来、特撮というものは大体一年、五十話近くで完結し、また新しいタイトルの特撮がやってくるのが常識だ。色々な理由があるが、そうした方が新規を引き込みやすいのだろう。物心ついたばかりの子供なんて特に、だ。
それなのに『神仮面ファントムセイバー』というものは約三年間も続けられている。従来とは違う。それほどまでにその作品が人気という事なのだろう。
「あ、これっていつも知恵が見てる奴じゃん」
「うん。まあ最近は冷めてきているから流し見だけどね。当時は物凄く嵌まって玩具をいっぱい買っちゃったなぁ」
サイトに表示されたパッケージの写真を見て、懐かしそうに追想する知恵。自宅には当時買い漁った玩具が大量にあり、しみじみと老いを感じた。
(本当にこんなのが面白いのかしら?)
パッケージは如何にも男児の興味を惹きそうな格好良いシーンだ。変身している主人公が怪人と戦っており、CGを駆使されてエフェクトが派手。どうやらリスト型の装置を使って変身するようで、手には刀のような現実ではあり得ない剣を持っている。
ロトは疑念から眉をひそめては固い表情でモニターを睨みつけていた。
お試しで、四人の女性が例の特撮の一話を視聴した。
感想は人それぞれだったが、少なくともつまらないと感じた者は一人もいなかった。
「いやーひっさびさに見たけどやっぱり面白いね。押入れから玩具を引っ張り出そうかな」
「一話は初めて見たけど主人公の圭一ってこんな生い立ちだったのね。泣きそうになったわ」
「ネットの評判通りやな。うん、面白い。ギャグ寄りやな。ロトはどうやった?」
「……そうね。及第点かしら」
澄ました表情で点数を述べたロトだが、内心は穏やかではなかった。特撮という評価が変わるほど、面白いと感じており、溢れんばかりの興味で妙にソワソワとしている。及第点というのはただの見栄っ張りだ。
「そういえば知恵、時間が……」
「あ、ほんとだ。そろそろ帰るかな。このあとバンドの練習なんだよね」
時間が迫っていると気がついた知恵は林檎ジュースを飲み干すと立ち上がった。
「え、バンド組んでるんや。凄いやん」
「いやいや、まだまだ発展途上だから全然だよ。曲だって少ないし……それじゃあ私は帰るよ。いろいろと迷惑をかけてごめんね? 今度来るときはちゃんとアポイントを取ってから来るから!」
「あ、ちょっと待ってよ知恵! またね我が友! ロトはさっさとくたばりなさい」
嵐のように過ぎ去る知恵とアリアを、胡桃が手を振って送り出す。が、肝心のロトは罵倒されたというのにぼやけていた。
「さて、うちも行こうかな。バイトの前に買い物したいし……」
一時間前まではロトの理不尽に頭を悩ませていた胡桃はすっかりと笑顔になっている。知恵とアリアに出会って楽しく会話し、一緒にアニメを見て、気分が改善されたのだ。
胡桃はロトの様子がおかしいことに気づかず、さっさと用意をすると「ほな出掛けるから! 帰って来るまでには壁直しといてな!」と言い残して出て行ってしまった。
あっという間に一人残されたロトはじっと目を瞑る。
脳裏に蘇るのは先ほどの『神仮面ファントムセイバー』という特撮の一話だ。
幼い頃に両親を亡くした主人公の圭一は育ての親である祖母のお墓参りをしていた。線香を焚いて、手を合わせて黙禱をしていた時、不意に背後から現れた白装束で如何にも幽霊のような少女に衝撃の事実を告げられる。
『そこ、私の墓なんだけど……』
幽霊が現れたのと、信じていたものが間違っていた二重の驚きで圭一は絶句した。
それから幽霊少女の手を借りて、山奥で本来の祖母の墓を見つけ出したが、突如現れた怪人に襲われた。その際、祖母の墓が破壊されて出てきたのかARという腕に装着する形の変身アイテムだった。
「本当に凄い……! 面白いわ……!」
窮地に立たされた主人公は幽霊の少女と契約してARを腕に装着して変身。その姿は少年男児の心を惹く様な研ぎ澄まされたスーツで、それを生かすアクションシーン。命のやり取りに、圭一は主人公らしい視聴者を魅了する戦いを見せる。
「確か変身する時はこうよね……」
もはや底なし沼だ。特撮という沼に片足を突っ込んだロトは夢中になって、主人公圭一の真似を始めた。
腕に妄想のARを付け、その時計の針のような芯をぐるぐると回し――足を大きく開いて右肘を前に出し、身体を捻る。そして「リバイブ」と言えば変身は完了だった。
「後は必殺技ね。確か剣を使って……」
主人公である圭一は変身した際に装備されている剣を使って戦い、必殺技もそれに因んでいる。
ロトはムラマサを召喚し、一話目のラストを着飾った必殺技を再現する。
「こうして魔力を剣に宿して、剣先で球体にして……ファントムスラッシュ! ――って、え? く、胡桃?」
ムラマサの剣先に球体を作って、それを投げ飛ばす圭一の必殺技『ファントムスラッシュ』。名前から斬撃なのに斬っていないというツッコミはさておき、ロトは穴越しに胡桃と目があった。
仕事で使う服を忘れた胡桃は慌てて取りに帰ってきて、不幸にも穴が空きっぱなしだったので思いがけず目撃してしまった。そう、事故である。
誰にも見られていないと思っていたロトは動揺し、コントロールを失った必殺技がガラスを突き破って彼方へ飛んでいく。
「だ、だいじょうぶや。だ、誰にも言わんから、な? じゃ、今度こそさいならや!」
珍しく青ざめているロトに、胡桃は見てはいけないものを見てしまった。まるで幽霊と鉢合わせ時のように、慌てて現場を後にした。
「拳があちーぜ……」
一人呆然とするロトは、ふと主人公の決め台詞を呟いた。暴発した必殺技の所為でとある警察官が大変な目に遭っているのだ
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