第七話学園に潜入せよ!

潜入した探偵

 夜半。学園はすでに暗くなっていた。まあ当然、当たり前の話ではある。そんな中を歩きながら、俺は小さくつぶやいた。


「なあ、どうしてこうなった?」


「サー……もとい、とある生徒さんからの依頼があったからですよ。ジョナサン・D・モールト先生」


「……偽名をフルネームで呼ぶな、こそばゆい」


 サワラビからの現実的な返事に、俺は肩をすくめた。そう。俺たちは今、またしてもジョナサン・D・モールトの立場を使い、ある場所へと入り込んでいた。もちろん、四番街に住まう御夫人の手引きあってのことである。そうでなければ、下層のゴロツキ紛いが【製薬会社連中】肝煎りの学び舎なんぞに入れないのだ。


「こそばゆくても耐えてください。今回ばかりは、尻尾を出すわけにも参りませんので」


「わかってるわかってる。しかしなんだ。今のところは、なんにも起きないじゃないか」


「ええ。なにも起きませんね。まあ……そもそも依頼自体が不確かというか……」


「まあ曖昧だったな……」


 俺は右頬を掻く。本来ならば、あんな曖昧な依頼では動けない。だが、今回の依頼人は特別だった。なにせ――


『ああ? もう一度言え。学園が、なんだって?』


『変、なんです。なにがとは言い切れない。けど、妙な派閥とか、なにかが潜んでる気配とか。そんなのがちらほら。あと』


 今のところは存続が許されている事務所――それでも有事に備えて片付けだけはきっちりしていた――で、サーニャ嬢が口ごもる。【製薬会社連中】の学舎へ通うことを許してから、約二週間。不信感を抱くにはまだ早いと思ってたんだが。


『……先日言っていたあの薬、【ビースト】が出回っているっぽい噂も……』


『なんだと!?』


 言い淀んでいた嬢が口を開くと、俺は思わず声を荒げてしまった。いや、市中に出回るのは許容はできんが話がわかる。なにがどうして、連中が連中の持ち物で危険なクスリを扱わなければならんのだ? まったくもって、話がわからない。


『落ち着いてください。あくまで【ビースト】として出回ってるわけじゃないんです。こう、妙な噂……【集中力が上がる薬】とか、【眠気が飛ぶ薬】とか、そういった噂が……』


『チィ……』


 俺は舌を打った。見える。連中の悪辣な手管が見える。勝手な言い草かもしれねえが、アイツらならそういうことをやっても違和感がない。未来ある学徒に、なんてマネをしやがるんだ。


『……お願いです。学園を一度調べてください。もしかしたら』


『そう言われてもな……』


 俺は頭を掻く。この程度の事案では、おいそれと飛び込めないのも探偵だ。その上、今は慎重に慎重を重ねねばならない時期。俺は思わず、離れてくつろぐ共犯者を見た。見てしまった。しかし。


『ボクは知らないよ。キミの決めたことには従うけど』


 けんもほろろという言葉が、よく似合う。それほどまでの、冷徹な回答。ええい、どうする。嬢に証拠を持って来させるか。それとも。


『……』


 俺は、珍しく長考に及んだ。今ある状況。サーニャ嬢の思い。サワラビの考え。すべてに思いを馳せ、噛み砕いた。結果。


『サァラビイ』


『ん?』


『化粧屋と貸衣装屋を呼んで来い』


『ほほう?』


『ジョナサン・D・モールト、始動する』


『ほうほう。なにか思いついたようだねえ。面白そうだし、乗るとしようか』


『言ってろ』


 身を起こしたサワラビに、俺は悪態をつく。だが、本心では胸を撫で下ろしていた。ここで彼女の興味を引けないようでは、そもそもの能力に疑いがかかる。彼女一人動かせずして、事態を動かすことは叶わないのだ。


『四番街への繋ぎも頼むぞ。これからやることには、どうあがいてもご夫人の助けが必要だ』


『やれやれ。全部ボク頼りかい? まあ仕方ない。動くとしよう』


『ありがとな。頼むぜ』


 口ぶりでは文句たらたらだが、共犯である俺にはわかる。あからさまに、サワラビの足取りは軽やかだった。事実このあと、二十四時間も経たない内にすべての準備は整えられた。そして彼女は、こう言ったのだ。


『さあ共犯者。ミッションを開始しよう』


 結局のところ、サワラビもこういうことが好きなのだ。ただし、今回は厳重な変装を施した。金髪はウィッグでショートにさせたし、ユニセックスな装いは少々目立つので、女性らしいそれに変えさせている。股の辺りが涼し過ぎると彼女はのたまっていたが、正体がバレるよりかは何倍もマシだった。


 はてさて。とは言ったものの、このままではすべては無駄足になってしまう。なんとか勝ち得た一週間の赴任期限――そう、俺たちは臨時講師とその助手として学園に潜り込んでいだ――に対して、早くも二日が経過していた。にもかかわらず、現時点では収穫なし。今日で変化がなければ、寮の方に切り替えようか。そんな話も俎上に上がっていた。


「そもそも、夜の学舎で動く輩がそうそういるか、とも言えるんだけどねえ」


「そう簡単に、尻尾は出さねえわな……ん?」


 声を潜めつつ、言葉を交わす俺たち。しかし直後、俺はサワラビを壁に押し込んだ。


「ちょ、ちょ、どうしたんだい。壁ドンなんて今時古」


「黙ってろ。どうも妙な予感がする」


 至近距離のまま、俺はサワラビを黙らせる。ちょうど角っこまで来ていたわけだが、その向こうに、どうにも嫌な予感が走っていた。これは直感でしかない。しかし。


「チィ……」


 舌を打ちつつ、俺はほんの少しだけ角の向こうへと目を向ける。すると、闇に潜んで声が二つ。


「例の件は、順調ですかな?」


「ええ。学生たちに好まれる効果を謳ってからというもの、浸透度はこれまでの倍に」


「ふむ。良いではないか」


「ええ、ええ。感謝しております」


「……」


 俺は渋面を浮かべつつ、奴らの会話を盗み聞いていた。サワラビ謹製の道具たる、集音器兼録音機が、こうまで輝く日が来るとは。かつて『補聴器臭い。ジジイじゃねえぞ』と反発した自分を、助走をつけてグーでぶん殴りたい。とはいえ。


「距離がキツいね。誰だかわかんないや」


「流石にな……」


 俺たちが拾えたのは、声だけだった。無論、証拠にはなり得ない。いや、警察に提供するわけでもないから、十分っちゃあ十分ではあるんだが。とにもかくにも、連中がなんらかの薬剤を生徒たちにバラ撒いていることは判明した。あとはコイツを、もう少し固めねばならない。今のまんまじゃ、大きく動くには弱すぎた。


「特に、アリーシャ派閥に食い込ませられたのが大きかったです。あの派閥は、学内でも最大の集団。一人がハマってしまえば、もう芋づ」


「あまりベラベラと手管を喋るな。どこに耳があるかわからんぞ」


「す、すみません」


 俺たちに勘付いたのか。それとも常識を謳っているだけか、不意に会話は押し止められてしまった。とはいえ、一つわかったことがある。


「アリーシャ派閥」


「最高学年で、ブイブイいわせていた子だね。確か、生徒会にも名を連ねていたはず」


「本人……は多分知らんな。こういうのは、足元の異分子からやっていくのが定石だ」


 俺たちは、声を潜めて語り合う。もはや向こうの話は聞こえて来ない。先の一言で、すべての会話が終わってしまった。


「じゃあ、ボク等もやることは一緒だね」


「ああ……。正直この手は使いたくないが……。俺たちがやるよりはまだ妥当だ」


 俺が白羽の矢を立てたのは、依頼人――サーニャ嬢だった。

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