第10話 これから

 白い鳥に先導され、護衛たちとともに現われたカタリナは、息子の姿を見つけるなり誰よりも早く彼の元へ駆け寄ると、小さな身体を抱き締めた。その頃には意識を取り戻していたクレオも、母親の抱擁にしっかりとしがみついて応える。

 親子の再会を見守っていたヘキサは、頃合いを見計らい、クレオには目に見える疲労以外に異常はないことと、このまま帰宅できることを伝えた。

 辿り着いた場所が未だ警邏が行き来する屋敷前の広場ということもあり、カタリナは何か聞きたそうだったが首を振るに留める。状況から鑑みて、クレオが何かの事件に巻き込まれたと想像はついただろうに、何も尋ねなかったのは他に知る術があるからなのか。あるいは、その手の話に慣れているためなのか。どちらにせよ、興味本位で聞く話でもないだろう。

 カタリナは尋ねる代わりに「何かお礼を」とバッグに手を掛けるが、ヘキサはこれを遮って止めた。クレオ探しを申し出たのは自分たちにも探し物があるためであり、ついででしかなかった、と。「ついで」を強調したため、護衛たちからは睨みつけられたが狙い通りの反応である。唯一宛てが外れたと言えるのは、それでもすんなり引き下がってくれなかったカタリナが、「何か困ったことがあれば」と自身の名刺を渡してきたこと。

 正直、受け取りたくはない。カタリナの印象は最初から変わらず善い人ではあるが、好んで交流を持つには不穏への対処を心得過ぎている。できればこれが最初で最後であって欲しい。

 それでも結局受け取ってしまったのは、そうしないと動かないカタリナの意思に負けたため。

 改めて礼を告げてから、クレオと護衛たちを引き連れて去っていく背中を見送ったヘキサは、名刺をそのままポケットに仕舞うと大きく息をついた。

(……まあ、いいでしょう。何にせよ、クレオさんを帰せたのですから)

「良かったですね。すぐに母親と帰る許しが出て」

 ヘキサの心を汲むようなルクスの言葉に深く頷く。

「ええ。クレオさんのような小さな子に事件の話を聞くのも酷ですし……何より、もっと詳しい話を聞けそうな相手が残っていましたから」

 屋敷に入った警邏が真っ先に確保したのは、動かないメイドと顎を砕かれた男が一人。男の仲間と思しき他三人については、今も捜索中らしい。

「それで、我々はこれからどうしますか?」

「そうですね……。巻き込まれたとはいえ目撃者ですから、場合によってはあの三人の捜索を手伝った方が良いかもしれません」

「いえ、そうではなくてですね」

 ルクスの声に顔を上げれば、オウル姿の老紳士が真剣な顔で見つめ返してくる。

 もちろんそこには、屋敷で負った傷などどこにもない。

「この一件の話ではなく、”我々”の”これから”についてです。ヘキサ様が血筋と分かった以上、問題となるのは、例の教授の話でしょう?」

「あ、ああ。そう、ですね……」

 しっかりしてくださいと伝わるルクスの物言いに、ヘキサは小さく頬を掻いた。

 そうは言われても、今なお実感は薄い。

 クレオが目を覚ますまでの間、ルクスはどうしてヘキサが星詠みの血筋だと血を舐めるまで分からなかったのか、あれこれ説明してくれた。前の血筋であるアレスが大怪我ゆえに見つけられたことを思い返したなら、説得力は増しそうなものだが。

(髪より血の方がその者の本質を捉えるのに向いているのは知っていましたが、まさか本当に私が星詠みの血筋だったとは)

 ルクスは言う。ヘキサの血を舐めた時、古い記憶に触れるものがあったのだと。それは髪の香りを嗅いだ時にも在った感覚だが、あの時よりも鮮烈に感じたという。

 ヘキサこそ、自分が求めている者だと――。

 ルクスの言い回しと熱意は妙に落ち着かなくさせるものがあったが、橋の上でアレだけ悲壮感を漂わせていたことを思い出せば、当然かもしれない。

 ちなみに、話を聞く過程で「食べられるかと思いました」とヘキサが正直な感想を述べたなら、ルクスは目をぱちくりさせ「オウルに食欲なぞ、そもそも湧きません」と言われてしまった。これから共に過ごす上では朗報と呼べる話だが、血肉にもならず、ただただ滅ぼされるだけだった大昔のオウルたちを思えば複雑な気分になる。

 とはいえ、確かに教授の件は早々にどうにかせねばなるまい。

 このまま「院」に行ったとしても、さすがにルクスがいる手前、ヘキサを道具として扱うようなことはないだろうが、頭の回る「院」の教授ならばオウルの小娘一人動かす方法など、他にいくらでも思いつく。

 しかも今では星詠みの血筋として、ヘキサにはルクスが――原盤の竜がついてくるのだ。たとえ教授がヘキサの真の恩恵に気づかずとも、ルクスの力を自由に振るう未来は容易に想像できた。

(「院」の外であれば、何を言われたところで私にも尽くせる手はありますが、相手の領分内に置かれては対処の幅もだいぶ狭まるでしょう。何より、契約に縛られた身、ですからね)

「せめて、どこかに就職できれば良いのですが」

 ため息交じりに呟く。

 クレオを助けた見返りにカタリナの会社で雇って貰う、あるいは彼女のつてでどこかに就職させて貰う、ということを考えなかったわけではない。

 だが、世間一般には「「院」への進学は羨望の的」という常識がある。

 その上でカタリナを頼った場合、二つの面倒が絶えず付きまとうことだろう。

 オウルの分際で、という僻みと、「院」を遠ざける理由は何か、という好奇心。

 どちらも望まないヘキサにとって、一番望ましい就職先は、ヘキサと「院」の教授の話を全く知らない場所しかない。

 そして、それはきっと、次の年度が始まるまでの間に行ける距離ではない。

 自分が血筋であったらどんなに良いか、と夢想したのはすでに過去。

 現実に血筋であったヘキサは、竜という巨大な力を早くも持て余していた。

(どうしたら良いのでしょう? これからでもできることは何か、何か、何か……)

 警邏たちが忙しなく行き来する屋敷前の広場で頭を抱えるヘキサ。

 と、ルクスがぽつり、彼女が未だかつて考えたこともない案を出してきた。

「いっそ、会社でも起ち上げてみますか」

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