第8話 血の証明

 否――笑い声は確かに聞こえていた。

 ただしそれは、幻聴に聞いたメイドのものではなく、

「ははははははははは!!」

「ルクス、さん……?」

 知らず額から離れていた口を上向かせ、クレオごとヘキサを腕に抱えて笑う竜。

 快活に高らかに、迷いを晴らすようなソレは、ある種壊れたメイドの嗤い声と通ずるものがあったが、重ねるにはあまりにも明るい。底辺まで落ち込んだ分ついていけない落差に、ヘキサは呆気に取られるばかり。

 と、ピタリと笑い声を止めた顔がこちらへ向けられ、今度こそ本当に喰われると思った身体が固まる。

 だが、次に口を開いた時、ルクスが発した声音はあまりにも柔らかかった。

「最初から、素直に貴方の血をいただいていれば良かった」

 内容は碌でもなかったが。

 捕食者そのものの発言にヘキサが言葉を失くしたなら、回されたままのルクスの腕が再び抱きしめてくる。

「あ、あの……?」

 とりあえず、すぐに喰われるわけではないらしい。

 それしか理解できず鱗肌の首筋を見つめていれば、ヘキサの頭に顎が置かれた。

 懐いたペットが飼い主へそうするように、擦りつけられる感触が続く。

(な、何やら上機嫌のような……? これはどういう……?)

 突拍子のない行動の連続に、ヘキサは困惑を強める一方だ。

「ああ、すみません。嬉しくて、つい」

「い、いえ……」

 程なく離れたルクスだが腕はヘキサを囲ったままで、手の平が再び頬へ添えられた。慈しむようなその動きにくすぐったさを感じていると、ルクスは言う。

「ヘキサ殿――いえ、もうヘキサ様とお呼びした方が良いでしょう。あの時は違うと言いましたが、どうやら貴方が次の血筋だったようです」

「…………え?」

 理解するまでしばらく時間を要する。

 散々「さすがにそれは都合が良すぎる」「やはりそう上手くはいかない」とヘキサは思い、ルクスもそう言っていた。それが今更そうであったと言われても、どう反応していいか分からない。ルクスの行動を捕食者のソレと思っていたことも手伝い、喜色満面の様子に後ろめたさを感じてしまう。

 つまりヘキサの恩恵は、ヘキサ自身のことだからこそ鈍い反応を示し続け、ルクスが血を舐めるに至るまでの道筋として、この状況を探し当ててきたということか。

 よく知る混血種の制約とはいえ、なんという回りくどさ。

「そう、ですか……」

 肩透かしのような結果を完全に飲み込めたわけではないが、目の前のルクスの明るさにつられて頷く。

 ただ、一つだけ、言えることがあった。

 最初から、素直に貴方の血をいただいていれば良かった――額の傷を舐め、確証を得たルクスの言葉だが。

「ですが、あの時分かっていなくて良かったとも言えます。そうでなければ、こうしてクレオさんを助けることもできなかったでしょうから」

 とにもかくにも、まずはこの少年を母親の下へ。

 優先事項を見出したヘキサがそう告げれば、ルクスが頷いた。

「そうですね。あのままではこの子どもは見つけられなかった。早く彼の無事をカタリナ殿へ伝えなければ。血筋の話はその後で、でよろしいですか、ヘキサ様?」

「ええ、もちろん。……いえ、その前に、様を付けるのは止めませんか」

「何を仰いますか。血筋であれば主と位置づけるのが私の慣例です。申し訳ございませんが、お譲りするわけには参りません。そうそう、私のこともこれからはルクスとお呼びください。さん付けは禁止です」

「そんないきなり……いえ、私を主と仰るなら――」

「お断りします。いくら主と仰ごうともこれは私が決めた私のルール。元より貴方に決定権はございません」

「横暴な……」

「何とでも。主を得た私に恐れるべきものはありません」

 しれっと言うルクスに呆れるしかない。

 彼の言う主従とはこんな関係性なのかと思っていれば、

「……ん、んん……」

 腕の中のクレオが身じろいだ。

 目覚めの兆候を知り、ヘキサとルクスは言い合いを止めて彼を見守る。

 そうして開かれたクレオの眼に映るのは――……


 母に頼まれたという娘の、頭から血を流し、小さな琥珀の瞳を見開く姿と、クロエルの子どもならば一度は脅しに聞かされる、伝説の邪竜そのままの姿。


 特に、母カタリナも手を焼くクレオにとって、伝説の邪竜は耳にたこができるくらい聞かされた話であり、子ども騙しだと子ども心に鼻白んでいた。

 それが目の前にいて、その前に血まみれのオウルがいる状況は、どう足掻いても悪夢でしかない。

「……ぅうーん」

「く、クレオさん?」

「思ったより傷が深いのかもしれません。ヘキサ様、早く警邏たちのところへ」

「ええ、行きましょう!」

 再び固く閉じられた瞼を目にした二人は、クレオが何を見たのかも知らず、幼い身を案じて瓦礫と化した広間を後にするのだった。

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