第26話 最後の戦い

 扉が開くと共に、銃を構えた衛兵たちがなだれ込んできた。

「手を上げろ」

 近衛兵の体調らしき男が、蒼夜たちに向かって怒気を含んだ声を張り上げる。蒼夜たちは仕方なくゆっくりと手を上げ、次の命令にも従って、上げた両手を頭の後ろで組んだ。

 衛兵たちの後ろからのっそりと現れたガヴァンが、撃つとプロフェットに当たるから気を付けろというのが聞こえた。


 蒼夜がみんなより少し前に出て、ガヴァンに笑いながら声をかける。

「皇太子殿。さっきは殴って悪かったよ。俺、怜良に惚れててさ。外見がこんなんだから相手にしてもらえないと思って、ずっと我慢してたんだ。それなのに王子さまって言うだけで、横からかっさわれたから頭にきて、ついつい手がでたってわけ。ほんと悪かった。怜良はさ、本当は大人しい子なんだよ。あんたに逆らったりしないから、許してやってくれ」


「フン。白々しいセリフを吐くな。お前を護るために私を貶めるような女は要らん。いつ寝首をかかれるか分かったものじゃない」

「まぁ、あんたの気持ちは分かるよ。自分だけを見ていてくれる女の方がいいもんな。じゃあ、それは置いといて、あんたたちが最初必要だったのは皇太子妃じゃなくて、黒い羽を持つ者だったんじゃないか?俺さえいれば、他は必要ないんだろ?俺はあんたたちの思い通りになってやるから、こいつらを釈放してくれよ」


 ガヴァンは一瞬考えるそぶりを見せたが、慌てて首を振った。

「お前のような力のある悪魔を置いていたら、いつ反撃されるか分からん。そっちの小さな‥‥‥」

 キューピットを見たガヴァンの目が眇められ、低く呻るような声が口から洩れた。

「なぜ、エンジェルケージから出られた?お前は何者だ?」

「なぜって、こっちのかご壊れてるんじゃないかな。出入り自由だったよ」

「何?壊れていると?そんなバカな‥‥‥隊長、行って見てこい」


 ハッ!という返事と共に、号令をかけていた隊長が銃を手に、蒼夜たちの方へ歩いて来る。

 蒼夜の横を通り過ぎた瞬間、蒼夜の尻尾が隊長の銃を弾き落とし、蒼夜が後ろから隊長を羽交い絞めにした。くるりと回れ右をして、ガヴァンたちと向き合う形になった蒼夜が、交渉の続きを始める。


「隊長さんを無事に返してほしかったら、俺以外の全員を釈放すること」

 兵隊たちが動揺しているのが、銃の狙いを蒼夜から外したことから分かる。あと少し押せば何とかなりそうだと蒼夜が踏んだ時、一発の銃声が響き、蒼夜に捕らえられていた隊長がビクリと身体を震わせた。


「おい。どうした?まさか……」

 隊長の身体から力が抜けて、ずるずると崩れ落ちそうになる。支える蒼夜の手が生暖かい物で濡れ、辺りに鉄と生臭い匂いが漂った。

 隊長が視界から外れ、目の前でガヴァンが銃を構え直しながら、せせら笑うのが見えた

「丈夫な軍服と勲章で邪魔されて、貫通しなかったな。お前にあたらなくて残念だ」

「ガヴァン、近衛兵はお前を護る者たちだぞ。そいつらの前で隊長を撃つなんてどうかしている。近衛兵たちも、よくこんな奴についていってるな」


 バーンともう一度銃が火を噴き、怜良の悲鳴があがった。

 振り返りたいのを必死で抑えた蒼夜が、全身を怒りで震わせ、怒気を放った。

 ガヴァンや近衛兵たちが金縛りにあったように動けなくなる。急いで怜良の無事を確認すると、弾丸は怜良の耳元をかすめていったが、本人に怪我がないことが分かり、蒼夜は安堵した。


 まだ動けないガヴァンから悪鬼を燻り出すために、蒼夜が角から電磁波を浴びせた。電気ショックを受けたようにビクビクと身体を跳ねさせるガヴァンの様子を見て、近衛兵たちが恐怖で青ざめる。

 ガヴァンの顔や手足が真っ黒に変色したのを焦げたと勘違いした近衛兵たちが、ぶるぶると身体を震わせた。


 電磁波が止んだ時、ガヴァンを覆った黒い染みがゆっくりと蠢き、身体からのっそりと離れて立ち上がった。ランランと光る赤い目、闇を切り取ったように薄笑いを浮かべる口元。鼓膜に直接響く様な野太い声が部屋を振動させた。

「この国は私のものだ。いつも邪魔ばかりしおって、本当にお前は目障りな奴だ。お前の大事な女共々抹殺してやる」

 悪鬼の口や目から怨念のこもった炎が渦を巻きながら蒼夜たちに放たれた。蒼夜が電磁波のバリアを張って止めるが、熱までは防ぎきれない。見えない電磁波の壁にぶち当たって逆巻く炎があちこちに飛んで、辺りの室温がぐんぐんと上がった。


 近衛兵たちも悲鳴を上げながら、火の粉から逃げ回っている。後ろを見ると、怜良が真っ赤な顔をしてぐったりしたのを、天真が支えたところだった。

「天真。怜良を外に連れていってくれ」

 そう言った時、大聖堂の最上階から赤い炎が揺らめくのを感知した軍用ヘリコプターが、すぐそばまで飛んできた。蒼夜が突き破った窓から銃口がこちらを向いているのが見える。

「私が命令すれば、ここは瞬時に吹き飛ぶ。近衛兵たちよ、助かりたかったら、あの悪魔や天使を撃ち殺せ」


 あまりにも恐ろしい技の掛け合いを見た近衛兵たちは、人間の力では逆らえないと知って、助かりたい一心で蒼夜たちに銃を向ける。蒼夜が炎を防ぐのに精いっぱいだと考えた近衛兵たちは、部屋の壁伝いに蒼夜のバリアの側面へやってきて、戦うこともできない怜良や、人の味方であるプロフェットや天真にまで銃を向けた。


 蒼夜の中で、抑えていた凄まじいほどの悪感情が爆発した。目が吊り上がり、角は大きく鋭く伸びて、髪が怒気で逆立った。人間のように弱い生き物を瞬時に殺すことは、蒼夜にとって簡単なことだ。腕をクロスして怒りを増幅させる、まずは脅しとばかりに風を薙ぐ様に手を振れば、近衛兵の頭の上の壁が吹っ飛んだ。


 怒りに弾みがつき、次から次へと悪の感情が爆発していく。次は本番だと人間たちに狙いを定めた時、やめてという怜良の弱々しい声が聞こえた。

 瞬時に憎しみが沈下して正気に戻り、自分が何をしようとしていたのかを知って、ショックを受けた蒼夜に隙ができた。悪鬼の咆哮と炎の放射が蒼夜のバリアを突き破り、怜良に向かう。


 蒼夜が怜良の前に飛び出し、手の先から悪魔の怒気を悪鬼に向けて打ち込んだ。

 悪鬼は蒼夜の激しい怒りに身体を引き裂かれて絶命したが、悪鬼の噴炎は止まらない。怜良の前で盾となった蒼夜が炎に包まれた。近衛兵たちは燃える蒼夜から目を離すことができず、彼らに撃てと命令を下した悪鬼が、既に消滅したとは気づかないまま命令を実行した。


 幾発もの銃声と硝煙が上がる。蒼夜の羽が燃えながら辺りに飛び散った。

「イヤーッ!」

 怜良の叫び声に、天真たちの蒼夜を呼ぶ声が重なった。

「火を消して。蒼夜を助けて。お願い誰か。水を」

 怜良が蒼夜に触れないように、天真が必死で止める。

「この火は、蒼夜や僕にあたれば命を焼きつくすまで消えない。普通の水では消えないんだ」

「命を焼く炎?消せないって‥‥‥そんな。蒼夜が死んじゃう」


 取り乱す怜良の視界に、大きな布が向かってくるのが映った。ところどころ赤く染まっている布が内側から捲られ、身体に色とりどりのガラスを突き刺したべトレイが現れる。あまりにも凄惨な姿に怜良は口を手で覆って、叫びださないように堪えた。


「べトレイ。やめて。蒼夜に手を出さないで」

 べトレイの様子から、最後の力を振り絞って復讐でもしにきたのかと考えた怜良が、震える手を広げ蒼夜の前に立つ。復讐じゃないと首を振るべトレイの身体から、色素が少しずつ薄れていった。

「キューピットが僕を天使に戻したかったって‥‥‥だから、最期だけ、天使でいさせて‥‥‥」

 どんどん色を失い透明になったべトレイは、怜良の横を通りぬけて蒼夜の上に覆いかぶさり、自分の身体に突き刺さったガラスを引き抜いた。

 途端に身体がひしゃげ、蒼夜の上に水が勢いよく噴射される。悪鬼の怨念のこもった炎は、普通の水では消えない。天使だったべトレイが、消えかかっていた命を浄化の水に変えて蒼夜に与え、消火したのだった。


 激しい炎に包まれた割には外傷がないのに安堵した怜良が、近くによって蒼夜の名前を呼んでみる。だが、かすかに瞼が動くだけで、あまり反応がない。悪鬼の炎は外ではなく命を焼くのだと、天真が言った言葉をプロフェットが繰り返した。

「何か方法はないの?どんなことでもする。お願い、蒼夜を助けて!」

 必死で問いかける怜良に、誰も答えてやれるものはいない。

「私が海外旅行なんかに興味を持たなかったら、蒼夜は死ぬことは無かったのに」

 目に絶望を映し、魂が抜けたようにぼんやりとした怜良の様子に、天真が変なことを考えないように諭す。

「怜良がこの国に来たのは、神がこの国の王子と怜良さんを結婚させるために仕組んだことなんです。怜良さんが悪いわけじゃない」

 怜良が早まることが無いように必死で話す天真に、怜良が心配しないで大丈夫だと答えると、決意を湛えた瞳をキューピットに向けた。

 

「キューピット。お願い。蒼夜と私を結んでちょうだい。蒼夜が生きているうちに結婚したら、神が私の人生に干渉することもなくなるし、天真も願いを叶える小瓶の監視役から外れられる。私はもう一生だれとも結婚するつもりはないの。命をかけて守ってくれた蒼夜だけを愛していたい」


 怜良の強い決意は、キューピットを動かした。近衛兵たちは、悪鬼がいなくなったと知って、無実の人間や天使を撃とうとした己の罪に恐れをなして、気絶したガヴァンを引きずって、全員が大聖堂から逃げ出していた。

 戦いの跡を残すこの部屋に残ったのは、怜良と蒼夜の結婚を祝福する者のみだった。


「キューピット、簡単にお願い。天真、プロフェット。誓いの言葉を言うまで、蒼夜の命を支えてちょうだい」

 天真とプロフェットが、祈りのポーズで天使の言葉を呟き始めた。すると、真っ白な浄化の光が部屋に広がり、蒼夜を包んだ。

 蒼夜がうっすらと瞼を開く。さまようように動いた瞳が怜良を認め、唇の両端が上がった。

「誓いの祝詞を。汝、全ての命を懸けてお互いを愛すことを誓いますか?」

 怜良が迷わず誓いますと答える。蒼夜は結婚式だということに気づき、戸惑ったように怜良を見つめた。

「いいのよ蒼夜。私をお嫁さんにして。ずっとずっとあなただけを思って生きていくから」

「でも、小瓶の願い‥‥‥・怜良に幸せになって欲し‥‥‥」

「結婚してくれなかったら、後を追うわよ。幽霊になって蒼夜のあとを追いかけるから」

 怜良の冗談めかした脅しに、蒼夜が掠れた声で少し笑った。

「一生をかけて‥‥‥怜良を‥‥‥愛す」


 キューピットが涙声で「誓いのキスを」と言った。

 横たわった蒼夜に顔を寄せた怜良の瞳から涙が溢れ、蒼夜の目からこぼれた涙と一つになった。

 そっと唇を合わせながら、近すぎて焦点の合わない顔も、すこしずつ離れるごとにはっきりするお互いの顔も、忘れないよう瞼に焼き付ける。

 蒼夜が怜良と苦し気に囁いた。

「愛してる。死んでも、怜良を‥‥‥愛して‥‥‥」

 その目から光が失われ、瞼が閉じていく。

「いやっ!死なないで蒼夜!死なないで」

 怜良の悲痛な叫びが壁に反響した。だが、蒼夜の瞼が開くことは、二度と無かった。


 

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