第8話 牡丹萬華の吸血鬼

 夜道を駆けていた。車中に叶の姿はない。村に残ったのだ。矮鶏を抱いていつまでも僕たちを見送るその微笑みは悲壮に満ちていた。頰を突きさす風に目がかすんだ。

「オチスイサマというのは本来蛇神の花嫁を意味するのさ」後部座席の溢樽祭は相変わらず饒舌でうるさい。「牡丹萬華の言い伝えだよ。村を守護してもらうかわりに蛇神へ花嫁を捧げ,若い血を吸わせて慰める。蛇の妻となった娘は,自分の血が不足すれば村に戻り子供の血を吸うが,子供たちは病知らずの大人に成長するのだとか。オチスイサマ祭というのがあって役目に就く娘は小水を野山に撒くのさ。それは昔,婚儀の際に用を足した慣習に依拠する。小便する花嫁を気に入れば蛇神は出現するが,霊験の得られない場合には花嫁を選びなおす必要があったそうだ――」

 蛇,小水――まさか。

 溢樽祭が大きなくしゃみをする。「ああぁ……窓を閉めたらどうだ」

 誠皇晋が満タンのペットボトルを後部座席に投げた。うめき声があがった。その声がすぐにお喋りにかわり,鼾へと転じたころ,明け方の街についた。見慣れた交差点でとめてくれと頼む。誠皇晋が顔色をかえた。「自分ちへ戻るのか?」

「分かんない――」弾みをつけて助手席をおりるなり手をあげてビルとビルとの合間に走りこむ。

 アパートのドアをあけた瞬間,心臓がとまるかと思った。あがり口に男が座っている。例のヤクザだ。気怠げに顔をあげる。「迎えにきたんだ」

 視線はあわせられない。だが自分の意思は伝えた。

 男が身の側面をすりつけながら外へ出る。「愛鶴めづる……」何処かしら辛そうな声だ。「おまえの力になりたかった……それだけだ。苦しめるつもりなんてなかった」

 頷いてみせる。

 少し歩いて立ちどまり,振りかえり言葉をつけたす。「かわったのかな,おまえ」

 曖昧に首を傾げつつ部屋に入った。動悸がおさまらない。男の言葉を脳裏に繰りかえす。もし彼の言うとおりなら牡丹萬華の吸血鬼に出会えたからなのだろう。(終)

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吸血鬼は牡丹萬華に微笑む――惑乱の人①―― せとかぜ染鞠 @55216rh32275

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