9




遅く寝たのだから当然だ。俺が一番遅くに起きた。部屋には誰もいない。用意してくれているパジャマから着替えて下へと降りる。ノエルとスージーとその連れ以外のみんながいた・・・いや。よく見たらテーブルの足に隠れてトムとジョージがいた。

「おはよ・・・どうした?」

なんだか空気が重い。昨日の夜とはまるで正反対だ。

「あっ、おはよう。これで揃ったんだね?」

椅子が足りないので玄関のそばに立っているマシュー。その笑顔もぎこちない。ハーヴェイはいつも通り。聖音は今から嫌な事が起こるのがわかっているかのように怯えた顔を俯かせ、オスカーは対照的に足と腕を組み椅子に腰を浅くかけて目を細め、高圧的な雰囲気をこれでもかというほど漂わせている。怯えている、といえばジェニファーが一番そうに見えた。一体、なんなんだ?この状況は。

「ノエルはほんとにほっといていいんだね?」

「本人がそうつったんだからいいんだろ。」

ノエルは相変わらずパンドラの相手で忙しいのか。本当にしぶといな、アイツ。

「なあ、何があったんだよ。」

しばらくして答えたのはハーヴェイだった。

「なにって、パンドラから聞いた情報を洗いざらい吐いてもらうんだよ。」

一瞬にして体の中が熱くなる。こみ上げてくる怒りによるものだ。これを言ったのがまだハーヴェイでよかった。オスカーだったとしたらこんなもんじゃない。

「尋問みたいじゃないか!ジェニファーは悪くないだろ!」

とはいえ、いてもたってもいられなかった。ジェニファーがそうとまで言われるほど悪い事をしただろうか?

「落ち着いてリュドミール君!」

マシューになだめられる。でも、やってることがあんまりだ。

「私がみんなに打ち明けたいって言ったの!」

思わぬ方から声がした。ジェニファー本人の声だった。

「そ、そうなのか?」

荒ぶった怒りはストンと下がる。かわりに驚きのあまりぼんやりとなった。ジェニファーは黙ってうなずく。あいつがそう言うんなら、きっとそうなんだろう。意志の強さは色々見てきた。それでも打ち明けるにはまだ躊躇いがあるのかみんなの顔を不安そうに一通り伺ったあと、ジェニファーの視線があっちこっちへと泳いでいる。

「じゃあ・・・みんないるし、話す・・・。」

そんな目をぎゅっと閉じて再び開いた時は、覚悟を決めた顔だった。

「私の話からすればいいのかしら・・・。」

まだ話の整理はついていなかったらしい。みんなも、話すら始まっていないのに何から聞いていいのかもわからないんだろう、黙っている。ジェニファーは口を開いた。

「・・・アイツから聞いたのをそのまま話すわ。・・・私は元々、ドッペルゴーストという魔物。一度誰かの情報をコピーしてしまえば記憶も全部上書きされてしまう。だから自分で知らないのも当然。体だって人間そのもの。少なくとも、人間の世界では・・・って。」

語られたのは思った以上に長くちゃんとした説明だった。

「あの犬は、そいつをどれだけ用意しようとしてたんだ?無理じゃね?」

トムが誰に話しかけるわけでもなく一人ぼやいた。

「そういやあのメモには載ってなかったよね。」

「滅多にお目にかかれない激レア中の激レア様なんだよ。」

ジョージが答える。どうも皮肉っぽい。

「人間の世界ではってどういうことだよ。」

ついでにジョージが問う。この中で質問に答えられるのはマシューだけだ。

「人間の世界で人間かそうじゃないかを見分けるのが不可能なほど完成度が高い、ということじゃないかな?この世界では元が魔物である限り人間そっくりでも見分ける方法はあるのだけど。」

そりゃそうだ。人間は人間しかいない世界なんだもの。ここには比較対象として立派に人間以外が存在する。それに、ノエルを見ていると嫌でもそうだと思わざるを得ない。すると、ハーヴェイが手を挙げた。

「ここにいるジェニファーについては何か話してなかった?」

「今はどうしてるかわからないけど、最後に別れた場所なら教えてくれたわ。ルエル・・・って言ってた。」

当然知らない名前が出てきて思わず首をひねる。

「ル・エル?あんなところに?」

マシューなら知っているはず。でも、そんな彼でさえ難しい・・・というより、不安そうな顔を浮かべるんだ。

「あんな魔物がウヨウヨいる場所に、人間がひっそりと住めるものなんだろうか。」

割とどこでもうようよいる気がするんだが。でもこれで、ジェニファーの居場所の目処がつきそうである。勿論、あれから場所を変えている可能性も大いにあり得るが、どこにいるのかさえさっぱりわからない状態よりはうんと探しやすい。俺たちはまたひとつ進展した。が、よろこぶのはあとにしよう。

「この話についてはノエルとスージーが戻ってからちゃんと話すとして、まだ聞きたいことがあるんじゃないのかい?」

「俺が聞く。」

話に入らない見てるだけの傍観者ではいられなかった。

「ジェニーはパンドラに俺たちを殺すよう言われてたんだよな。

あの時のジェニファーを思い出す。本当は脅されているんじゃないか、とか。少なくとも自ら喜んで協力するとは想像しにくい。

「・・・私が脅されたとか、思ってんでしょ?わかるけど・・・逆よ。いうことを聞いてくれるなら、私を、助けてくれる約束をしたの。」

「助けて・・・くれる?」

思わずそれだけ口から漏れてしまった。助けてくれる、という言い方は妙だ。ジェニファーも一旦含めて俺たちはこの世界に存在するほとんどの生き物に命を狙われている。しかし、人間が迷い込んだという情報が広まっていない今はせいぜい「遭遇したら襲ってくる程度」である。この場合、助けるというよりは「守る」という言葉が出るのでは?助ける、となると恩着せがましいというか、#常に何かに狙われている__・__#みたいな・・・。いや、これも考えすぎかもしれない。こういうのをニュアンスの違い、とでも言うんだろうか。案の定他のみんなはジェニファーの発言について触れようとする様子はなかった。だが、単純に俺が疑問に感じたのだと、ジェニファーは正直に答えてくれた。

「アイツの言う、助けてくれるってのは・・・他の魔物からもだと思うけど・・・。あのね、私、家にいるのが嫌で仕方がない。地獄のようなあの場所から、もう二度と戻らなくてもいいように、私を救ってくれる。そう言う話。この話はこれでいいでしょう?」

早く切り上げようとする。ジェニファーが何かしら抱えているのは噂程度でなら耳に挟んだことがある。週末、特に用事もないのに一人で街を歩いているのを同級生に直接言われていた時は言い訳でごまかしていたが正直苦し紛れといった様子だった。父親との間で色々あるらしい。まあ、興味はないので聞きもしないし、今だって探ろうと思わないけど。

「今までのジェニファーはさておき、関係のない君に他人の事情を押し付けといて、勝手にも程があるよね。」

口を挟んだのはハーヴェイだ。

「・・・私にはよくわからない。私はもうジェニファーなんだもの。偽物だけど。」

「演技かも知れねえじゃんよ。」

次にオスカーが割り込んでくる。

「脅すよりそっちの方が動いてくれるだろうと見越しての舌先三寸。アイツならそれぐらい考えそうだと思うけどな。」

舌先三寸。本心ではないうわべだけの言葉・・・か。パンドラが人心掌握までできるほど賢いなんて想像しにくい。それに。

「俺はアイツを、割り切ったうえでその時だけ優しい態度を見せるような奴には見えない。」

狡賢い。計画的。ダメだと判断した後の切り替えの早さ。残酷なところもある。でも、根本にあるのはやはり「誰かのため」と言う考えなんだと思う。アイツを庇うようにも聞こえるジェニファーの、しかしそれも無理に隠しているとか嘘をついているとか、そんなふうには聞こえない。

「私もそう思う。」

ジェニファーは言った。

「もしかしたら、このまま従っていたら本当に助けてくれるんじゃないかって信じてしまいたくなるぐらいには優しかった。でも・・・なんて言ったらいいのかな。」

下を俯き。自嘲する。

「こんなのはダメだって思った。恩を仇で返したのよ、私。」

一体、どんな心情でそんな事を言っているのかな。わからない。全くわからないわけじゃない。この程度の理解でわかった気になるのが、申し訳ないと感じるほど複雑なんじゃないか、そう思う。ハーヴェイが手を挙げた。

「具体的にはどうやって助けるの?」

遠慮なく質問をぶつける。しみったれていても仕方ないんだ。むしろ話を進めてくれた方が助かる。

「それは聞いてないわ・・・。」

「アイツがどうとか興味ねーんだわ。おい。」

オスカーはもう少しものの尋ね方や一言多いのをどうにかしてほしいが。

「お前の他に今いるメンツの中で今までこの世界に来たことのある奴はいるのか聞いたか?お前のようなやつが、いるのかどうかもだ。」

そうだ。オスカーはそのあたり、やたらと気にしていた。

「気になったもの、聞いたわ。・・・私だけよ。」

「へぇ。」

高圧的な態度を崩さなかったオスカーの声がすこし満足そうだった。この中に偽物はいない、すなわち自分は正真正銘人間だとわかって安堵した。気持ちはよくわかる。俺も正直ほっとした。でもすぐに、一つの真実が確定してしまうことになる。


セドリックは・・・。


わずかな可能性に賭けてみたけど・・・。


「私から話したいことはおしまいよ。ジェニファーの居場所、私のこと。さっきのこと。それしか聞いていないわ。」

話きったことで気持ちの整理がついたのか、背筋も伸ばして顔をあげたジェニファーは俺たちがよく見るジェニファーだった。

「色々あったんだね・・・。」

ハーヴェイやオスカーとは違って終始黙って話を聞いていた聖音は自分より幼い少女に対しすごく同情している。まるで自分のことのように。慈悲、慈愛にも満ちた声で。

「えっ?う・・・うん?うん・・・。」

露骨すぎるほど心配されてジェニファーも同様と同時に気を遣う始末。気まずい。

「・・・ほら、あ、あのー・・・おかげで本物のジェニファーの居場所の目処がついてよかったじゃないか!」

マシューが頑張って仕切り直す。声が上ずっている。

「まあジェニーをさ、もう疑ってはないけど一応ノエルにも聞いてみようよ。パンドラから得た情報と照らし合わしたい。」

「アイツが喋っていたらな。」

と返すとオスカーが頬杖をついてうなだれる。

「あー!!アイツまじでしぶてぇな!俺が出向いてやろうか!?」

「拷問まがいの取り調べをしているんだろう?ストレートな暴力に訴えるだけでは効かないと思うが。」

と自分で言いつつ、パンドラに対する心配も一層増してきた。

「だから、そこはだなぁ・・・。」


その時だった。


「お待たせ!」

と言う大声とともに玄関のドアが勢いよく開いた。みんなもそれぞれ負けないぐらいの大声を驚きのあまりにあげてしまう。ノエルとスージーだ。ただ、ノエルの表情は溌剌な声には似合わず微妙に険しいものだった。

「パンドラから聞いたのよ!ジェニファーちゃんの居場所!!」

それはさっきこっちで聞いた・・・とは言えない。ハーヴェイの言った通り、情報があっているかを確認したいからだ。それでも聖音、マシューは歓喜の声を上げる。

「さっきこっちのジェニファーから聞いたよ。そっちも聞いたなら合っているか確かめたい。」

ハーヴェイは正直に言った。ノエルはこっちのジェニファーが話し合う時間を作ったのを聞かされているので、理解し、若干顔が綻んだ。

「ふんふん。なるほどなるほど。それはそれで言うとして・・・。さっきはいい知らせ。実は悪い知らせもあるの。」

「悪い・・・知らせ?」

大体は、良い知らせと悪い知らせのどちらを先に聞くかとたずねられるのが一種のテンプレだが、すでに良い知らせを先に聞かされてしまったので後は悪い知らせしかないというわけだ。息を飲む。ノエルがこれまた深いため息を吐ききった後、真剣な顔で言った。


「パンドラが・・・逃げたのよ。」


「ーー・・・!!?」

この数日間、ずっと監禁されていたパンドラが、見張られているにも関わらず、どうやって!?背中にぞわぞわとした戦慄が走る。物音も何もしなかった。頭が一気に混乱で騒ぎ出す。

「パンドラがいたの!?」

ジェニファーの顔が蒼白になる。パンドラを裏切って今ここにいるのだ、当然だ。

「まーちょっとね、お話をね。」

「君のことは言っていないわ。すっかり死んだと思い込んでる・・・それより。」

スージーとノエルが返す。仮に、現在のこの姿を見てジェニファーとは思わないだろう。

「そ、そう・・・。」

ちょっとは安心したみたい。

「逃げたの?どうやって?あんなに数日とじ・・・見張っていたのに。」

聖音の質問にノエルは首を横に振る。

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