3


しばらくして。

「おえぇ・・・。」

次はハーヴェイの家に到着。とうとう俺も吐くとまではいかないが胃がムカムカしてきたというか、早い話車酔いした。乗り物には強く船にも飛行機にも酔ったことない俺が自動車で酔うなんて。閉めたドアにもたれて空を眺めている。その空でさえあんな気味悪い色だから余計悪化しそうな気もするが。

「はぁ、頭がくらくらするわ。」

「・・・・・・・・・。」

用事がもうなくなったジェニファーとオスカーは、体調を崩して降りる元気すらなく、オスカーに至っては白目を向いて全身脱力していた。こんなオスカーはなんだか見たくない。

「うっぷ・・・くそ・・・おさまれ・・・。」

吐き気を抑えると言われるツボを一生懸命押してみる。薬指の爪の下あたりを念入りに押すのだが・・・。

「ごめん無理!!」

たまたま木が鬱蒼と茂っていたので走ってすぐのところにある木に隠れて、わずかな抵抗も虚しくこみあげる物には耐え切れなかった。

「・・・・・・うぅ、気持ち悪い・・・うっ!」

立て続けに起こる吐き気を我慢することも出来なかった。一回吐いたらスッキリするんだろうが不快なものには変わらない。一通りもどした後ちょっとの間待って、出すものもなくなったので吐瀉物の水溜りを見て見ぬ振りしてみんなの所に向かった。

「ちょっと、大丈夫?」

スージーは俺の方を見ずに訊ねる。

「誰のせいだと思ってんだよ。」

と毒づくが、彼女の言葉は俺にかけられたものではないとすぐに理解した。


「・・・・・・。」

目を見開き口も開け、今までにないほど戦慄の表情を浮かべ立ち尽くしているハーヴェイに向けられたものだった。

これまでジェニファーも、オスカーも帰るべき場所が変わり果てた姿で待ち受けていて驚いてはいたが、いまのハーヴェイは驚きだけではない違う感情が混じっているように見えた。

「ハーヴェイ・・・!?」

俺も思わず目を疑った。

ハーヴェイはの家は金持ちで、塀に囲まれた豪邸に住んでいると聞いたことはある。でもまさか、塀も分厚い鉄とは思わないし、鉄の柵まで立てたありこれまた頑丈に作られた無機質で冷たい雰囲気を放つ建物は華やかなイメージのある豪邸とはまるで正反対だった。

なにより驚いたのは塀につけられ看板だ。

「リベルシティー西区・・・刑務所!?」

なんということだ。帰ってきた家族を迎え入れてくれる家がある場所に、犯罪者を入れて閉じ込める物騒な施設があるだなんて。こんなの、あんまりじゃないか。

リベルシティーとか聞いたことのない町の名前とかどうでもいい。待ち受けていたものがこれじゃ、あまりにもショックだろう。

しかし、どう声をかけていいものか。

「ハーヴェイ・・・。」

とりあえず名前を呼んでみる。


「・・・ウソだ。」

ぽつりと何かを呟いたがよく聞き取れなかった。しかし、ハーヴェイはうわ言のように同じ言葉を繰り返した。

「嘘だ・・・嘘だ・・・嘘だ、嘘だ、嘘だ嘘だ、ウソだあああぁぁ!!」

突然叫びながら走り出し、びくともしない柵にしがみついてさらに喚いた。

「ちょ・・・ハーヴェイ!?」

急な変わり様にスージーも慌てて彼を追う。

「何があったの!?」

助手席のドアを開け様子を伺おうとするジェニファーをよそに俺もスージーに続いた。

「嘘だよねぇ!ねえ俺何も悪い事してないよね!!ねえパパ!アンタだけぶち込まれりゃいいんだよ!俺は、俺は関係ねぇだろお!!」

怒りと悲しみがないまぜになった感情をぶつけても柵は動かないし向こうからは誰も出てこない。

「ハーヴェイどうしちまったんだよ!落ち着け・・・うわっ!」

なんとか柵から引き剥がそうと腕を掴んだが力任せに振り払われ、俺は態勢を崩し尻餅をついた。

「そこにいんだろ!!どうせそこにいるんだろ!俺の帰るトコまで奪うんじゃねえクソジジィ!うわああああ!!」

ここまで我を失って罵声をぶちまけるハーヴェイは見た事ない。家の事情など俺は知らないし知ろうとも思わないが、ただ悲しむだけではなくどことなく憎悪に満ちている険しい表情を見ると、誰も知らない複雑な家庭事情でもあるのだろうかと思う。

「大人しくしないと本当にここがアンタの帰る場所になっちゃうわよっ、と。」

と言ってスージーは、軽々とハーヴェイの腕を掴んで引き離し、鳩尾に重い拳を入れた。膝から崩れ落ち、鳩尾を抱えあっけなくその場に倒れた。

「ぐっ・・・うぅ・・・。」

いくら男とはいえ子供の体に、車も潰す化物の一撃は中々の痛みを伴うものだった。

「手加減はしたわ。はーったくもう!無関係のアタシの手をアンタ達の事情で煩わせないでちょうだい。」

手をパンパンと払い、事が済んだら自分はさっさと運転席に戻る。まさかの放置だ。

「二人後ろでしょ、大人しくさせたげたんだから早く乗せて。あー酒飲みたい。」

まあ、スージーには色々と助けてもらったし彼女の言う事も一理あるので、ハーヴェイの腕を自分の肩に回して歩くのを支えてやる。ぐったりとしたこいつをなんとか乗せ、心配そうに覗き込むジェニファーに苦笑いをしてみせるがあまり効果がなく、ずっとこちらを見てくる。

「あ、そうそう。シートベルトつけれる奴はちゃんとつけといてね。そんじゃま、しゅっぱーつ。」

いまいちやる気の感じ取れない声を合図に車が発進。疲れたのか眠いのか、若干スピードが落ちている風に感じた。

「・・・・・・。」

ハーヴェイは憔悴しきった顔で項垂れている。

こいつの家は、普通に裕福な家庭なはずだ。

参観日だったちゃんと来てくれる。恰幅が良い優しそうな父親が。

・・・まあ、各々の家庭事情には触れない様にしよう。それに今はそっとしておいた方がいい、そんな気がした。

「で、次はどっち?」

スージーは構わず俺に道案内をさせる。次はいよいよ俺の家だ。

「左。あとはまっすぐ。」

相変わらず信号はずっと青。こんなんで大丈夫なんだろうか。

「・・・少し長いドライブになりそうね。」

ジェニファーの独り言に自然に苦笑が漏れた。バスで通うぐらいだから仕方ない。

「んー、CD一枚もないの?シケてるわねぇ。」

人の車をいじりながら器用に運転する。ハーヴェイの件と言い、終始苛立っているのかと思えば今はそうでもなさそうだ。せっかくだから聞きたいことをいくつか聞いてみることにした。

「なあ、スージー。なんでアンタは女装してるんだ?」

他にもっと大事な質問がたくさんあったはずだけど、つい気になることといえばまず目に映る彼女のなりだった。

「じゃあ逆に、なんで男が女の格好するのが変なのかしら?」

そう言われてみると、男だからとしか答えようがない。が、こんな単純明快な答えじゃすぐまた論破されそうだ。

「質問を質問で返さないでくれよ。」

聞いといてなんだが、答えにはなってないが曖昧にはぐらかした。

「あはは、ごめんごめん。ま、深い意味はないわよ。めんどいからオカマってことにしといて。」

ことにしといてということは本当は違う理由があるのか、などと考えてもそこに隠された真意までは到底読めないので他の質問をしようとしたら、たくさんありすぎてどれから聞いていいのか迷う。

「・・・・・・うん。あ、あの・・・ここはどういった世界なんだ?」

すごく漠然とした質問だ。でも、スージーは俺たちを「自分達の世界に迷い込んだ違う世界の人間」と思い込んでいる。ひとまずそういう事にしておいて、俺はあえてこことは違う世界の住人として訊ねた。


「化物しかいない、そんな世界よ。」

他に車一つ走ってない二車線の道路をひたすらまっすぐ走る。淡々とスージーは続けた。

「昔ね、二人の人間が迷い込んだの。人間は、化物にはない高度な知能と感情という未知のものを持っていた。そこでそいつらをバラして、調べ尽くした結果アタシ達みたいなより人に近い化物が生まれたって言われてるわ。」

まるで昔の伝承を語るかのようにスージーは話してくれる。バラしてって・・・。

「当然その人間は死んだ。でもたった二人のデータじゃ物足りないけどアタシ達は人間の世界に介入することはできない。だから、もし人間が再び迷う事があったら・・・。」

中途半端なところで話をやめる。別に焦らす意味でわざと止めたわけではないのはすぐにわかった。前方に黒い塊が蠢いている。

「なんだアレ!!」

黒い塊は一個一個の個体が集まって出来たものだった。黒光りした巨大な・・・といったも人並みの大きさのある、カマキリのような容姿だった。

「・・・んあ?うっせーな・・・あ、アイツ!アイツだ!先生を殺して成りすました奴は!殺す!!」

急に立ち上がろうとオスカーを力づくで止める。いきり立つのもいきなり立つのも困る。今は運転中だ。

「無茶言うなよ!」

「ぎゃああああああ!?」

久々に聞いたセドリックの悲鳴。どうやら気がついたらしいこんな最悪な時に。

「出たああ僕死んじゃうよおお!か、神様あああ!!!」

すごく悲痛な叫びと今にも前の席に手を伸ばそうとするオスカーを制止するのに必死でもうパニック状態だ。うるさい事この上ない。というか、化物はこちらを見るだけで退こうとしない。黒い壁のようなものが立ちはだかる。このままだとぶつかる。

「この車は確か・・・あるじゃん、ラッキー。」

スージーは銃を取り出し、窓を全開にして前方に銃口を向けた。そんなもんじゃいくら弾があっても足りるわけがない!

「ガール!ギアの近くの黄色いボタンを三秒押して。」

「えっ!?あ、う、うん。」

黄色い三角にビックリマークが書かれてあるいかにも危なさそうなボタンを三秒押し続ける。しかしすぐには何も起こらない。次、アクセルやブレーキとは違う場所を力強く踏みつける。すると、車の内部からガシャンと大きな音が聞こえてきた。

「何が・・・。」

と呟いた途端、前方の化物に大量の爆撃が撃ち込まれた。

火花を散らしながら腕や頭が吹っ飛んで弧を描く。

「は!?」

フロントガラスからじゃさっぱりわからない。

「すごおおおおおい!!!」

セドリックならわかるのでは。

「ひゃああああああ!!?ふ、ふおおおお!!」

ダメだ。叫ぶばかりでなにひとつまともな情報が伝わらない。

「チッ!」

撃ち漏らした化物数匹はスージーが直接撃ち殺す。あっという間に化物は塵と化した。

「頭は悪い癖に鼻だけはいいのね。人間の匂いを嗅ぎつけ群がりやがって。」

黒く染まった道を通り過ぎる。窓から流れ込む硝煙の匂いが鼻についた。

「・・・・・・。」

俺もオスカーも、ジェニファーも茫然と固まっていた。

一体なにがどうなったんだろう。道はトンネルに差しかかろうとしていた。

「あれ?こんなとこにトンネルなんかなかったぞ?」

些細な疑問を気にする暇もなく、その前に数匹いるので撃とうと構えるが。

「弾切れ?誰か入れて!」

と後ろにぽいっと銃器と新しい弾丸が入ったケースを放り投げる。

「は?無理無理無理!!」

銃なんかまともに触った事ないっていうのにどう入れろというのだ。人を簡単に殺すものが今、手の平の中にある。それだけでも怖い。

「早くしろよ!」

「じゃあお前はできるのかよ!」

苛立ちをあらわにしたオスカーに急かされるが無理なものは無理なのだ。その時車は急に右往左往した。化物を避けるためだ。

「・・・貸して。」

あわや口論になりそうなところをハーヴェイが銃と弾丸を俺から奪い取り、手慣れた速さで全部銃に詰め込んだ。

「はい。」

身を乗り出して手渡す。

「アンタやるじゃない。撃ったことあんの?」

あまりにも慣れた手つきだったから一瞬俺も違和感を感じたが、ハーヴェイは黙って首を横に振った。

化物はこっちに向かってくるがそれをスージーは立て続けに二発撃ち、見事化物を射止めた。車を運転しながら動く獲物に命中させるなんて並々ならぬ動体視力だ。

「ったく、どこから湧いて出てきてんのかしら。」

次に来る獲物に備え銃を向けたまま器用にハンドルを操作する。オレンジ色のライトが照らすだけの薄暗いトンネルを照明なしで走り続ける。

「・・・!」

なにやら気配を察したのか、一発撃った。俺には何も見えないし感じないのだが、向こうからわずかに呻き声のようなものが聞こえてきた直後。赤い閃光がこっちに向かって放たれる。車の横をスレスレで通り過ぎていったから俺たちは無事だった。しかし窓の外、飛んでいく銃を握ったままの右手が視界に入った。


すぐに腕の主の方を向くと、スージーの肘からうえが無くなっていたのだ。

「ぎゃああああああ!!!」

ジェニファーは叫びながらドアに張り付いた。そりゃそうだ、片腕がないのだから俺もぞっとしたが本人は痛い素振りを全く見せず片手で器用にハンドルを操作していた。

「フン、雑魚がやってくれるじゃない。」

「ライトつけろよ!!!」

オスカーの至極まともなツッコミにもいたって冷静に返す。

「照明の所からぶっ放せるようになってるから起動している間はつけられないのよ。・・・ガール!スイッチ!」

ただでさえ片手運転を強いられた上に攻撃する手段を一つ失ったのだから隣のジェニファーは嫌でも彼女の助手をしなければいけなくなる。

「は、はい・・・。」

おそるおそる手を伸ばし三秒押し続けるとまたもあの爆撃が薄暗いトンネルを眩いぐらいに照らす。轟音が響いてとても煩い。

「やっぱいたわね、しかもまあうじゃうじゃと・・・。」

視界が明るみになり、何体かそこにいた化物がもがき倒れるのを目の当たりにした。ところが何体かは煙をあげているも無傷でこちらを見据えていた。よく見ると体が若干大きい。

「ファック!!炎耐性のレア種とはついてない!」

スージーが罵声とともに吐き捨てる。なんだか嫌な予感がする。

「炎耐性って、なんだつまりこの爆撃も効かねえのかよ!」

若干ゲーム脳のオスカーはすぐに危機的状況だと把握した。なるほど、そういうことか。

そういうことかじゃない!これでダメならもうお手上げじゃないか!

「なんてこった!トンネルだけにお先真っ暗だぜ、全く!」

頭を抱えながら座り込む。このままではあいつらと正面衝突してしまう。絶対無事では済まされない。

「アンタ達!しっかり座席につかまってな!」

「えっ!?」

スージーは、壊れるぐらい一気にアクセルを踏み込み、ハンドルをこれほどかというほど速く回した。何回も、何回も、勢いよく回す。そんなに回して一体どこに曲がるというのか。

「わあああああっ!!?」

車が傾き、俺たちはドアの方になだれ込む。

なんと車は道ではなくトンネルの壁を走っていた。

「助けてえええええええ!!落ちるうううう!!!

「落ちるか!!」

「落ちるわ!!」

セドリックの悲鳴に即座に返すスージーにソッコーに返す。いや、車そのものが落ちるのではないかというほど綺麗に壁を走行している。

化物をなんとか回避できた所でゆっくりと元の道へと戻り何事もなかったように走った。

「俺たちはジェットコースターにでも乗ってるのか?」

オスカーが力なく呟く。

「だとしたらこれが初めてだ。絶叫マシーンには乗ったことないんだ。ハーヴェイは?」

「絶叫マシーンよりこっちのが怖い。」

皮肉にもオスカーと普通に話したのは多分初めてだ。さりげなくハーヴェイにも話題を振ったりもする。しかし俺も二人もみんな呆然としていた。

「セドリック静かになったな。」

「また気を失ったんじゃない?」

「ま、無理もねえわな。」

などと呆けた顔の三人が会話していると、ようやくトンネルを出た。眩しくて思わず目がくらむ。

「うわっ、眩し・・・。」

道路を再び走る。

そこで突然だが、俺は他の車を見ないのか理解した。

そら通らないわけだ。いや、化物以前に通らない原因が他にあった。


道が途中から無い。切断面はボロボロなので崩れ落ちたのだろう。向こう側の道までは結構な距離があった。

「あああああああぁぁー!!!!」

全員が腹の底からの悲鳴を上げた。道の下はなんと別の道があり、そこまでの高さは10メートルぐらい。これは避けようがないし落ちたら死ぬ。

嫌だ。こんな、絶望と恐怖を感じながら痛い思いをして死にたくなんかない。それはみんな一緒だからこうやって叫んでいる。

「うっさい!」

スージーの一喝どころでは収まらない。こっちは今から死に向かう直前なのだ。ブゥゥゥンとエンジン音が鳴り響き、車は更に加速を続け、やがて速度はマックスの域に達しみんなの恐怖も増していく。まさか、勢いをつけてそのまま向こうまで飛ぼうとしているのではないのだろうか。

「・・・・・・!」

そんなの、映画でもあるまいし上手くいくはずがない。半分覚悟を決め、出来れば痛みを感じることなく即死できるようにと願いつつ強く目を閉じた。


いよいよ道を失った車は、落ちることなく疾走を続けた。

しばらく時間が止まったように感じた。車が空中を緩やかな弧を描いて、体はふわりと上に浮く。でもそれはもう落下を始めた合図。

しかし、前へ前へ必死に向かおうとスピードを落とさず維持してくれた車のおかげでなんとか向こう側まで走りきることができた。


「ぎゃっ!!」

着地すると激しい衝撃が体を揺さぶる。これはシートベルトをしていなければきっと頭を強打して首の骨でも折れていたかもしれない。実際俺は二人しか座れない座席の真ん中に無理やり割り込む形で座っているからシートベルト自体ないのだがハーヴェイが抱え込む形で座席に固定してくれていたため無事だった。

「・・・ふぃ~、マジで死ぬかと思ったけどなんとかなったわ。」

オスカーは冷や汗を袖で拭った。

「ね、安全運転でしょ?」

「死ななけりゃ安全運転てわけじゃねえよ。」

どこか得意げなスージーをツッコミついでに諌めた。全く、過去に類を見ない危険運転だ。下手すれば俺たちは何回か死んでいたろうに。

「ていうかいつまで抱きついてんだ。」

平たい道を走っているというのに離れようとしないハーヴェイを引き剥がしながら、セドリックに今の状態を尋ねる。

「おーい、大丈夫か?」

対し、意外にも元気な声な声が返ってきた。

「死んでるー!!」

「死体は喋らないから大丈夫だな。」

オスカーが皮肉めいたことを呟くが、大丈夫という根拠はない。まあ、あんなに大きな声を出せるなら大したことはなさそうだ。

「大丈夫だって!むしろ刺激が足りないってさ!」

「そんなこと一言もいってないよ!?」

ハーヴェイのでっち上げた嘘に必死に反論するセドリックが本当に可哀想に思えてくる。

「足りないつっても、もうここからは一本道だし何もいそうにないのよね。」

特に表情を変えず片手のみで運転を続ける。そういえば、腕が片方なくなったのだが大丈夫なのだろうか。

「ね、ねえ。スージー、さん。その・・・腕の方は・・・。」

ジェニファーが恐々と訊ねるとフッと笑みをこぼす。

「腕の一つや二つ無くなったところでどうってことないわ。直してもらうから。ただ、不便よねぇ。」

そりゃ不便だが、他にもっとあると思うのだが。痛くはなさそうなのだが・・・。

「そんなことより、リュドミール。ひたすらこの道をまっすぐで良いのね?」

あっ、そうだった。道中色々なことがあってすっかり忘れていたが今は俺とセドリックの家に向かっているんだった。

しかし、本当にこの道であっているのか不安になってきた。だってトンネルも本来はないし、ましてや道が寸断されているなど有り得ない。

それでも、今は知っている道はどこか懐かしい感じがあった。

「・・・・・・。」

父さんと二人でよく行くスーパーやファミレスを通り過ぎる。父子家庭で言うほど裕福な暮らしではないが、一緒に過ごす毎日は楽しくて、その日常が当たり前だった。

「・・・父さん・・・。」

無事でいてほしい。ただそれだけを願う。必ず元の日常を取り戻し、そこにまた帰ってきてほしい。

「大丈夫。」

つい口から出ていたのか、ハーヴェイにいらん心配をさせてしまったようだ。

「逆に考えると危ない状況下からは逃れることができた・・・ということ?」

聞かれても困る。というか、消えたみんながどこへ行ってどうなっているかも定かではないのに不安を払拭することはできないが、コイツなりに心配してくれているなら今はそういう事にしておこう。

「んー・・・かもな。ありがとう。」

「あっ!」

突然何かを思い出したように声を上げる。

「あの時はごめん。」

あの時・・・?もしかしてハーヴェイが刑務所の前で暴れた時のことだろうか。確かに、普段感情的なところを見せないだけに吃驚はした。でもなんとか事態は収まったし、そこまで引きずる事でもない。

「気にしてないよ。」

「・・・・・・。」

だけどなぜか空気が気まずくなった。

「あーっ!見えてきたよリュドミール!!」

そんな空気をセドリックの嬉々とした声が見事にぶち壊す。前方には、赤茶色のレンガのこじんまりとした佇まいの建物。

確かにあった。俺の帰る場所が。

それだけで嬉しくて、泣き出しそうで、目頭が熱くなって、顔もほころぶ。

でも待っているのは家族ではない。

しかし助けを待っている人がいる。

だから安堵の息をついている暇も落胆している場合でもない。気を引き締めなくてはと両手で頰を二回強く叩いた。

しっかりしなくては。

トラックが入るには厳しい狭い駐車場に軽々と停める。他に車は見当たらない。

「着いたわ。」

気付けば俺は我先に駆け出した。雪の積もった歩道を長靴で走り、見慣れたドアを俺は躊躇いなく開けた。



「ただいま・・・。」

思わず出してしまった言葉。だが俺がそのあと口をつぐんだのは恥ずかしいからとかそんなんじゃない。


店内には黒い鉄の塊でそこらじゅうが散らかっていた。赤黒い液体が壁に飛び散り、床にはすでに染み込んでいる。一瞬血に見えなくもないがそれらしき臭いはなく、どちらかというとガソリンスタンドで嗅ぐような独特の油の臭いが充満していた。

その真ん中には、消火器を構え、長身で背中あたりまでの茶髪の、液体に塗れた女性が居た。

その女性は、見たことのある顔だった。電話越しの声でなんとなく察していた。俺の店にも常連客は少なからずいる。その中の一人なのでわからないはずがない。名前は聖音。バイトから帰る途中、よく立ち寄ってくれていた。いつも見せる、陽気な笑顔は放心状態だった。

「ひっ・・・!!」

駆けつけたジェニファーが小さな悲鳴をあげる。見ていてとても悍ましい光景だ。みんなが声を失う中、セドリックの縄を解いていたため遅れてやってきたスージーがヒューと口笛を吹いた。

「へぇ~、コレ、アンタが殺ったの?」

塊をバキッと音を鳴らしながら踏んでいく。

「すごいじゃない!ま、火炎耐性は他のステータスがクソだからね。にしても、アンタ人間・・・。」

「ちょっと黙れよ!!」

べらべらと一人喋るスージーに我慢ができなかった。

「な、何よ・・・。」

振り返った彼女は鳩が豆鉄砲食らったような顔だった。本人に悪気はないのだろうが少し察してほしい。聖音の腰は引けており、内股で、表情も強張っている。おそらく、押しかけてきた化物相手に必死に抵抗したんだ。だとしたら、精神は衰弱しているに違いない。

「言った通り、帰ってきたぞ。・・・だから、そのー・・・もう大じょ・・!?」

聖音の手から消火器が滑り落ち、その音にびっくりしたのと同時にさっきの張り詰めた顔が崩れ大粒の涙をぼろぼろと零し始めたのにぎょっとした。

「わっ、その、だ、大丈夫か?」

俺なりに「もう大丈夫だ。」とか言って安心させようとしてたのに情けなくおどおどと心配する形になってしまった。緊張が解けて泣いてしまうのも当然だがいきなりすぎてどう接していいのかわからなくなる。

「う・・・うぅ・・・ぶぇ~~~っ!!」

慌てふためいていると奇声を発しながら俺の方に向かって駆け寄ってきては勢いよく抱きついた。

「わーっ!?ちょっ、えっ離せ!油くさっ!!」

押し倒されそうになったのをなんとか踏ん張って全身で受け止める。しっかりと腕を回し背中をぎゅっと掴み、抑えていた感情が涙となって溢れ、濡れた顔を強く埋める。どうにか慰めの言葉でもかけてやりたいのだが、結構油の臭いが鼻にツンとくるほど強いものだった。

「ごわがっだよお~。ぎゅうにでれぎだがらきょおぎになりじょうなものでひだじゅ◯※♪☆$≠%々℃Яψ~!!」

見上げてきた顔はひどくぐしゃぐしゃで、最後の方は何を言っているかさっぱりである。

「と、とにかく!ケガはないんだな!?」

と聞くと強く縦に頷いた。

「ったく、そこは抱き返してやるとこだろうよ。」

背後から俺を非難するオスカーの声。

ここで抱き返すのはさすがにおこがましい。それに女性に対しての過度なスキンシップは苦手だ。

「それはそうと、いつ建て直したのかしら。」

スージーがカウンターやその周りを物色し始める。

「建て直してなんかないぞ。あと、あまり触らないでくれよな・・・。」

まあ、すでに店内がここまでま荒れているので今更だけど勝手に触られるのはあまりいい気はしないものだ。ちなみに改装した覚えも建て直した記憶もない。

「あ!ウイスキーみっけ。ねえ、一個もらっていいかしら?報酬として、ね?」

カウンターの中の棚には、様々な種類のお酒が陳列してある。ここに置いてあるお酒は全部客に出す用だが、まあ、一個ぐらいあげてもいいだろう。事情を知らない故の彼女の行動についても触れないでおく。

「ああ、いいぜ。」

「やったー!帰ったら一杯・・・いや!早速のんじゃおーっと。」

しかし、素直に喜ぶ姿はさながら俺たちより少し年上の女の子にしか見えないのに発言と行動と性別となにもかものギャップが激しい。

「・・・あ、セドリック!」

ドア付近にいたジェニファーが誰より先に気づいた。俺たちがこうしている間にもちゃっかり自分の家に立ち寄っていたのだろう。だが、セドリックどこか浮かない顔をしていた。

「それがね・・・わっ?リュー君が女に抱かれてるよ!?」

スージーが口に含んでいたウイスキーを全て噴き出してその場で噎せ返り、オスカーとハーヴェイがそれを見て大爆笑という、セドリックの何気ない発言で一瞬にして空気がギャグと化した。

「ん?僕なにか面白いこと言った?ていうかすごい散らかってるねえ。なんだか臭いしさあ。」

一人不思議そうに首をかしげるセドリック。無邪気というのは罪だ。

「ごめんね。散らかしちゃったけど、もう、それどころじゃなかったっていうか・・・。」

そっと俺から身を離した聖音はひどく落ち込んでいる。泣き腫らした顔は真っ赤になっていた。

「逃げようって、最初は思ったけど遅くって・・・なりふり構わず、暴れるしかできなくて。」

セドリックもさすがに、黙って聞いていた。いや、別に彼女の事を言っていたわけではないのだろうが。

「ここは私のお気に入りの場所だから、こんな事になるのは私も嫌なのに自分の身を守るだけで精一杯だった。守れなかった、帰ってくる場所・・・。」

荒れた店内・・・もとい、人の家の中を見回す。でも、誰が彼女を責める?彼女には特別な場所であれ、関係のない他人の家を体を張ってまで守る義務はないのだ。自分の身を守るだけで精一杯だっただろうに、そんなことまで考えてしまうのか。

「家なんかどうにでもなる。気にするなよ。お前に何かあったら、そっちの方がどうにもならないだろ・・・。」

うーん、もっと優しい気の利いた言葉が浮かばないものか・・・。しかし、聖音の顔は僅かに綻んだ。

「う、うん・・・。」

するとセドリックが深いため息をついた。

「家がちゃんとあるだけマシじゃない。ねえ?」

と、突然話を振られたジェニファーは目が泳いで慌てふためいている。代わりにハーヴェイが答えてあげた。

「ほんとほんと。俺なんか家があった場所に刑務所があったんだけど。ジェニーは。」

「わー!わーっ!!」

顔を真っ赤にして両手をバタバタと振り、謎のジェスチャーと同時に大きな声で遮り始めた。状況がわからない聖音は茫然としているしかなかった。

「そ、そそ、そういえばセドリック!アンタ、リュドミールと家近いんでしょ!?」

今度はジェニファーが苦し紛れに話を振った。一方、セドリックは。

「僕はいいよ。ここに僕の家もない、そんな予感がする。」

珍しく、冷静だった。本人に戻る意思がないなら、別にいいのだろうか?家族の事とか、心配なんじゃないのだろうか?

「はぁーあ、なんでテメェの家だけご健在なのかねぇ。」

オスカーは半ば八つ当たりに言っては俺を睨む。

「知らねえよ。たまたまだろ・・・。」

そんなの、俺が聞きたいところだ。すると、高い足音を鳴らしてスージーが俺たちを横切る。

「てかアタシもう帰っていい?」

すっかり回復したドアの前で立ち止まり、澄まし顔で壁にもたれながらこっちの反応を待っている。なぜだろう、妙な威圧を感じた。

「・・・・・・。」

いいともだめとも言えず、一同は黙る。

彼女に保護してもらえるのは俺の家までとなっていた。実際に化物相手に容赦なく突っ込んで次から次へと倒していく彼女の実力は想像以上のものだった。それに付け加え俺たちにはない運転のスキルも持っている。できれば俺たちがこの状況を打開できる方法を見つけられるまでは是非ともそばにいて欲しい。でも、考えてみると向こうにはなんのメリットもない。むしろ腕一本を喪失している。もっとそばにいて守って欲しいとは、図々しいにもほどがある。

「・・・あんた達には酷だけど少しは自分達でがんばんなさい。どんだけ弱いか知らないわ。でもアタシだって無敵じゃないんだからね。じゃーね。」

至極まっとうな言葉に俺たちは何も言えない。重い空気の中、その場を後にしようとするスージーだったがふと足を止めた。


「・・・そうだ。超絶優しいアタシの弟子を一人貸したげる。」

振り返ったスージーは、なんというか、弟子という言葉のせいでいかにもカリスマ性の増した感じのドヤ顔だった。

「馬鹿みたいにお人好しだから超使えるわよ。あと、そこそこ強いわ。安心してちょうだい。」

あんな暴君で気まぐれな師匠の弟子は、弟子など名ばかりのパシリとしてこき使われているんだろうな。なんて考えているうちに言いたいことを告げたスージーの姿が遠ざかる。

「まっ、待って・・・。」

呼び止めようにも次は姿が消え、しばらくすると車のエンジン音が鳴り響いてはその音さえ遠ざかり、やがて全く聞こえなくなった。


「貸したげるって・・・。」

弟子の情報が圧倒的に不足しすぎてみんなが困惑を顔に浮かべていた。

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