これはきっと熱のせい 後編

 チャイムが鳴っている。

 市川が来たのだと、起き上がった。ズキズキ痛い頭を押さえて玄関口に向かった。

 インターフォンの液晶画面を見た。

 ビニール袋を両手に下げた市川がいた。

 黒い太めのフレームに、長めのウェーブかかった柔らかそうな髪。

 気だるそうに立っている。

 はじめてみた時はやる気がないのかと思った。だが、見かけだけで、仕事はスムーズでストレスがない。しいて言えば、言葉数が少ないことぐらいか。

 見かけによらずとはよく言ったもので、堅いししゃべらないが、こうやって気を掛けてくれるいい奴だ。

「戸口にかけといてくれたらいいから。サンキューな」

 画面に映っている市川に声をかけた。その声は、ガラガラでちゃんと伝わっているか心配になる。

「カギ開けてください」

「え、いや。うつしたくないし」

「お互いマスクしてますし、長居しませんから」

「だめだ……」

 ズキズキする頭痛に頭を押さえながら言う。

「置いておきます」

「ああ。レシートは入れとけよ」

 返事はなく、市川の姿が画面から消えた。


 さっさと荷物を持って入ろうと思って扉を開けると、目の前に市川がいた。

 目が合って、扉をしめようとすると、黒い革靴が間に割り込み、閉まるのを阻害してきた。

「おい!……ごほごほっ」

 なんなんだ。早く寝たいのに。

 止まらない咳と頭痛に身をかがめた。

 すると、背中をそっとさすられた。

 そのさする手が、優しく玄関口から中へと押し出してきた。

 咳込んだのは誰のせいだよ。と思いつつ、うつしたくないといった正義感を放棄し、促されるまま重い足を動かして、倒れ込むようにしてベッドに横になった。

「……、まったく。強引だな」

 寝ころびながらじろっと睨めつけてやる。

 だが、たじろぎも罪悪感もない無表情な顔があるだけだ。

「好きにしろ」

 俺は、布団をかぶって寝た。


 部屋は1LDKだから、広くもない。

 市川が動く音が、布団越しにも聞こえてくる。

 冷蔵庫を開ける音、水道を流して何かを洗っている音。

 ビニールの音。

「佐幸さん」

 と声をかけてきた。寝たふりをしてやろうかと思ったが、買ってきてくれた手前、無下にするわけにもいかず、少しだけ布団をずらした。

「なんだ」と聞くと、

「ちょっと失礼しますね」

 彼の顔が急にちかづいてくる。

「お、おい」

 頭を持ち上げ、頭の下になにかを置いた。

「氷枕です」

 首から頭にかけて冷たくて気持ちがいい。

「冷えピタです」

 おでこにひんやりとしたものが貼り付けられて、首をすくめた。

「ポカリと、レンチンのおかゆ。ゼリーも置いときますから」

 淀みなく流れるように、物が置かれていく。

 なんだか「お前は俺のおふくろか」と言いたくなるかいがいしさだ。


 ベッドの横に座った市川に、

「あ、ありがとな」

 と、天上を見ながら言う。

「……」

 しんと静まりかえり、どうしたのかと市川を見た。

 ハッとするような、優しい笑みを浮かべていた。

 その笑みをもっと見たくて、手を伸ばした。市川がそれに気づいて後ろにのけぞるが、俺の手が届くほうが早かった。


 見たかった笑みは消えて、代わりに照れたような困り顔に口角があがる。

「眼鏡ない方がモテんじゃねぇの?」

「モテなくていいんです」

 返せと手を伸ばしてくるが、帰らなかったことに少しは腹立ちを覚えていたから、仕返しにと布団の中にメガネを隠した。

 顔立ちのパーツはいい。眼鏡を取って、髪の毛を短めに刈り込んだら、俺好みの……。俺好みってなんだ。いやいや。なんて続けようとしたんだ俺!

 熱のせいだ。そいういうことにしとけ。

「眼鏡返すから、もう帰れ」

 追い返すしぐさをすると、眼鏡を受け取った市川は、「はい」とうなずいた。


 目を閉じていると、首筋に冷たいものが入ってくる。それが、市川の手だとわかって、市川を見た。至近距離と手の感触に、心臓が跳ねる。

「まだ、熱高そうですね。明日も休んでくださいよ」

 淡々という市川に、わかったと手を上下に振った。


 パタンと扉が閉まる音がして、ホッ息をついた。

 手で頭を押さえる。

 そうこれは熱のせいで頭痛がするんだ。

 決して、市川の笑みが可愛かったからもう一度見たい、とか、本当か帰ってほしいとか思っていない。

 眼鏡を取った時の困ったような顔を思い出して、気になって……あああぁ。

 これは、きっと熱のせいだ。

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