「さぁ、選びなさい」

　何も無い真っ暗な空間――。

　見渡しても一切の光が認めれない世界にいた。

　俺の名前は柊（ひいらぎ）一樹（いつき）。　

　順当に数えればもうすぐ高校二年生だ。

　趣味はアニメと漫画という、至って普通仕様の高校生――。

「選びなさい」

　

　そう促してくるのは眼前に佇むひとりの女性。

　ただの人間ではないことは先ほどの自己紹介でも知った。

　優美な唇から滑り出た言葉は端的で、名前すらも名乗られはしなかった。

　ただ一言、「ドライアドです」と。

　それはファンタジー定番の種族で、姿は想像に違わず美しいものだった。

　緑の髪質はターコイズブルーに近く、まるでお約束のようなスレンダーかつ豊満なボディが目に眩しい。肌の多くをシルクのドレスに包みながら、ところどころ白磁のような美しい艶を覗かせていた。

　――だけど、そんなことはいったん脇に置いておくことにする。

　さしたる状況説明もされないまま、ドライアドが差し出してくるのは一枚の紙だ。そこには判読できないもののどうやら文字列らしきものが箇条書きに、九つ並んでいる。

　俺は紙片へと視線を落としたまま、睨むようにして固まっていた。

　

「……」

　彼女は促すように再度無言で紙を突き出してくる。「選びなさい」と言外に表しているようだ。「異世界の文字だから読めない」とか、そんな空気の読めないことを言うつもりもない。

　そうではなく、それ以前の問題だ。

　俺は理解が追いつかないながらも逡巡しながら顔を上げ、躊躇いながらも口を開く。

「あの……」

　彼女の秀麗な姿を堪能したいところだが、今はそれどころではない。

　考え違いでなければ、紙の記載と彼女の言動は全く一致しないのだ。

「なんでしょう？」

　首を傾げるドライアドと名乗る女性――。穏やかな弓なりの双眸にうっすらとした笑みを浮かべていた。仕草は貴族のメイドを彷彿とさせるような滑らかなもの。そしてどうやら質問は許されるようだ。

「選べと言われても、もうすでにほとんどに二重線が引かれているのですが……」

　紙片の文字列――九つのうち、八つにはすでに二重線が引かれていた。

　辺りは真っ暗な空間だ。互いの姿しか認められない夢現のような世界で、しかも自らをドライアドと名乗るなど大概常軌を逸している。だからこそ、文字の上から線を引くという行為の意味するところが果たして共通の解釈かと疑いたくなる。

　

「……」

　女性の首がさらに傾いた。普通なら疑問を示す挙動――。

　『言っている意味がわからない』といったところだろうか？

　それでも崩れない笑顔がちょっと怖い。

　女性は携えている紙を翻して自身へと向ける。

　口元に手を当てるドライアドに唇からは『あらやだ』とでも聞こえそうだ。

　「おばさんみたいだな」とかそんなどうでもいいことを思う。

　

「私ったら……うっかりしていたわ……」

　

　やっぱり、何かの手違いだったみたいだ。

　そう思っていると、またしても彼女は何も変わらぬその紙を俺の眼前へと突き出した。　

「お選びなさい」

　――それ口調がちょっと丁寧になっただけじゃないか。　

　さらに深くなった笑みと艶を失くしたような瞳の圧力が半端じゃない。

「……ちなみに、この二重線が引かれたものは選べるんですか？」

　

　唾を呑み、返事を待つ。

　ドライアドが咳払いをひとつした。

「選べません」

「だったらーっ！！　これはもう『選べ』っていうか、むしろ『これにしろ』ってことですよねっ⁉︎」

　笑顔のまま微動だにしないドライアド。

「はぁ……なんでこんなことになってるんだ……」

　俺は額に手を当て肩を落とす。

　そうたしか。

　直前の状況は、雪がうっすらと積もる寒さの厳しい日だった――。