「父を愛した」父を憎んだ。

アルグ

第1話 「6年ぶりの故郷」父との再会。




東名高速を、東京から西に向かっていた。


車は、日産スカイラインGTR。

国内最強と言われるスポーツカーだ。


就職して最初に買った車がスカイラインの中古だった。

・・・が、そのスカイラインは、牙を抜かれた名前だけのGT・・・・単なるファミリーカーでしかなかった。・・・期待外れもいいとこだった。

2年乗って、我慢できなくなり、無理目のローンで、スポーツカーのフェアレディZに乗り換えた。


就職して6年目。・・・今年24歳になる。

今年、就職した時の、ひとつの「夢」が叶った。

・・・・いや、子ども頃からの夢か・・・・

自分へのご褒美もあって、思い切って車を買い替えようと思った。


速い車が欲しかった。


トヨタのスープラ。マツダRX-7・・・もちろん新型のフェアレディZ・・・数台を試乗して、このスカイラインGTRに決めた。

・・・買い替えた後で気づいた。

けっきょく、また日産車なのか・・・三つ子の魂百までとはこのことかと自嘲した。


乗り換えたばかりのスカイラインGTRは、これまでのフェアレディZとは全くの別格。抜群の高速安定性を示した。


行先は徳島県。・・・・そう、実家だ。

・・・そして、病院だった。


父が入院していた。

末期の胃癌に侵されていた。


すでに、何度も「危ない」という知らせは受けていた。

しかし、東京と徳島の距離、仕事は・・・仕事は簡単には休めない。そして、そんなに簡単に行ける距離でもない。


・・・いや、行きたくなかった。

徳島の地を踏みたくなかった。

高校を卒業した時に、二度と徳島の地を踏むものかと決めていた。

事実、6年振りの徳島だ。


・・・・ボクは徳島を棄てた。


それでも行こうと思ったのは・・・・東京から徳島までの距離700km・・・ただ、買い替えたばかりのスカイラインGTRで長距離ドライブをしてみたかったからだ。・・・・仕事は・・・まとまった休みが取れることがない。せっかく買った車に乗れることも少ない。前のフェアレディZも・・・・せっかっく新車に乗り換えたにもかかわらず、ほとんど乗ることがなかった。


「親の死に目」

そんな感慨もない。


何度か危篤という状態を迎えながら、それでも父は死ななかった。


「まだ、誰か会いたい人がいるんでしょうね・・・・」

長く面倒を診てきた担当医師が言った。


「もう、あの世と、この世を行ったり来たりしている状態です・・・まだ、未練があるのでしょう・・・誰か会いたいヒトがいるんだと思います・・・」


皆が見舞いに行っていた。

あとはボクだけが行ってなかった。



あと1ヵ月もすればお盆休みに入る。

せめて、そこまでもってくれればと思ったが、そうもいかないようだった。

もう、本当に、最後の最後の命の炎が消えようとしている・・・


「父危篤」

休みを取るには十分な理由だった。


会社をサボったような気分でロングドライブを楽しんだ。

最新式のCDチェンジャーからお気に入りの音楽が流れている。時間はたっぷりある。聞きたいだけ音楽が聴ける。・・・・ボストン、フォリナー、ジャーニー・・・クィーン・・・・今、最もお気に入りはゲーリームーアだった。

就職して社員寮に入った。

そこで隣の部屋になった同期・・・岩手県出身のギター小僧・・・ボクも高校時代にバンドをやっていた。そんなことから意気投合して、休みの日はほとんどを一緒にいた。

そういつから教えられたのがゲーリームーアだった。


6年ぶりに徳島県に向かった。・・・「向かった」だ。この後も二度と行くつもりはない。「帰る」などという言葉を使うつもりはない。



海沿いの病院。駐車場にスカイラインGTRを入れる。

ドアを開ければ海の匂い・・・・・海の匂いは同じじゃない・・・東京の海と徳島の海の匂いは違う。

・・・風がロングドライブの身体に心地いい・・・懐かしい匂い・・・そして音。

微かな夏の匂い・・・夏の音・・・一気に身体が徳島に戻ってしまう。

封印していた、徳島という体内の細胞が起き上がっていくのを感じた・・・



病室に入る。

何本ものチューブに繋がれた父が横たわっていた。

左手首に包帯が巻かれていた。

眠っていた。・・・いや、眠っているという表現では表せない・・・・人間の・・・生き物の最後の局面なのを感じた。


ベッドの脇のテーブルの上に綿棒などが並んでる。・・・・無造作に置かれた腕時計。・・・・父が愛用してきたものだ。


・・・・海沿い・・・それでも7月だ。暑い。リストバンドで額を拭った。

汗っかきだ。夏場は汗をかく・・・・だからといって首にタオルを巻くのも、どうにもカッコが悪い。左手に大きめのリストバンドをしていた。・・・・汗だけが理由じゃなかったけれど・・・・


「手を握ってやってくれ・・・・」

母が言った。

父の手を握った・・・・・痩せた手だった。

ボクが憶えている、あのガッシリとした腕からは想像もつかない痩せ方だ。


父は当時としては大柄な男だった。

上半身のガッシリとした体躯とは不釣り合いに足が長かった。日本人離れした、そのスタイルは、パッと見にはミュージシャンを想像する・・・・どこか地に足のついてない印象があった。

そして、その通りの人生を送った。

その手が、全くの老人のように小さくなっていた。細く、小さくなっていた。

父が微かに目を開けてボクを見た。

ぼんやりとボクを見ていた。・・・・わかるのかわからないのか・・・・薬のせいなのか・・・

言葉はない。


「すまんかったな・・・・」

なんとはなしに、そんな声が聞こえたような気がした。


「すまんな・・・・」


病室には弟もいた。

弟とは8歳違いだった。

坊主頭に学生服を着ている。

相変わらず中学生は坊主頭か。変わらないな、このクソ田舎。・・・・いや、もう高校生か・・・


・・・・そして叔母がいた。

愛媛県に住む叔母・・・父の一番下の妹だ。・・・一番仲の良かった兄妹だ。

・・・いきなりの対面にギョッとした・・・


まさか、ここでアンタの顔を見るとは思わなかったよ。


父の顔、叔母の顔、弟の顔。そして母・・・・



・・・・13年前の出来事・・・その登場人物が揃っていた。



「あと1ヵ月・・・・せめて、あと1ヵ月なんとか生かしてやりたいんやけどな・・・・」


母が言う。


・・・・微かに聞こえていた二拍子・・・・

阿波踊りの二拍子が聞こえていた。


・・・・父が愛した・・・後年は、それのみを楽しみとした阿波踊り。

三味線、太鼓、鉦鼓、篠笛・・・独特の二拍子が聞こえていた。


あと1ヵ月で本番を迎える。

練習にも熱が入っているのが音でわかる。・・・小学校、中学、高校で練習させられたこの二拍子は、血液の中に染み込んでいた。・・・音から演者の細かな心理状況すらわかる。



・・・・棄てても棄てられても、親は親・・・子供は子供・・・故郷は故郷ということか。



せめて、最後に阿波踊りを見せて死なせてやりたいというのか。

・・・母は父を愛しているというのか。



・・・父が大好きだった。・・・そして、父に愛された。

しかし最大限に憎んだ。思いの限り嫌悪した。

その父の、57年の生涯が閉じられようとしていた。





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