第3話 僕の助手になってよ!

 壁ドンという言葉が一時期流行ったが、たぶんあれは、こんな暴力的なものじゃないだろう。先輩たち三年生の教室が並ぶ一階。玄関の目の前にある中央階段の裏側にて、僕はいままさに壁ドンされている。ついでに言うと、一般的なやつが男子が女子にドンしているのに対して、なんと僕はゴリラにされている。


「ねえ、どういうつもり? わたしがあんたの助手? 探偵の血? いったいどういうことか、洗いざらい吐いてくれやがるわよね?」


 真篠もといゴリラは、僕の襟ぐりを鷲掴みしたまま、片頬を小刻みに痙攣けいれんさせた。


 真篠が表情筋を無理やりに動かせながら「すぐに行くので先に行っておいてください」と、先輩に言い放った時点で、こうなることはわかっていた。それでも、想像を絶するゴリっぷりに僕は戸惑っていた。


「もちろん話す。話すからさ、ちょっとこれ、なんとかしてくれないか?」


 懇願する僕を睨みつけると、真篠は乱暴に解放してくれた。両腕を胸の前で組んだ姿勢で、顎を耳と平行になる位置まで持ち上げ、鬼の形相だ。おいおい、これが女子の表情か? もはや、真篠あおいを女子たらしめているのは、首元に赤いリボンが付いたわが校指定の紺のブレザーと、同色のプリーツスカートくらいしかないと言えよう。


 さて、この推定ゴリラにいったいどうやって説明したものか。思いながらネクタイを締めなおす。僕は詰めていた息を吐き出した。


「六年くらい前かな、先輩、推理小説にハマっていてさ。ホームズだとか怪人二十面相だとかに憧れていたんだ。本を読む度にかっこいいとか素敵とか言っていたから、当時まだ小学生だった僕は、自分が先輩に同じことを言ってもらいたい一心で『実は、僕には探偵の血が流れているから、推理なんてお手の物ですよ』ってかわいい嘘をついたんだよね」


「は? かわいい? は?」


 顔の右側に恐ろしい圧を感じて、まともに前を向けそうにない。僕はなおも視線を真篠から外したままで、続ける。


「そしたら先輩、すごく喜んでくれて。興奮したまま『じゃあ、何か事件があれば、チーくんに言えば、解決してくれるんだね』って言ってさ。そのまま今日に至るんだけど。真篠も知ってのとおり、先輩が僕に持ってくる事件って、いつも何の推理も要らない勘違いとか早とちりばかりだったんだよ。この六年間。さっきまでは」


「……なるほど」


 事情を察したらしい真篠が、荒い鼻息を漏らした。ほら、やっぱりゴリラだ。


「でもさ、告白すると僕、そんなに推理小説とかも読まないし、探偵みたいな鋭い指摘だとか、観察力だとか、自信がないんだよね。だから、その・・・・・・」


「つまり、ずっと嘘をつき続けていたけれど、今までは何とかなっていて。今回ばかりは本物の推理が必要そうだから、ウソツキなあんたに代わって、わたしに助手とは名ばかりの探偵役をやれと言ってるのね」


「そう。そうそう! 話がはや」


「馬鹿じゃないの?」


 ピシャリという擬音が聞こえてきそうなくらいの鋭さだった。真篠と目を合わせてしまった僕は、逸らすこともできずに、作り笑いを浮かべる。


「あんた結局、蔵森先輩の純粋さを利用してるだけじゃない。いくらあんたみたいなバカでも、こういう日が来ること想定してなかったわけじゃないでしょ? もう自業自得すぎて、呆れて何も言えないわよ。わたしが探偵役? それってあんたの尻拭いってことじゃない。意味わかんない! お断りに決まってるでしょ!」


 今度は言葉の圧に足元からよろけそうになる。が、僕にだって考えがある。何もなしに、恋のライバルであるお前に声をかけたと思うか? 真篠に見えないように片頬を吊り上げると、僕は口を開いた。


「協力してくれないなら、お前の気持ちを先輩にバラすぞ」


「……」


 一転して、真篠の顔から血の気が引く。だがそれはすぐに、嫌悪と憎悪のかたまりにすり替わった。


「最っ低!」


 そう短く吐き捨てると、再び襟ぐりを掴む。先程と違うのは、もう片方の手は固く握りしめられていて、今にも僕を殴りそうなことか。いいさ、殴られても。先輩に幻滅され、挙げ句に嫌われるかもしれないのなら、ゴリラのパンチを一発受ける方が遥かにマシだ。僕はあくまで、自分が優位に立っていることをアピールした。


「なんとでも言えよ。僕は先輩に嫌われなきゃなんでもいいし、この嘘を貫くためなら、何だって利用する。さぁ、どうする?? 僕はやると言ったらやるぞ? 先輩に『真篠が先輩のこと好きなんですって』って、ほんとに言うからな。あぁ、それ聞いたら先輩、どんな顔するだろうなぁ」


 真篠が悔しそうに歯噛みしているのを見て、わざとニヒルな笑いを向けてやった。これじゃあ探偵役じゃなくて、犯人役だなんて思いながら。


 一年近く同じ教室にいて確信していた。真篠あおいは、めちゃくちゃ自分に自信がないことを。勉強がだとか運動がだとか具体的な分野に関してではない。むしろどちらも平均以上にできると言える。だけど、自分の容姿に対しては、まったく自信がない。そりゃあそうだ。ゴリラ精神に加え、失礼を承知で言うならば、容姿もゴリラに近しい。これはあくまで僕の勝手な想像なのだが、たぶん真篠は、カワイイという単語への憧れが強くなりすぎ、先輩のような類まれなるカワイイ女子に、こじれにこじれた感情すら抱くようになってしまったのだろう。


 そうして、信じられないことにいまでは、僕の恋のライバルとして存在している。まったくもって意味が分からないし腹が立つ話だ。だが、さっき真篠本人が言ったことが本当ならば、とことんまで突き詰める性格は、非常に《探偵》に向いているだろう。ならば、どんな手を使ってでも僕の代わりに推理をしてもらわなければ――。


「・・・・・・わかった」


 ややあって、真篠の腕が力なく離された。同時に解かれた拳を見て、僕は心の中でガッツポーズをする。よしっ! 勝ったぞ。これで先輩に嫌われずに済む。そう思っていると、


「そのかわり、ふたつ条件があるわ」


「条件?」


 意外な言葉が飛び出したので、僕は眉を跳ねあげた。


「ひとつめは、抜け駆けしないこと」


 真篠は、僕の目の前で人差し指をピッと立てた。抜け駆け? するわけないだろう。僕のほうが圧倒的に積み重ねて来た時間が違うのだ。いくらライバルが出現したと言えど、変にことを焦るつもりはさらさらない。決して振られたら怖いからとかこの関係を壊したくないからではない。断じてない。僕は静かに顎を引いた。


「もうひとつは、わたしと蔵森先輩が連絡先を交換できるよう、取り計らうこと」


「い⁉」


 ひとつめはすんなりと首肯できたが、これはできかねるぞ。僕は首を思い切り横に振った。


「断る。だいたい、なんだ条件って。お前、自分の立場わかってんのか? いいのか僕が先輩にお前の気持ちを伝えても」


 水戸黄門の印籠のようにちらちらと言葉をかざす。しかし、真篠の表情には先程と違い、明らかな余裕が見えた。


「考えてみたのよ。そしたら、もし仮にわたしが蔵森先輩に告白したところで『わー。ありがとう。あおいちゃん。あたしもあおいちゃんのことすきだよー』って返ってくるだけに違いないって、結論が出た」


「……ぐぅ。確かに!」


 頭の中をとろけそうな笑顔の先輩が過ぎった。ちょっと世間と感覚が違い、ぽけぽけと抜けたところがあるのが蔵森先輩だ。その展開は大いにありうるだろう。まず、そういう意味の告白だとは、とらない気もする。


 あれ。しまった。これはもしかしなくても、脅した相手に脅し返されている⁉


 僕の焦りを見て取ったのか、真篠は底意地の悪そうな笑みを浮かべると、


「形勢逆転ね」


「ちょっと待て。いや、待ってください」


「わたしは何も失うものがない。対してあんたは、先輩の信頼、いま当たり前にいる隣という居場所、そして何よりも嘘をつかれていたという事実で、先輩を深く深くそれはもう取り返しのつかないほどに、傷つけることになる」


「う」


 ぐうの音も出ない。純粋無垢で真っ直ぐな先輩のことだ。いままで信じて僕を頼ってきているということは、あの発言が真っ赤な嘘だと知られた時の反動は。想像したくない。もう間違いなく、僕から離れていく。いや、その前に泣かせる可能性だって否めない。


 僕は正座をすると、勢いよく頭を床に擦り付けた。


「お願いします。真篠あおい様、どうか、どうか僕の助手役を引き受けてやってください‼」 


 顔は情けないやら怖いやらで、伏せったままだ。


 永遠とも思える沈黙が流れる。昼休みを謳歌する人々の声や足音が、耳にうるさいくらい響いていた。


「いいわよ。引き受けてあげる。あんたの助手」


 ふいに紡がれた言葉に、弾かれたように顔をあげる。


「そのかわり、さっきの条件、絶対守りなさいね」


 鼻息の荒いゴリラの微笑みでもって、真篠あおいは、ダメ押しのひとことを吐き出したのだった。

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