第6章 トラック諸島③

 少し離れた場所に席を変え、座るや否や余程悔しかったのだろう。

 日比野が自分の酒を注ぎながら、ブツブツと漏らす。


「なんだよあの道端とか言う奴、ふてぶてしいと言うか偉そうに腹が立ちますね。失礼な奴ですよ、全く」


「はい、申し訳ありません。道端兵曹長殿はあの調子ですから、摩耶艦内でも若干変わり者で通っておりまして……ご気分を害されたら代わりにお詫びします」


 ひとりの青年兵員が頭を下げた。


「いや、構へん。ところで酒屋、さっきの奴に敵も撃てない腰抜けと馬鹿にされとったけど、どういう事や?」


 言いにくそうに顔を伏せ黙り込む野本。本人の口からは話し難いだろうと、そんな野本の心中を察した同期の兵員が代わりに話し始めた。


「こいつ砲雷科におったんです。ある日、高角砲で撃ち落とした戦闘機に乗ってた米兵が、目の前で苦しそうに泣きながら息絶えたそうなんです。それ以来、敵を撃てなくなってしまって」


 また別の兵員が俯く野本の頭をポンと叩き、優しく声をかけた。


「で、精神叩き直したる言うて、こっ酷く上官に絞られた際に足を痛めまして、今は主計科に配属されて炊事場でカレー作ってるんです」


 同期の話を目に涙を溜めながら、野本は黙って聞いていたが重い口を開き話し出した。


「その米兵……死ぬ間際に胸元から、母親と妹らしき女の子が写った写真を取り出して涙を流すんです。それを見て私と全く同じだと思ったんです」


 固唾を飲んで野本の話に聞き入る。


「私も、私も、日本を……うっ……家族を守りたいと思って戦ってます。でも……アメリカも……うっ……同じ事を思ってる筈なんです。家族がいて仲間がいて愛する人がいる。故郷に帰れば笑って過ごす……家族が……家族が……うっ、うえっ」


 感情が交錯し言葉を詰まらせる。涙ながらに話す野本を優しく見つめ黙って聞く辻岡。


 ひとつ大きく息を吸い込み、深呼吸すると野本は更に続けた。


「戦う事と守る事は矛盾無き等しいもの。そう思うてました……じゃけど、じゃけど生まれた場所が海の向こう側じゃ言うて、人を殺していい理由になるんじゃろか? 同じ人間同士が銃を向け合い殺し合う。これが本当に正しい事なんじゃろか……少将殿……ワシはどうしたらえんか教えてつかぁさい」


 辻岡は野本に歩み寄ると、俯く顔を覗き込み肩をポンと叩いた。


「お前は、優しいやっちゃのぉ? なんでこんな優しい奴が戦争で殺し合いせなあかんのかの? でもな酒屋、戦争では撃たな守られへん事やってある……撃ってえぇんは、撃たれる覚悟があるもんだけなんや」


 野本は涙を拭きながら、先程までの軍人らしからぬ自分の発言を悔いた。


「すみません……心底憎い米兵の筈なんですが、酒が過ぎました。お願いします! 忘れてつかぁさい」


「酒屋、お前の気持ちよぉわかるで。なんも憎い訳やあらへん、きっと向こうも同じこと悩みながら戦っとるわ。でもな、俺以外の上官に今の話は絶対言うたらあかん。また精神叩き直したる言うて、今度は一生足腰立たんくらいボコボコにされてまうで」


 そう言って、今度は野本の頭をポンと軽く叩いた。


「はい。ほんますみません……ほんますみません」


「大丈夫や、女でも抱いたらスッキリするわ」


「そんな訳ないでしょ……みんな、艦長と一緒にしないであげて下さいよ」


 日比野が機転を利かせその場を和ませた。


 周りの席で飲んでいた他の兵員も異様な雰囲気に気付いており、何事かと心配している者たちと同数、好奇の対象となっていた。


「堪忍してつかぁさい。ちょっと便所で頭冷やしてきます」


 ペコペコ頭を何度も下げ、野本はその場から逃げるように走って行った。


「おい、野本! そっち便所と違うぞ」


 同期の兵員が声をかけるが、走って行く野本の耳には届いてないようだ。


「あいつは戦争に向いとらん。そんな奴が何人もおって、自分が自分を殺しながら戦っとるんやろな」


 いつにもない真顔で、辻岡は酒の入ったコップを口に運んだ。


「おい、あいつ帰って来んけど、大丈夫か?」


 しばらく残った兵員達と和気あいあい酒を酌み交わしていると……


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