奥寺篇

第89話 月下、凶刃に哭く-(1)

「ひいいいいいッ! ば、化け物めー!」

「覚えてろよ、ババア!」


 あれから一週間。ユキムラとハヤテは、西の州都のすぐ近傍にまで来ていた。

 そこで階段を勢いよく下っていく屈強な男たちと出くわす。彼らは悉く人相が悪かったが、何故か涙目であった。どうやら誰かにこっぴどくやられたらしい。

 何事かと思い、階段の上に視線をすべらすと、一人の老婆が仁王立ちしていた。

 黒い着物に、菜の花色の帯。背筋はしゃんとしているものの、丈は低い。白髪混じりの一見するとどこにでもいる、貧弱そうな老婆だ。だが、快活な笑いをあげ、男たちを退散させているところを見ると、只者ではないことは明らかだった。


「なーはッはッ‼ そんな腕でこの神解かんどきに勝てると思ったか‼ 一昨日来やがれ‼」


 げらげらと高笑いする老婆。やがて、こちらとばっちり目が合う。


「なんだお前さんらも挑戦者か?」

「挑戦者?」


 手招きされたので、訝しみつつ石段を上がっていく二人。上りきった所で、立て看板の字を読むように指示される。仕方が無いので、木板に書かれてあることを声に出した。


「えーと。なになに。『強者求む。ババアに勝てたら金貨進呈。何人で束になっても可』……」


 つまり、この人は喧嘩で複数の男たちに勝ったということになる。あの怯えようだと相当痛めつけたのだろう。一体何者なのか。


「私はこの寺の主、神解ミフユ。暇潰しにこの看板に書いてあるようなことをやっている。どうだい、お前さんらもやっていくかい?」


 結構な自信だ。俄然、ユキムラの興味はそそられた。だが、帰天師が一般人に手を上げることなどあってはならない。申し出を断ろうとすると、向こうはそれを察したのか、


「今、『俺たちは帰天師だから民間人に手は上げられない』って思っただろう。いいよ、遠慮しなくても」


 と鋭い目つきで言い放たれた。


 ばきばきばきッ‼


 そして、これ見よがしに傍にあった大木をいとも容易く蹴り倒す。信じられない脚力だ。老婆のやってのけた所業とは思えない。いや、それよりも……。


「今のは……入魂?」

「そう。私は昔帰天師やってたんだよ。だから強いわけ」


 成程、と合点がいった。普通の人間が勝てないわけである。


(入魂による強化があったとしても、この年齢で木を蹴り倒すとは恐るべき身体能力だが……)


 加齢による衰えはどうしても免れない。普通、帰天師は五十路を過ぎたらまともに戦えないとされるが、目の前の老婆はどうやら例外らしい。

 その場で元気に跳ねて、こちらを挑発してくる。


「……どうします?」

 

 ハヤテは乗り気ではなさそうだった。だが、


「やるだけやってみようぜ。金貨も貰えるしな」


 というユキムラの提案で、とりあえず戦ってみることに。彼にとって、強い人間と戦うことは目標を達成する上で大事なことだった。

 寺の奥に進み、拓けた境内に案内される。そこでユキムラとハヤテは刀を置き、ミフユと対峙した。


「私は真剣でも構わないぞ?」

「って言われてもなあ……。丸腰相手に刀振り回すのは無理だ」

「ふん。随分と舐められたものだね。まあ、いい。素手で私を倒せるなら、やってみな」

 

 じり、と互いの出方を窺う。

 相手が歴戦の猛者だとして、本気で殴りつけるのは正直躊躇われた。しかもこちらは二人がかり。まずは様子見をするべきだろう。

 ぐっと足を踏み込むと、ユキムラは拳に少しだけ魂を付与して、相手の腹を狙う。普通の人間では反応できない速度。だが、ミフユは微笑を浮かべたかと思うと、


「分かった。だったら――」


 という言葉と共に視界から消える。

 目でまったく追えなかった。心音もしない。どこに行ったのかと首を振ると、突然体勢を崩される。


「なッ……‼」


 足を薙ぎ払われた。

 それも一瞬だ。強く踏み込んでいたはずなのに、いとも容易く足が地面から離れてしまった。そのまま体勢を持ち直そうとするが、


「⁉」


 同様にあしらわれた様子のハヤテが正面に見える。このままだとぶつかってしまうだろう。


「くそッ……‼」

 

 腹筋の力だけで旋回したユキムラは、紙一重でもつれたハヤテを躱す。

 腕の力を使って接地の衝撃を緩和すると、体勢を立て直すことに成功した。


 ハヤテも躓きはしたみたいだが、ミフユの追撃を何とか躱し、挟んで相対する方向に脱出する。ギリギリだ。あと少し判断が遅かったら、二人して無様な格好を曝していただろう。

 この一連の動作で、二人は明確に分かったことがあった。この老婆は強い。けらけらと笑みを絶やさないが、ここが戦場だったら間違いなく首を獲られていた。生半ではない。非常に洗練されている。なにせ、まず攻撃が当たらないのだ。大器である二人は入魂に自信があったため、それを完全に見切られたことに愕然とする。


「ふむ。立て直したか。中々やるね、お前さんら。名前は?」

「……火伏ユキムラ」

「春風ハヤテです」

「覚えておこう。記憶力に自信はないがの。……しかし、その心音、二人して大器か」


 ある程度音隠しをしていたつもりだが、筒抜けだったらしい。こちらの技術が甘いのか、相手の練度が高いのか。どちらにせよ格上であることに違いはない。


「いいのお、大器は。密度であまり困ったことがないだろう」


 どう答えればいいのか分からず、ユキムラとハヤテは黙り込む。

 ともすれば、相手の発言は皮肉のようにも聞こえた。大器だから、ここまで大きな壁に当たらず来れたのだろう。逆に言えば、大器でなかったら取るに足らない程度である、と。


「だが、甘いな。これだったら私の孫娘の方がやりおる」

「孫娘?」

「そう。こう見えて、孫が二人いてね。そのうちの一人がお前さんらと同じ大器なんだよ」

 

 自分たち以外の大器。もしミフユの話が本当ならば、その孫は先輩だ。天上で王剣の指導を賜っていることになる。あまりそういうことは聞いたことがなかったが、ハヤテには心当たりがあるようだった。


「……うろ覚えですけど。七年くらい前、たしかにいました。黒髪の女の子が。もしかして」

「そうだね。多分合ってるよ。私の自慢の孫さ」


 他の大器より弱い。その事実を告げられたことに、ユキムラは多少驚いていた。あれだけ努力してきたのに敵わない存在がいる。王剣以外にそういう存在がいるとは考えたことがなかったので、目から鱗だった。


「それで。まだ素手でやるかい? 勝ち目は無いように思うけど」

「……間違って斬ったって知らねえぞ」

「心配ご無用。本気を出して、早く私の胸をときめかせておくれ」


 この老婆は本物の戦闘狂だ、と二人は確信する。

 あんな立て看板を出すくらいだから、さもありなん。相手の微笑に不信感を強めつつも、ユキムラとハヤテは刀を手にした。

 そして集中力を高め、ミフユとの間合いを計る。刀身に籠められていく魂。大きく膨れ上がったそれは、やがて凝り固まり、大気を揺らめかせた。

 ハヤテとほぼ同時に抜刀。だが、僅かに後れを取る。


(ちょっと早くねえか……⁉)


 一瞬で相方の掛かりを見抜いたユキムラは、軌道を修正する。

 ミフユは反応できていないように見えた。だが、あれだけ強い人だ。まさか刀を振りかざしたくらいで傷は負うまい。何か秘策が――。

 

 そう思ったのも束の間、ハヤテの刀がミフユの肩を深々と斬りつける。

 彼女は避けようとした。だが、緑灰色の少年の迫真の一撃がそれを上回ったのだ。


 ユキムラは足を止め、あまりにあっさりとした幕切れに呆然とする。


「ギャアアアアアッ‼ 痛い‼ 痛い‼」


 鮮血を噴き出しながら転げ回る老婆。ハヤテは我に返り、その光景を見て、憔悴する。


「あ、あのッ……! すいません! 避けられるかと思ったので……」


 返り血を浴びながら、おろおろする二人の帰天師。どうすればいい。ハヤテが人を斬った。斬ってこいと向こうが突っかかってきたので、ハヤテに非は無いのだが、このままお陀仏されるのも胸糞が悪い。


 とりあえず布で血を止め、入魂で何とかしてみようと判断すると、寺の奥から子どもがばたばたと走ってきた。髪を短く切り揃えた、黒髪の少女だ。

 

 その子は「あはは! もう! おばあちゃんの命知らず!」と明るい口調でぼやきながら近づくと、悶えるミフユの横に腰を落とし、魂を掌に集中させる。


 ぼわっと光る少女の手。そこからミフユの裂傷部に魂が移動した。

 すると、どうだ。みるみるうちに傷が塞がっていく。二人はその手際の良さに唖然としていたものの、やがてそれが一体何であるかを悟った。

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