・文化祭の歌姫

 朝、部屋を抜け出してきた俺の寝床に忍び込んでくる。

 餌をくれと甘い鳴き声を上げて、ザラザラと垢のこびり付いた頬を舐めてくれる。


 俺が身を起こすと、子猫は餌がもらえると思って喉を鳴らし、危なっかしくも台所まで人の足下にまとわりつく。

 居間に茶畑のおっさんがいた。またスーツを着ていた。


「あれ、今日はお酒臭くないですね……?」

「まあな。朝飯は作っておいたぜ」


「すみません、助かります。ていうか、もしかして今から出かけるんですか?」

「おう。……何はともあれ、俺も学園祭が楽しみだ。がんばってくれよ?」


「ええ、下っ端なりにがんばっておきます。……いってらっしゃい」

「行ってきます。……はは、いいもんだな、こういうのも」


 茶畑を玄関先まで見送って、それから子猫の催促に引き戻されて離乳食を作り、その後は起き出してきたクロナと一緒に朝食を食べた。


 それはハムとレタスとチーズを使ったサンドイッチで、マスタードが利いていてお店の味がした。


 カマタリが寒がらないようにクロナのベッドに湯たんぽを仕込んでから家を出て、学校に着いたら別れて、授業を受けた。

 文化祭を5日後にひかえた学内は慌ただしく、放課後に入るとさらに拍車がかかった。


 さすがにこの時期になると手抜きはできないようで、実行員のミーティングも熱が入っていた。

 いや、ところが――


「ちょ、それ正気っ!?」

「他にない……。黒那なら、任せられる……ケホッ……」


 文化部棟の軽音部を訪ねると、ボーカル担当のユカナが熱っぽくせきを吐いた。

 この日のために彼女だってがんばってきたのに、風邪を患うなんてさぞや無念だろう。


「いや、さすがにそんなの無茶ぶりなんですけどっ!? マジで本気なの!?」

「歌詞、覚えてるでしょ」


「う、うん……そりゃ、カラオケで一緒に練習したし……。けど、ううー……」

「今からやれば間に合う。ごめん、学園祭までに喉復活したら、一緒に歌お……?」


 クロナなら声質は異なるけど、十分に代役をこなせるはずだ。

 親友同士のやり取りに口をはさむのもどうかと思ったけど、クロナの歌を文化祭で聞いてみたくて、俺はユカナを後押しすることにした。


「やってみたら? クロナならやり遂げられるよ。それと純粋に、文化祭で歌っているクロナを見てみたい」

「フォローありがと。黒那、もし喉が治らなくても、私もベースでバックアップするから、お願い……」


「うぅぅー……わかったよ、2人がそこまで言うなら、うち……やるよっ! ここで断ったら、ヘタレだったあの頃に逆戻りだもんっ!」


 その決断に軽音部のみんなから拍手が上がった。

 外部の人間にボーカルを任せるのに不満はないのだろうか。聞いてみた。


「決まってから聞くのもなんだけど、みんなは歌うのが外部の人間でいいの?」


 クロナも同じ疑問を抱いていた。こくこくとしきりに首を縦に振った。


「や、ボーカルとか無理や」

「人前で歌う勇気と、人前で演奏する勇気は別だよね……」

「演奏さえできれば、俺は別に……」

「けど衣装どうしよっか。サイズ合わないんじゃない? ほら、おっぱい的に……」


 ユカナはスレンダーで、クロナはグラマーだ。

 衣装の微調整どころでは済みそうもない。


「おっぱいの問題、忘れてた……」

「みんなそろって、人の胸見ながらおっぱいおっぱい言わないでよっ!?」


 話に加わりがたいな……。

 喉がダメでもユカナは演奏に加わるつもりなのだから、クロナは別途に代用品を用意しなければならない。


「まさかのノーリアクションッ、みんなこっち見るなぁーっ!?」


 胸を抱き抱えながらクロナは背中を向けた。

 やはり俺は嫉妬深いようだ。それは俺のものだと、つまらない感情を抱いた。


「黒那、なんかそれっぽい衣装持ってる?」

「持ってるわけないでしょ……。うちが家出してるの知ってるでしょ……」


 いや、ある。それっぽい衣装ならある。

 キワモノではあるが、ミスマッチなようでハマりそうな気もする。


「クロナ、アレ使ってみたらどうだ? ほら、バイト先の――」

「それっ、いただきっ! うっ、ゲホッゲホッ……」

「えぇぇぇ……っ? まさか、2人ともアレのこと言ってる……? あんなの学祭で着たら、クソ目立つじゃんっ!?」


 衣装がないなら、メイド服を着て歌えばいいじゃない!

 他人事だからこそ言えるが、1人のオタク陣営として演目を見てみたかった!


「決まり。悪いけど今日からみんなとの音合わせがんばって。私、もう帰って寝るから」

「ぅぅぅぅ……なんでこんなことに……。ユカナァ、早くよくなってね……?」


「うん、仮によくなっても、黒那にはうちと一緒に歌ってもらう。逃げ道無し」

「そんな……ユカナの鬼ーっっ!」


 そういうことに決まってユカナは軽音部を去り、クロナの猛レッスンが始まった。

 俺が出来ることは応援だけだ。


 実行委員として文化部棟を回りながら、俺はこの日からクロナをバックアップして、喉が枯れないように彼女の食生活に気を使った。

 彼女には悪いけど、文化祭の楽しみが3倍になった。


 きっと茶畑さんも見にくるだろう。

 早く彼にクロナのあざとい勇姿を見せたかった。メイド服姿にどんな反応をするかも、二重に楽しみだ。

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