・いらっしゃいませ

 クロナのバイト先。なんとそれは繁華街の怪しいお店――ではなく、雑居ビルの3階にあるちょっと怪しいメイドカフェだった。


 当然ながらビルの目の前で俺は固まった。

 なんでもない交換条件のつもりが、初めてのメイドカフェデビュー。しかも妹同伴という斜め上展開になったせいだ……。


「嘘だろ……?」

「早く入ろうよ、お兄ちゃん」


「いや、嘘だろ、これからここに入るのか? 入らなきゃダメか?」

「だめ! 早く早く! お姉ちゃんが待ってるよ!」


 ……待ってないと思う。

 俺たちが押し掛けたら、心臓が止まるんじゃないか?


「与一兄ちゃん!」

「帰りたい……」


「ダメ! ほら入るよっ」


 咲耶(小学生)に引っ張られて、俺はメイドカフェ・ピナ屋にご入店した……。


「いらっしゃいませ、ごしゅじんさまー♪ ギャァーッッ?!!」

「顔を合わせるなりギャーとはなんだ……」


 綺麗なメイドさんに案内されて席に着くと、甘く媚び媚びしい声と明るいスマイルが飛んできた。

 うちのクロナだった……。


「だ、だだ、だって……なんで、こんな……あーっ、咲耶ちゃん与一に話したでしょ!?」

「え、ダメだった……?」


 そんなのダメに決まってるだろう……。

 こっちだって、まさかこんなバイトしてると知っていたら冷やかそうなんて迷惑なこと考えない……。


「あ、いや、ダメってわけじゃないんだけど……」

「私、お兄ちゃんに、かわいいクロナお姉ちゃんを見せたくて……。かわいいでしょっ、ねぇお兄ちゃんっ!」


 俺は返答に困り果てた。

 クロナはシックで古風なメイド服を着こなして、少し露出が多いような気もしないでもないが、その姿は絶妙だった。


 ヘッドセットをした髪はいつもより落ち着いた雰囲気で、全身がヒラヒラとしている……。

 クロナは俺の視線を受けながら、仕事中なのも忘れてただ無言で言葉を待っていた。


「絶妙というか、かなり似合っていると思う……。マニアックだが……」

「ホントッ!? そう言ってもらえるとうち嬉しい!」


「仕事中だろ……」

「あっ……」


 ふと正面の咲耶を見れば、ニコニコと俺たちのやり取りを眺めている。

 歳の離れた妹にすら、俺たちは見透かされているのか……?


「お客様、ご注文はお決まりでしょうか♪」

「そうだな……何がオススメなんだ?」


 取り繕うクロナに合わせて、俺はメニューを指さした。


「牛丼かな」

「……ここ、メイドカフェだよな?」


「うん、でも牛丼が一番美味しいよ? ねー♪」

「ねーっ♪ お兄ちゃん、咲耶は牛丼がいい!」


 噂には聞いていたがお高い。牛丼一杯が1000円だそうだ。

 入店時にチャージ料金が500円が付くと説明もされた。


「すげー商売……。んじゃ、俺も牛丼で」

「おっけー。じゃなくて、かしこまりましたご主人様♪」

「お姉ちゃんっ、すっごいかわいい!」


 嬉しそうに笑ってクロナ(メイド)は店の裏にオーダーを伝えに行った。

 俺はついついその後ろ姿を追ってしまって、惚けたようにしばらく厨房の入り口を眺めた。


 メイドカフェで牛丼……? いや、カフェだよな、ここ??

 純粋な疑問が俺を現実に引き戻してくれた。


 店内には大きなモニターが置かれていて、そこにはアニメがたれ流されている。

 眺めているとちょっと気持ちが落ち着いた……。


「はぁ……将来私もここで働きたいなぁ……」

「それはお兄ちゃんが許しませんっ、絶対ダメッ!」


「えーーっ、かわいいのに!」

「かわいいから問題なんだよっ!」


 しかしこれでは客としてちょっと騒がしすぎる。

 俺は落ち着こうと言葉の音量を落として、それから妹と一緒にクロナの働く姿を目で追った。


 しばらくすると気分が落ち着いてきた。

 オタク趣味全開の店内は、入ってみると居心地がとてもよかった。


 最初は凄い反応だったが、さすがは陽キャだ。

 今は俺たちの来店を生き生きと喜んでいる。なんという鋼のメンタルだろうか……。


 ウィンクが咲耶に飛んできて、咲耶がかわいいかわいいとまた舞い上がった。


「クロナちゃんかわいいね……」

「ああ、かわいいな……」


「はぁぁ……いいなぁ、いいなぁ……」

「絶対ダメだ。変なやつに考え狙われたらどうする。兄ちゃんだって認めないぞ」


「でも……。いいなぁ、いいなぁ……かわいいなぁ……」


 兄妹そろって俺たちはクロナのメイド姿を追って、その活躍に感心した。

 こういう仕事はどんくさいやつには合わない。俺たちが見る限り、完璧な仕事っぷりだった。



 ●◎(ΦωΦ)◎●



 牛丼が到着した。俺たちの目の前には、マヨネーズを両手に抱えたクロナがいる。


「おいしくなーれーっ♪」

「うっ……?!」

「お姉ちゃん、かわいい……」


 お前はここに来てそればっかりだな……。

 噂に聞いたことがある。メイドカフェなるものは、配膳したメニューに愛込めなる儀式を行うと。


「咲耶ちゃんのも、おいしくなーれーっ♪」

「ありがとう、お姉ちゃん!」


 知ってはいたのだが、実際にこうして目の当たりにすると面食らうというか……恥ずかしかった……。


「わかる。これってお仕事でやってる方より、注文した方が恥ずかしくなるよね」

「うん……」

「でもかわいいよ!」


「嬉しい。歓迎するからまたいつでも来てね。じゃごゆっくり!」


 クロナが席を去ると、俺たちは牛丼へと箸を伸ばした。

 たかがメイドカフェと思っていたのに、意外と美味しい。


 ただでさえ脂っこい牛丼に、マヨネーズを大量投入する時点で、デブの元かもしれないが美味いものは美味かった。

 もっと値段が安かったらまた来たいくらいだ。


 二人で合計3000円弱か……。


「はぁ、美味しかったぁ……」

「どうする、もう帰るか?」


「えー、時間ギリギリまでお姉ちゃん見てたい」

「……じゃあそうしよう」


 時間ギリギリまで、俺たちはクロナを追いながらアニメを眺めて、まったりとした時間を過ごした。

 社交的なクロナらしい、クロナに向いたバイトだと思った。



 ●◎(ΦωΦ)◎●



「あーっ、待って待ってっ、うちも一緒に上がるからっ! チャージ料金はごまかしとくから、10分待って」


 店を出ようとすると、クロナに引き留められたで少し待ってから会計に並んだ。

 すると後ろからクロナが寄ってきて、おもむろに財布を開く。


「代わりにうちが払うよ」

「ちょっと待てこら、金持ち……!」


「バイト割引で千円安くなるよ?」

「……後でお支払いするのでお願いします、クロナさん」 

「お兄ちゃん、正直だね……」


 一時的にクロナに立て替えてもらって、俺たちはアットホームで居心地のいいメイドカフェから離れた。

 もう辺りはすっかり暗く、まずは実家へと咲耶を送っていった。


「うちの与一をよろしくね、黒那ちゃん」

「任せといてよっ、お母さん!」


 外堀を知らぬうちに埋められているような気がするのは、気のせいだろうか……。

 クロナはうちの母ともずいぶんと親しいようだった……。

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