・パジャマのボタンがズレてるぞ……
翌日早朝、寒さに目が覚めてしまったので、弁当に追加のおかずを加えることにした。
制服の上にエプロンを着込み、ストーブを付けてしばらく手を動かす。
やがて匂いに釣られるように、ギャルと子猫が階段を鳴らして台所にやってくると彼女はこう言った。
「むむっ、この匂いは卵焼き……! おはよーっ、与一、つまみ食いさせ――でかぁーっ?!」
「これが俺の切り札だ」
甘い香りを放つ卵焼きに包丁を入れて、予備の弁当箱に詰め込む。
我ながら真っ黄色だ。人前でこれを開いたら、下手な紅白弁当よりも驚きと注目を集めることになるだろう。
「あっ、わかった! これってユカナと与一とうちの三人分じゃん!?」
「なんでそこに俺を入れる……。二人で食え」
「えーっ、与一も今日のお昼一緒にしようよーっ!?」
「ミャー……」
バターの匂いに空腹が刺激されたようで、灰色の子猫が俺の足にまとわりついた。
ペットというものは、古来より台所に立つ人間に懐くものだ。
「クロナはカマタリの餌を頼む。それと……」
「もちっ! それとー?」
「パジャマのボタンがズレてるぞ……」
一番上の胸ボタンが一つ下の穴に掛け間違えられている。その隙間からは無防備にも、白くまぶしい肌がかすかに露出している。
「えへへへ……寝ぼけてたみたい。むふ、むふふふ……♪」
「朝からおかしな笑いを上げるな。なんでそんなにご機嫌なんだ……」
「だってー。そういうのって、注目しないと気づかないよねー♪」
「うっ……。それは、たまたま目に、入っただけで……」
「しかし与一は心の底で、今日は朝から良いものが見れたなと、激しい胸の高鳴りを覚えながらも興奮にほくそ笑むのだった」
「……この卵焼きは実家に差し入れるか」
「あーっウソウソッ! 今のなしーっ! そんなの幼女にアイスを見せつけて一人で食べるような悪行だよーっ!」
「やけに具体的だな……」
「アォォ……」
早くご飯ちょうだいと、俺のパジャマのすそにカマタリが爪を立ててきたので、クロナには着替えを頼んで俺がカリカリを手配した。
今日の放課後も実行委員の活動がある。軽音部のユカナと言葉を交わすことになるだろう。
彼女――ユカナとの付き合いがわからない俺には、この真っ黄色な弁当が切り札――いや、頼みの綱だった。
・
放課後、教室の窓からグラウンドを見下ろして一日の疲れを癒していると、いつものお迎えがやってきた。
「与一っ、今日も一緒に行こっ!」
「んなでかい声上げなくても、もう少しゆっくり――ぅっ?!」
油断して親しみ混じりの微笑みで背後を振り返ると、そこにユカナのクールな眼差しがあった。
「邪魔だった?」
「い、いや、そんなことは……」
「ふーん……そう」
ユカナが腕を組んで、探るような目でこちらを見つめる。
やがて何かに納得したのか、それが微笑みに変わっていた。
「なんでユカナになんかビビるのさ」
「雰囲気が恐いのは自覚してる。それより与一くん、卵焼きありがとう。あのお弁当のふたが開いたとき、私子供みたいにはしゃいじゃった」
それはどうも想像が付かないな……。
だけど自分が作った料理で、普段クールなクラスメイトが笑ってくれるのだから悪い気がしなかった。
「まさかお礼を言うためにわざわざ……?」
「そうだよっ、面と向かう勇気が出な――ンムーッ?!」
「それナイショって言ったでしょっ、あんたどんだけ口が軽いのよっ!」
俺たちは何もかもが違いすぎる。クロナと違って、打ち解けるのにはもう少しかかりそうだ。
だが少なくとも、卵焼き作戦は大成功で決まりだ。
「こっちこそすまん、さすがに作りすぎたような気がしていた」
「え、何言ってんの、うちら全部食べたよ?」
「うん、残す気なんて最初からゼロ。ん……部室に行く前に校舎でも回ってこようかな……。あ、イチャイチャの邪魔してごめん。じゃごゆっくり」
「するわけないだろっ、んなことっ!?」
「無理しなくていいよ。クロナは話は聞いてるから」
ギャルが駆け足で教室から一名消えて、クロナへの疑惑だけが残った。
クロナは悪びれない。友達に話すことの何が悪いのと言いたそうに、堂々としこちらの視線を跳ね返した。
「バレたらPTA案件だぞ……」
「ユカナっちはそんなことしないよ。それに――与一の反応がいちいちかわいくってつい……♪」
純粋な陰キャで遊びやがって……。
このままではズルズルとこいつのペースに引き込まれるだけなので、俺は教室の戸締まりをした。
そろそろ会議室でミーティングだ。
俺たちは職員室に鍵を戻すと、ミーティングの後に各部活の手伝いに回った。
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