File.18 とある雨の日にて・前

『続いて、天気予報のお時間です。現在大型台風が接近しており、各地で大雨と暴風が予想され――』

ラジオの音さえ掻き消すような雨粒に、少女は珈琲を啜りながらスマートフォンを弄る。文字通りの警報レベルの豪雨に見舞われた千羽の町を往来する影は無く、何処か淋しささえ覚えてしまう。

「……はぁ。今日が平日なら合法的に学校休めたのにね」

「本当ならお家でゆっくりして欲しいんですけどね。ウチも休業命令出てるから、本当は喫茶にお客様入れちゃ駄目なんだけど」

喫茶の中には私と店員の二人だけ。溜息を零しながら市販のクッキーを私の前に並べる店員の視線の先には、『準備中』と書かれたプレートが置いてあって。

「あら、黒羽くろはね君はお休みなのに迎え入れてくれたの?嬉しいわね」

「この雨の中で外に立たせる方が気の毒でしょ。それに、喫茶のお客様じゃなくて『僕の自宅に来た友人』であればそんなに文句言われないし」

エプロンと三角巾を解きながらぼやく。布の中に囚われていた深紫の長髪を解放し、店員である事をやめた友人の声は、次第に怒りで彩られていく。

「……それに、戒厳令なんて巫山戯ふざけてる。休業しろーって言ってくる癖に何かしらの補填も無し。そのせいで見込めた売上全部無くなるんだよ。一々受け入れる方が馬鹿らしく思えてくる」

――戒厳令。確か三日前、白部しらべ組によってこの千羽町せんばまち全域を対象として発令されたそれは、夜間外出と汎ゆる集会を禁ずるという内容のものだった。それに伴い、この喫茶〈アヤカシ〉を含む多くの飲食店も休業を求められているらしい。流石に高校は閉鎖されてはいないが、部活動や生徒会の活動も自粛するとの通告をホームルームの時に耳にした。――勿論、実態が退魔士の集会場所である生徒会の連中は抗議すると言っていたが。

「……はぁ。折角告発の足掛かりが出来たっていうのに」

「あー、何か日辻ひつじさんとこのお婆さん言ってたね。『夜峰よみねの鴉天狗の協力を取り付けられたなら日辻も協力してやる』、みたいな。ま、夜峰の鴉なんてもういないんだけど」

「……ソレに関しては私からは訂正しないわよ。とにかく、日辻家の協力も内定済みだし、ついでにもう一つの家も手伝ってくれそうな雰囲気だし。そろそろ本格的に動いても良いかと思っていたのだけど」

カチャンと鳴らすカップの音は外の豪雨に掻き消される。告発――この町で悪虐無道を為す退魔士を倒す為の目標。それが紆余曲折を経てようやく現実味を帯びてきたというのに、まさかこんな形で足止めを食らうなんて。

「……ところで、戒厳令出てる理由って何なの?」

「さぁ。連中なんにも教えてくれないから。それが僕が苛立ってる原因で――」

『鬼の討伐による危険地域の閉鎖らしいよ?パパが聞いた話だけどねっ』

「……あの子供が喫茶ウチに入り浸ってる原因」

そんな重苦しい空気に割り込む声。店の奥にある階段から降りてきた聞き覚えのある声の主の気配を感じた途端、目の前の深紫がオジギソウのように垂れ下がっていく。

「あっ、羽生はぶセンパイだー!やほやほー」

「……えっと。誰だったかしら」

――快活に声を掛ける少女の姿に、少し頭が混乱する。確かに何処かで聞いた声、ついでに何処かで見覚えのある顔。桃色のボブカット、尖晶石スピネルを連想させる透き通った瞳。一五〇センチに届くかどうかの背丈といった外見情報は記憶にあるはずなのに、その所作が記憶の少女を否定してくる。『彼女、あんな感じだったかしら』。そんな疑念が頭の中を埋め尽くして、思考が次第にフリーズしていく。

「えー!?三日前も一緒にいたのに忘れちゃうなんて酷いよー!?ほら、ナギナギも何とか言ってあげて!」

「煩いなぁ。……一ヶ月前に鳥谷とりたに 水鈴みすずって子の捜索したの覚えてます?その水鈴。羽生さんが助けた子なんですけど」

「え、えぇ。水鈴でしょ、暴霊獣ボレズ……じゃなくて神化論シンカロンとか名乗ってた子。実際戦ったし覚えてはいるのだけど。……その、こんなのじゃなかったわよ?」

「こんなのって」

今日だけで二桁目を記録した凪の溜息と共に、水鈴と呼ばれた少女は頬を膨らませて抗議する。しかし、その行為のせいで再び記憶の中の水鈴の姿が霞んでいく。

『しかし、私も『神化論』へと至った身。神域に踏み込んだ咎人は断罪致します』

――確か、あの時の水鈴はそんな事を言っていたはず。容姿こそ衣服以外は目の前の少女と瓜二つだが、神化論を名乗った彼女の雰囲気は微塵も感じられない。神化論の水鈴は堅苦しく冷たい物言いで、年齢不相応に落ち着いていたが、目の前の少女は、なんというか。

「……こんな子供みたいな感じじゃなかったと思うのだけど」

「酷いっ!?ナーギーナーギー、子供みたいって言われたー!」

「ナギナギ言うな。……羽生さん。多分ですけど、羽生さんの戦った時のこの子の方が異常だったんですよ。例の暴霊獣の霊薬に当てられていましたし、暴走とか操られていたみたいな感じじゃないですかね」

耳を塞ぎながら話す凪。成程、大体は理解出来たような気がする。操られていた、と決めつけるには『彼女』の意思を強く感じたような気がしたけれど、この話は今すぐ深掘りする必要は無いだろう。目の前の水鈴の方が素顔と分かればそれで良い。

「……結構脱線したわね。それで水鈴、さっき鬼の討伐がどうこうって聞こえた気がしたのだけど」

軌道修正。そう、今進めるべきは千羽を巻き込む戒厳令の話だ。私にとっては夜間外出禁止も集会禁止も然程痛手にはならないのだが、蛇神告発計画に遅れが出る事だけは決して看過出来るものではない。白部の妖に手を貸すつもりはないが、放置して足踏み状態を享受するわけにもいかない。私や日辻達のような退魔士が解決の一助となるのならば、なるべく早く動いた方が良いだろう。

「あっ、そうそう!ほら、夏頃にボレズだかって魔獣と一緒に千羽に攻めてきた鬼がいたらしいんだけど、最近になって町中で目撃情報があったらしくて。えーっと、確か藍立アイダチって青鬼と夕立ユウダチっていう赤鬼で――」

「……は?」


「……戒厳令、か。何で今更」

大雨の中、人気ひとけの無い千羽の繁華街を行く影が一つ。紺の作務衣さむえを構わず濡らす、紅き長髪の行脚姿。滴る紅髪を揺らしながら佇む姿は艶やかな華のようで、今日も一匹の虫を惹き付ける。

「き、キミ。そこに立っているというコトは、そ、そういう事で構わないのかな?」

「……構いませんよ?これだけ出せるのであれば」

挙動不審なスーツ姿の男に声を掛けられ、左手で三という数字を示す紅。男がたどたどしく頷くと、いたずらっぽく笑って彼の腕を抱き寄せる。無論、警官が今の光景を見れば間違いなくお縄につく事になるだろうが、この嵐の中では咎める声など何処にも無い。

「し、しかしこんな若い娘が誘ってくるなんて思わなかったよ。それにこんな可愛い子だなんて」

「オジサマ、もしかして慣れてるヒト?ちょっと自信無くなっちゃうかも、なんて」

「ふ、ふふ。上手に出来たら弾んじゃうかもなあー」

――嗚呼、反吐が出そう。あの紅髪も紅髪だが男も男だ。人間も妖も、或いは神であろうとも、彼らは知的生命体であるにも関わらず、時折理性を手放して本能に身を任せてしまう生き物らしい。

「……有希。分かってると思うけど、スーツの方は普通の人間だから。あの行脚――夕立の方だけ何とかしてねぇ」

「傷付けるなって話なら日辻ひつじの方が得意だと思うのだけど」

「そう思って貰えるのは嬉しいけどねぇ。ほら、この大雨だから僕の綿もすぐ萎んじゃうんだよねぇ。実際、前にアイツらと戦った時もこの天気で防ぎ切れなかったしぃ……」

「……はいはい。善処はするわよ」

ならばこそ、せめては理性を抱いて進まなければ。目標はあくまであの紅髪、そして目的は殺害ではなく捕縛。大丈夫、横に日辻がいるのなら、私は違える事は無い。

「――それじゃ行くわよ、『一手揚々シングルアクト』!」


――選んだのは速攻。路地の死角から放った鉄の手車ヨーヨーの紐は、行脚の身体にぐるぐると巻き付いて。そして彼女の理解が追い付かぬ内に、魚を釣るかのように雨空へと放り投げる。

「奇襲……!あの錆鉄か……!」

「な、何が起こって――むぐっ!?」

「はいはーい、オジサンは危ないからこっちねー」

横にいた人間の男は日辻がすぐに避難させた。標的の行脚は私の紐に絡んだまま空の上。この荒天では他に目撃者は存在しない、故に誰かを巻き込む心配も無い。このまま地面に叩き付ければそれで終わり、この一撃で決着を。

「潰れろ、『野槌蛇ノズチ』!」

括り付けた手車ごと紅髪をアスファルトに叩き付ける。その威力は地面ごと敵の骨を砕き、口から血反吐を吐かせる程で。理性で抑えた筈の怒りを乗せた一撃は、かの赤き鬼を一瞬で打ち倒した。

「はい終わり。……で、日辻。この後どうしたらいいのかしら」

「意識ありそうなら聴取しといてぇ。暴霊獣の研究所にいたヤツだし、何か知ってるかもぉ。僕はこっちのオジサンに話聞いとくからぁ」

「了解。……そういやさっきの『野槌蛇ノズチ』、前に白部の所の狼相手に使った時より威力出てたような気がするのだけど……意識云々以前に生きてるかしら……」

一仕事終えた手車を掌で迎え入れ、出来たてのクレーターに一歩ずつ近付いて。勿論油断はしない、相手は不意討ちとはいえ私を斃した事のある赤鬼だ。手応えを感じたとしても決して気を緩めてはならない。一度負けた相手だからこそ、あらゆる事態を想定しなければ。

「ねえ、聞こえるかしらー?生きてるなら返事してくれたら嬉しいのだけどー」

穴ぼこから拾い上げた紅髪の頬を平手でぺちぺち叩いてみる。口元から垂れる赤色を見るに内臓か喉にもダメージが入っただろうか。これでは彼女の意識が戻っても情報を喋れるかどうか。否、手加減出来るような相手でもないのだが。

「……うっ、がはっ」

「あ、生きてた。喋れる?喉に溜まってる血全部吐いてからでも構わないわよ」

――生きてた。心の中で胸を撫で下ろし、改めて眼前の赤鬼を観察する。

雨と土で汚れた長い紅髪、若く艶のある肌質。以前は被った笠と長い前髪で印象が掴めなかったが、恐らく年齢は十代半ばから二十歳くらいだろうか。否、妖であるから人間の基準には当て嵌まらないのかもしれないが、千羽のヌシの跡取であるひびきとは同世代のような印象を受ける。――勿論、年齢を理由に態度を変えるつもりは毛頭無い。奴から情報を吐かせる為に、容赦や温情なんてものは不要なのだ。

「けほっ、げほっ……。あー、あー」

「よし、吐けたわね。偉い偉い。それじゃ、早速本題なんだけど――」

そう、相手がどんな態度を取ろうとも、呆けた顔を晒すワケにはいかないのだ。

「――くっそイッてェなあ!?命の恩人に対してやる事かよ!」

「……は?」

――なんて心構えをして二秒と掛からずに気の抜けた声が出て。奴は今、なんて。命の恩人?まさか。以前に巨人の暴霊獣達と対峙した際には、この紅髪は私の命を助けるどころか意識を奪ってそのまま蛇神へびがみの研究室のような場所に連れ去ったではないか。救助に来てくれたのは日辻や凪、それと生徒会の退魔士連中であってコイツでは無い。全く、もう少しマシな事を言えるかと期待していたのに。

「命の恩人?ふざけるのも大概にしなさいよ。もう一発ぶち込まれたいのかしら?」

「……あー、おい。そこの退魔士。お前コイツの救出に行ってたろ、俺のカードキー使ってよ。あの紫髪の奴から貰ったんじゃ無ェのか?」

「……日辻?」

口元の赤を拭う赤鬼の視点が遠くに向く。その視線を追うと、スーツの男を揺さぶっていた日辻がそこに居て。そして私達に気付いたかと思うと、すぐにバツが悪そうに目を逸らして。

「……ひーつーじー?」

「あー……そのー……うん。貰ったけど、ほら。黒羽君、どこで貰ったかとか言ってなくてぇ……」




『カードキー?あー、あの夕立とかいう奴が置いてったアレ。それがどうかしました?』

「……いや、ちょっと気になっただけ。それで、黒羽君は今どこにいるの?」

『こっちは藍立アイダチの奴捜しに出掛けてるところです。戻った方がいいですか』

「いえ、大丈夫よ。無理しないでね、それじゃ」

携帯電話の向こうの声に嘆息。ボロボロになった夕立を自宅まで引き摺り、日辻と共に応急処置を施して。手車ヨーヨーの糸の次は包帯でぐるぐる巻きにされた紅髪の行脚の証言の裏が取れたところで通話を切り、改めて彼女に向き直る。

「……その、ごめんなさい。事情はどうあれ、手助けしてくれた事、知らなくて」

「いや、まァもアンタに手ェ出してるからなァ。お互い様って事にしてくれないか。それで、えーと、なんだ」

「あ、そうそう。夕立、貴女に訊きたい事が山ほどあるのよ。ほら、蛇神の研究所の話とか、貴女達の目的とか。それに、なんで敵対してたのにカードキー渡してくれたのかとか」

夕立と呼んだ紅髪の行脚を改めて見据える。しかし、情報に依ると夕立は確か赤鬼と聞いていたが、私のイメージする鬼と比べるとやや小柄に思える。否、写真で見た藍立アイダチと背丈は然程変わらないが、あの青鬼のような長く太い角も見受けられない。何というか、どちらかと言えば妖というより人間に見えるような――。

「……話せば長くなる。必要ならメモ取っといてくれ」


「まず、俺はそもそも蛇神の味方じゃ無ェ。別の組織……って言っていいのか分かんねェが、ともかく、蛇神の調査を依頼されて忍び込んでた。いわゆるスパイってヤツだ」

「……へぇ。それじゃあ、私達の味方と捉えて構わないのかしら?」

「それは上次第だな。ともかく、今はやり合うつもりは無ェよ。……ともかく、俺は例の暴霊獣ボレズを作る霊薬が有益かどうかを見定めようとしたんだが、結局は上が欲しいものじゃ無かったってんで密偵は打ち止め。情報だけ抜いて撤退、次は千羽の調査をしてるってワケだ」

夕立の話を聞いて、日辻と顔を見合わせる。つまりこの赤鬼は蛇神と千羽の両陣営を調べ上げようとしているらしい。以前に私達と敵対しながらもカードキーを渡す等の不可解な行動もその事に起因するのだろう。

「さて、ここから先の話をする前に一つ提案なんだが。お前ら、蛇神が暴霊獣を作る本当の目的、知りたくないか?」

「ウソ、知ってるの!?」

突然、夕立の口から出た言葉に思わず立ち上がってしまい、コホンと咳払い。蛇神の目的?暴霊獣の真の理由?そんなもの、知りたいに決まっている。喉から手が程に欲しい情報だ。それが分かれば私達は先手を打てるし、蛇神の弾劾だってより現実的になってくる。そんな情報、絶対に逃す訳にはいかない。

「そうがっつくな。コレは取引だ、お前らに情報をやる代わりにお前にも俺を手伝ってもらいたい」

「……有希、止めた方がいい。僕はコイツを信用しちゃいけないと思ってる」

「いいえ、コレはまたとないチャンスよ。……まずは話だけ聞かせて貰えるかしら、受け入れるかどうかはそれからよ」

返答を受け、紅髪の女はにやりと笑う。千羽を巻き込む蛇神の陰謀は、嵐の中で更に混迷を極めていく。

「白部組に蛇神と繋がってるヤツがいる。お前達に、その繋がりをぶっ潰してもらいてェんだ」




「ナギナギ!コレどういう状況なの!?」

「あぁもぉ!最初からおかしいと思ってたんだよ!何で三ヶ月も前に暴れた奴等を今になって探し始めたのか、何で今まで放置してたのか!そんなの白部組に誰かが介入してて当然だったよ畜生!」

「誰かって……もしかして!」

――そして、混迷は更に地獄を喚ぶ。白樺が乱立する山中に響くは魔獣の咆哮。木々の間に見遣るは捜していた青い鬼と、それを追い掛ける白部の家紋を刻んだ鎧の群れ。――加えて、最早馴染み深くなってきた黒い魔力の塊。あろうことか、対立している筈の蛇神の暴霊獣と白部組が並び立って藍立を追跡しているではないか。

「……さて、水鈴。倒すべきは暴霊獣か、青鬼か、それとも白部の妖共か。どれだと思う?」

「わ、分かんないよー!そりゃあの黒い魔獣は倒さないとだし、でも白部組も仲間みたいだし、藍立ちゃんも分からせて話聞かないとだし……もう全部めんどくさい!」

――雨は未だ強く激しく。これが全てを巻き込む大災害の前兆である事なんて、この時は誰も知り得なかった。


「よ、よおし!全員ぶっ飛ばしてから考えよっと!」

「同感!それじゃ、潰せるトコから潰そうか!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

千アヤ外伝譚 蛇巫女の詩 織部けいと @kettar3

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ