IQ200の作戦

 杠葉ゆずりはさんと東根ひがしね先生が即座に反応して、外の様子を確かめようと広縁ひろえんに出る。杠葉さんは単純に状況を把握しようとしているだけなのだろうが、東根先生については好奇心の方が勝ってしまっているのではないかと疑ってしまうような、何だかわくわくとした感じの顔つきだった。

 ゾンビ退治を一任されてしまったわけだし、私も一応様子を見ておこうと思い立ち上がって広縁に出るが、広縁の床板が踏むたびにミシイッ、ギイイッと鳴って歪むのが怖くてへっぴり腰になってしまう。

 なんとか外が見やすい位置にまで行くと、さっきまでは全然濡れていなかった地面が水浸しになっていた。じっと見ていると、どこからともなく廃村一帯に水が流れ込んできているのがわかる。

 室内から背伸びをしたり、首を突き出したりして外の様子を窺っていたニシキリアンたちが、「まさかサルナスのように水没……」だの、「そもそも六ツ尾集落は水没しているはずで……」だのと、ぼそぼそと何か言っていた。


 普段は無表情、無感情に振る舞っている杠葉さんが、少し焦った様子で聞いてくる。


「ヤマコ、一瞬であの死霊どもを全てはらえるか?」


「そ、そんなの無理ですよ! 一体ずつパンチしてやっつけようと思ってたんですから! 体力とか以前にそんなことできませんもん!」


 もはや余所行よそゆきの言葉づかいやらもかなぐり捨てて、切羽詰まった雰囲気の杠葉さんが、今度は小山田さんに確認する。


「あいつらは音に敏感だと言っていたな?」


「ええ、はい。そんな何度も確認できたわけじゃありませんが、やつらは目があまり良くないみたいで音がする方に寄って行きます」


「洪水だ!!!」


 と小夜さよちゃんが叫んで、室内からジャンプをして私に飛びついてきた。

 その瞬間にバキバキバキバキバキバキバキイッと物凄い音がして、広縁が丸ごと外れてズンッ――という大きな音とともに雑草が繁茂はんもした地面に落下する。

 故意にそうしたわけではないのだが、杠葉さんを下敷きにする形で落下したため私は無傷で済んだ。

 私のお尻の下にいる杠葉さんも、どこかしら痛かったりはするのかもしれないがとりあえず血は出ていなそうだし無事なようだ。

 ちなみに私の上には飛びついてきた小夜ちゃんがそのまま乗っているため、杠葉さんは私と小夜ちゃん二人に乗られている。

 小夜ちゃんがピョンと飛び跳ねるようにして立ち上がり、あわあわあわと数秒ほど慌ててから、はっとして私に手を差しだしてくる。


「ごっ、ごめんなさい! ごめんね、大丈夫? 痛くない?」


「あ、はい。びっくりしましたけど大丈夫でした、杠葉さんがクッションになってくれたので!」


「早く退け!」


 お尻の下から杠葉さんが怒鳴ってきたので、私は小夜ちゃんの手を握って立ち上がる。

 そして振り返ると、崩れ落ちた広縁の残骸ざんがいの上に仰向けに倒れた杠葉さんが、ここ数日で一番の形相ぎょうそうで私を見上げていた。


「いや、あの、わざと踏んづけたわけじゃないですよ、ほんとに。小夜ちゃんが飛びついてきて、そのままの勢いで倒れ込んだところに偶然杠葉さんがいたってだけで……」


 私が必死になって弁明すると、般若はんにゃ――じゃなかった、杠葉さんが今度は私の背中に隠れて怯えている小夜ちゃんをぎろりと睨んで、地を這うような低い声で言う。


「次にやったら、ヤマコに命じてお前を壊すと言ったはずだぞ……」


「ごめんなさい、ごめんなさい!」


 小夜ちゃんが今にも泣きそうな顔をして必死に謝る。杠葉さんは年下のかわいい女の子をいじめて泣かせるのが趣味だから、きっと小夜ちゃんが泣くまではいじめるつもりだろう。

 なお、東根先生は小夜ちゃんがジャンプしてきたと同時に室内に逃げ込んだようで無事だったし、広縁の端にいた小山田さんが外に投げ出されたものの、そもそも高さがそこまでなかったこともあってか彼も一応無事みたいだった。顔をしかめてはいたが、すでに立ち上がっている。


 痛むのか腰を手で押さえながら、杠葉さんが立ち上がって言う。


「くそ、このままだと今の音で死霊どもが集まってきて手遅れになるぞ。ヤマコ!」


「ひゃい!?」


 急に名前を呼ばれたのでなんだかびっくりしてしまい、声が裏返ってしまった。


「とにかく大きな音を立てるなりして死霊どもを集めて、石段からできる限り遠ざけろ。早く行け、時間がない!」


「ひゃ、はい!」


 杠葉さんがいつになく力強い口調で命令してきたので、つい私もいつもはしないのにピシッと敬礼みたいなポーズを取ってしまう。

 すると、杠葉さんが物凄く苛々した様子で私に(多分いつも妖怪を祓うのに使っている)霊符れいふを投げつけてきて、怒鳴るように命じてくる。


「行け!」


 どうやって音を鳴らすかとか、そもそもどこへ向かうかとか何一つとしてアイデアはなかったが、そのまま立ち尽くしていたら洒落しゃれにならないほど怒られそうな予感がしたのでとりあえず駆け出す。

 というかだ、やっぱり私一人であんなに沢山いたゾンビをどうにかしろだなんて無茶ぶりにも程があると思う。それに私は普通サイズの山田なので、小さいサイズの小山田さんよりも私の方が偉いはずなのだから、まずは小山田さんがおとりになるべきではないだろうか?


 とりあえず階段から離れた場所まで走らないとなと思いつつも、ゾンビたちは杠葉さんたちが居る廃屋の方を目指してゆっくりとではあるが着実に進行しつつあるし、すでに膝近くまで水がきていてびっくりするほど走りにくい。

 しかも、走っているうちにどうしてかスウェットのズボンが段々とずり落ちていく。

 そろそろお尻が半分ほど出てしまいそうだったので一度立ち止まって両手でズボンを引き上げるが、なんだか妙にポケットがかさばる。


「あっ――!?」


 そうだ、これがあったんだった!

 アンコちゃんから貰ったというか、若干押しつけられた感のある防犯ブザーだ。しかもハッチーがいらなかった分もポケットに押し込まれたので二つもある。

 ハッチーが自爆した際に聞いた感じだと結構大きな音がしていたので、これをうまく使えばゾンビたちを誘導できそうだ。ある程度走ったら、アラームを鳴らして遠くにぶん投げればいい。

 こんな天才的な作戦を思いついてしまうだなんて、さすがIQ200の春子はるこちゃんだな。私のあまりの賢さに杠葉さんも東根先生も腰を抜かすに違いない。あの二人も馬鹿ではないものの、私と比べたらはっきり言って格下だからな。きっとここまで凄い作戦は思いつかないはずだ。

 そうだ、いざって時にスムーズにアラームを鳴らせるように、防犯ブザーのひもをポケットの外に垂らしておこう……よし、これで完璧だな。


 あとでみんなと合流したら、凄いとか賢いとか偉いとか褒められまくるだろうなと思いわくわくしながら走っていると、何かに何かが引っかかって、スウェットのズボンのゴム入りのウエストがびんっと伸びた。

 その直後に突っ張った感触がなくなり、それと同時にポケットからキュピピピピピピピッ――と大音量のアラームが鳴り始める。


「えっ!? ええっ!!? なんっ!? なんでですか!?? ちょっ、止まって!」


 慌てふためきながらもちらりと背後を確認すると、石段から廃屋へと向かっていたゾンビたちがこちらを向いていた。

 ヤバい!


「あっ、あっ、あっ……!? ああっ!?」


 どうにかしてアラームを止めようとするも、抜けてどこかになくなってしまった紐を見つけて差し込み直さないことにはアラームは止まらないようだ。

 鳴っている防犯ブザーをとりあえずもう一度ズボンのポケットに入れて、ポケットの上から手でぎゅっと押さえつけてみるが、少し音は小さくなったもののそれでもかなりうるさい。

 このまま防犯ブザーを持っていたらゾンビに囲まれて食べられてしまいそうだったので、とにかくどこかに捨てないとと思い、ポケットから防犯ブザーを取り出して何も考えずにとりあえず自分が走っていた方向に思い切りぶん投げた。

 しかし、まだポケットの中でアラームが鳴っている。


「えっ、えっ、なんで!? あっ!? 鳴ってないほうを投げちゃったんだ!」


 大慌てでもう一つの防犯ブザーも同じように前方にぶん投げる。

 遠くでチャポンと音がして、それきり防犯ブザーのアラーム音が聞こえなくなった。なるほどな、足元にこれだけ水があるのだし、その辺に水没させてしまえばアラーム音を止めることができたんだな……。

 まあ、あまりスマートな感じではなかったものの、結果的にはこれで大きな音を鳴らしてゾンビを引きつけるという役目は果たせたはずだ。

 さて、私も早く逃げないとゾンビにやられるか溺れるかして死んでしまう。

 えっと、たしか石段を上れば元の世界に帰れるって話だったよな。石段は…………あれ?


「石段は私の後ろで、石段と私の間にはゾンビがいっぱいいて……んんっ? あれ? これ、もしかして逃げられない……? え? 私と石段の間にゾンビがいるじゃん」


 待て。こういう時こそ落ち着かないといけない。

 状況を整理してみよう。

 道は一本道で、私、ゾンビたち、石段、廃屋という順番で一列に並んでいる。うん、ヤバいな。

 とはいえ、こんな廃村の道なんてあってないようなものだ。いくらゾンビが大群だといっても、適当にやぶの中を突っ切るなり廃屋のへいを乗り越えるなりして大回りをすれば避けて行けるとは思う。

 だが、水が流れ込んでくる速度がちょっと尋常じゃない。もう太ももの半分まで水がきているのだ。歩きにくいから時間もかかるし、遠回りをしている間に溺れてしまう可能性もある。実は私は水に浮けはするものの、泳げないし息継ぎもできないので鼻まで水に浸かってしまった時点で多分死んでしまう。


「や、やるしかないのかな……?」


 ゾンビの大群も怖いが、どっちかというと溺れる方が怖い気がする。ゾンビの大群はもしかしたらスイちゃんパワーで切り抜けられるかもしれないが、水は多分どうにもならないだろう。この水自体が妖怪とかオバケとかであれば大丈夫かもしれないけど、今のところは特に変な動きをしたりもしないしただの水のように思える。

 いやでも、やっぱりゾンビの大群も凄く怖いな、特に見た目とか……。


「うう……! もうこんな仕事やめたい……お金が貰えるって言っても何かとすぐに死んじゃいそうになるし、不思議とそのお金もなぜかまったく手元に残らないし…………スイちゃん、スイちゃん? おーい、聞こえてますか? 聞こえてたらなんかこう、どうにかして助けてくれませんか? おーい……ぐすん」


 頼みの綱であったスイちゃんも反応がない。まあ、今までこちらから呼びかけて反応があった試しがないのだが。

 こうして思い悩んでいる間にも水かさは増しており、気づけば足の付け根にまで到達していた。

 もう考えている時間はなさそうだ。そして多分、遠回りをする時間も……。


「見ちゃうと怖すぎるから、こう、目をつむって……だーっと走って行けば、スイちゃんガードとスイちゃんパワーが効けばなんとか……なるよね、なるはず! 私はブルドーザー私はブルドーザー私はブルドーザー……」


 おまじないをとなえながら石段にというか、ゾンビの群れに向かって全力でダッシュする。水の抵抗が結構あり、あまり速度は出ないがそこはもはやどうしようもない。

 目をつむっているのでよくわからないが、何かにぶつかってはスイちゃんパワーで引っぱたく。いたる所からボコボコと何か武器のような物で殴られている感じはしたものの、スイちゃんガードが効果を発揮しているらしくほとんど痛くはなかった。

 だけど、周囲から物凄い悪臭と気持ち悪い気配がただよってくる。「あ~」とか「う~」やらといった唸り声や、「ハア、ハア」「ゼエ、ゼエ」みたいな荒い息遣いも聞こえてきた。

 まるで満員電車の中みたいにゾンビたちに揉まれていると、次第に言葉まで聞こえてくる。


「かや……かや……かや……ころす……かや……なんで……こんにゃく……てたのに……かや……」


 そう言って何者かが私の首を握るが、スイちゃんガードのおかげかまったく苦しくないというかまらない。


「ていや!」


 私は目を閉じたままコンニャクゾンビを引っぱたく。スイちゃんパワーでコンニャクゾンビは消滅したのか、それきり言葉は止んだ。

 痛くはないがひたすらボコボコにされながら適当にベシベシと叩き返しているうちに、いつの間にか周囲が静かになっていた。

 そうっとまぶたを開くと、ゾンビたちはもうほとんど残っていなかったが、しかし水が胸の下くらいにまで迫ってきている。

 普通に歩いていたのではなかなか前に進まなかったので、あっぷあっぷと若干じゃっかん溺れかけながらも頑張って飛び跳ね続けてどうにか石段の手前までたどり着くと、石段の下の方でねるこちゃんと東根先生と小夜ちゃんが待っていてくれていた。


「たしゅ、たじゅけてくださいっ……! おびょれりゅ、おびょれひゃいまひゅっ!」


 つま先立ちをしているのにあごまで水がきていて、大げさでなくそろそろ限界だった。

 ねるこちゃんが手に持っていたび錆びの鉄パイプをポイっと捨てて、ザボンと水中に飛び込んできて私の手を引っ張ってくれる。ねるこちゃんの方が私よりも背が低いのに頭が水上に出ているから泳いでいるんだな、凄いなねるこちゃん。

 ちなみにタバコを吸っていた東根先生は「これを吸い終わるまで待ってくれ」と言って助けに来てくれず、しゃがんで石段の脇に生えていた草花をいじっていた小夜ちゃんは「服や髪を濡らすとお母さんに怒られるから!」と言って助けに来てくれなかった。

 ともかく私は無事に石段の何段目かに引っ張り上げられて、まるで浜辺に打ち上げられた魚のように寝そべりながらねるこちゃんにお礼を言う。


「うううっ……! 助けてくれてありがとうございます、今度こそ死んじゃうかと思いました」


「いやあ、そもそも山田氏はそれがしたちを助けてくれたのでござるし、これくらい当たり前でござるよ」


 びしょ濡れになりながらも笑顔でそんなことを言ってくれる優しいねるこちゃんに比べて、非情な東根先生に対して無性に腹が立ったので、よっこらせと立ち上がりびしょ濡れのまま正面から東根先生の体にがばっと抱き着いてやる。

 お腹を冷やしてお腹を壊してしまえ。なんでか知らないがここの水、凄く冷たいんだからな? 私はこの冷たい水の中をずっと移動してきたんだぞ!


「おっと、甘えん坊だな」


 東根先生はそう言うなり、持っていたタバコを指でピンと弾いて水面にポイ捨てして、私の体を両手で抱き返すと口にキスをしてきた。

 とっさに東根先生の体を押し返そうとした途端、東根先生がいきなりぱっと手を離して私はそのまま後ろに倒れてしまい、ザブンッと水中に落下する。

 なんとか自力で石段に這い上がったものの、今度は頭の先まで水浸しになってしまった。

 ワカメみたいになった髪の毛を額や頬に張りつけた私の顔を見て、東根先生がニマニマと笑いながら問うてくる。


「住人たちが殺し合ったという話だったが、なぜ元ここの住人らしきゾンビたちは互いに争わずに私たちばかりを殺そうとしていたのだろうな?」


「さあ……そんなことよりも、さすがに今の私ってかわいそうじゃありませんか? がんばったのにこんな目に遭わされて」


 目を半眼にして東根先生をじとっと見つめて抗議するが、都合の悪いことは聞こえない特殊な耳を持つ東根先生は当たり前のように私の発言を無視する。


「住人たちがダム建設賛成派と反対派に割れたのは本当なのだろうが、殺し合ったというのは雨ヶ嵜あまがさきカヤの嘘なんじゃないか? 実際には彼女が最後に残った一人どころか、他の住人全員を殺害していたりしてな」


「もしもそうだとしますと……もしかしたら、ゾンビたちはカヤさんをこの集落から逃がさないように出口を見張っていたんですかね? 実際はカヤさんは生き残ったわけですし、ここにはいないわけですけど」


「まあなくはないな。映画のゾンビ並みに頭が悪くなっていたようだったからな、やつら」


「そろそろ階段を上らないとまずくないでござるか?」


 上昇し続ける水面を見つめながらねるこちゃんがそう言うと、しゃがんでたんぽぽの綿毛をふーふー吹いていた小夜ちゃんが立ち上がって、「そういえばさっき見つけたダンゴムシ、溺れちゃったかな? 連れてきてあげればよかった」とつぶやく。

 さり気なく新しいタバコを吸おうとしていた東根先生だったが、さすがに諦めたようで抜き取ったばかりのタバコを箱の中へと戻して言う。


「ふむ、確かにそろそろ危ないな。寝子ねるこちゃんと私は人間だからな、溺れたら簡単に死んでしまう」


「私だって溺れたら死んじゃいますってば!」


「そういえばだが、寝子ちゃん。先ほどヤマコを助けに水中に飛び込んだ際に、水を飲んだりはしなかっただろうな?」


「えっと、飲んではいないと思うでござる」


「そうか、ならばいいんだが。いや、幽世かくりよの水を人が飲んでしまったら現世うつしよに帰れなくなる恐れがあるからな」


「多分大丈夫だと思うのでござるが、それは飛び込む前に言ってほしかったでござるな……」


「すまない。ヤマコがどういう目的で私たちに助けを求めたのかなど、あの時は色々と気になってしまっていてな。つい思考に没頭してしまった」


 ん? どういう目的も何も、ただ助けてほしかっただけだぞ? 泳げないのも、溺れたら死んでしまうのも本当のことだしな。

 東根先生が私の顔をちらっと見てから、ねるこちゃんを見て言う。


「何にせよ、君はもう少し気をつけた方がいいかもしれないな。人と同じようにあやかしも嘘をつく……たとえば小さな女の子が溺れていて助けに行ったら、実はカッパで水中に引きずり込まれて溺死させられた挙句あげく尻子玉しりこだまを抜かれたりするようなこともある」


「なるほど。とはいえ、溺れているのは本当に人間の女の子かもしれないわけでござるから難しい話でござるな……ところで、尻子玉ってなんでござるか?」


「肝臓だ。カッパは動物の血管に鋭い爪で小さな穴を開けて、妖力ようりょくを操って電子レンジのように血液を沸騰・蒸発させて、霧状にして浴びることで皮膚から栄養を摂取する。両生類だし確かに水辺に生息してはいるが、頭の皿や甲羅やくちばしといったお決まりのイメージは江戸時代に後から付け足されたというか創作された特徴であって、実際にはそういった見た目はしていない。私は見たことがあるが、小人のような割と可愛らしい感じだな。海外でチュパカブラと呼ばれているものもカッパだ。ちなみに肝臓がなくなるのは血液と一緒に蒸発してしまうからであって、実は尻から引っこ抜くわけではない」


「ふーむ……さすが作家先生でござるな。でまかせなのか事実と思って言っているのか、まるでわからないでござるよ」


「カッパは中々に厄介だぞ、体は小さいが妖力が強いんだ。しかも愛らしい。いつか飼いたいと思っているんだが、あの妖力をどうにかできない限りは危険すぎてな。名家出身の祓い屋の中にはカッパを式神にして使役しえきしている者たちもいるが、そういったやつらは大体先祖がカッパを式神にしていて、そのカッパの子孫を赤子のうちから育てて懐かせているんだ。だから、赤子のカッパをどうにかして手に入れることができれば私にも飼えるのではないかと思うのだが、子育て中のカッパの親は非常に凶暴でな……偶然に親を失った赤子を見つけでもしない限りは無理だろうな」


 そんなことを言いながら東根先生が石段を上り始めて、小夜ちゃんも「行くぞー!」と言ってついて行く。

 ねるこちゃんが私を見て言う。


「それがしたちも行かないと、本当に溺れてしまうでござるよ?」


「いえ、その……ずっと走っていた上に途中ゾンビたちと戦いもしましたし、最後には水中を飛び跳ね続けて……正直、疲労と足の痛みが結構ありまして、階段を上るのが憂鬱で……」


「なら、なおさら早く行かないとまずいでござるよ。あ……もしかして、弱っている振りをしてそれがしをここに置き去りにするつもりでござったか?」


「そんなことしませんよ! ていうか東根先生がなんだか余計なことを言ったせいですよね、ねるこちゃんがこのタイミングでそんなこと聞いてきたのって!?」


「くくく、冗談でござるよ。それがしの肩を貸すでござるから、がんばるでござる」


「うう……肩を貸してくれるのはありがたいですけど、この階段さすがに長すぎませんか? 霧に呑まれちゃってて、見上げても先がまったく見えないんですけど……いったいどこまで続いているんでしょうね、私、こんな体で最後まで上れますかね……?」


「最後まで上らないと溺れてしまうでござるよ?」


「ううう……」


 足の疲労はすでに限界に近かったものの、溺れるのは嫌だったのでねるこちゃんに肩を借りてしぶしぶと石段を上り始める。

 石段の一段一段がやけに高いし段数も半端じゃないしで、後半なんて足が痛くて本当に泣きながらではあったが、ねるこちゃんの介添えもあってどうにか溺れる前に石段を上りきることができた。数えていなかったので正確にはわからないが、たぶん千段以上あったのではないかと思う。

 私の両足は目に見えてぶるぶると震えており、ねるこちゃんがいなければ立ってもいられないような状態になっていた。


「……大丈夫でござるか?」


「無理です、もう無理ですよぉっ……死んじゃいますぅ、うえええ」


「階段はこれで終わりみたいでござるから、多分もう少しの辛抱でござるよ。……またべつの階段が出てきたら、いよいよ駄目かもしれないでござるが」


「ううっ、なんでそんな恐ろしいことを言うんですか……? ……というか、ねるこちゃんはなんで平気なんですか? オリエンテーリングのとき、結構すぐに疲れていませんでしたっけ……?」


「オリエンテーリングのあれは面倒くさかったから適当にサボりたかっただけでござるよ、演技でござる。能ある鷹は爪を隠すとよく言うでござろう? それがしにはブシドーがあるでござるからな、実はそこそこ鍛えているのでござるよ」


「あ、でもよく見たらねるこちゃんの足も震えてますね……もしかして、私のせいで無理させちゃってます……?」


「そんなことないでござるよ、それがしの足は常にちょっと震え気味なのでござる」


「なんだ、そうだったんですか。実はねるこちゃんも無理をしていて、二人して共倒れになったらどうしようって思っちゃいました」


「ふははははは! それがしにはブシドーがあるでござるからな、そんな情けないことにはならないでござるよ、絶対に!」


 心なしかいつもと様子が違うようにも感じられたが(ふははははは! なんて笑い方をする子だっただろうか?)、何はともあれねるこちゃんがまだ元気なようで良かった。ねるこちゃんまで限界を迎えてしまったら、いよいよヤバいもんな……万事休すってやつだ。


 林の中を通る舗装もされていない狭い道をしばらく歩いていくと、最初に見たぼろぼろの赤い橋とは違って立派な造りをした、真っ赤に塗られた太鼓橋が深い谷をまたぐようにして架かっていた。

 なぜか橋の一番盛り上がったちょうど真ん中のあたりに、刃が欠けた日本刀が突き立てられている。

 なんとなく怖かったが、先に行った杠葉さんたちや東根先生なんかもここを通ったんだよなと思い、日本刀を避けてなるべく端の方を歩いて橋を渡った。

 すると、ようやく不思議空間を抜けることができたのか突如として霧が完全に晴れて、全身に木漏れ日が降りそそいだ。

 見上げると、木々の隙間から青い空とお日さまが覗いている。そうは言っても全身びしょ濡れなので、寒いのは寒いままだったが。

 なんとなく後ろが気になって振り返ってみると、そこにはもう赤い太鼓橋も日本刀も存在せず、ただ木々が生い茂っているだけだった。


「足痛いぃぃぃ、疲れたあぁぁぁ、うべええぇぇぇええん!」


 と、大泣きしながらねるこちゃんに肩を借りて歩いてきた私を見て、道路の近くに集まって私たちを待っていたみんながぎょっとした顔をする。小夜ちゃんがびっくりした顔をして、「ゾンビかと思った!」と言った。

 ずびずびと鼻をすすり、「足痛いぃ、死んじゃうぅ……!」と泣きわめく私に、木陰に座ってふくらはぎを揉みほぐしていた東根先生が言う。


「なんと言うか、ご苦労だったな。よく頑張った。今回はヤマコのおかげで助かったようなものだし、なんでも食べたいものを言うといい。近いうちに必ず連れていってあげよう」


復楽苑ふくらくえんのチョコレートラーメンが食べたいですぅ、ひっぐ、ずびびっ!」


「あれはバレンタイン期間限定の商品だから、さすがに難しいな」


「うう……こんなに頑張ったのに、足痛いのにぃ……!」


「わかったわかった、とりあえずスイパラにでも行こう。車はなくなってしまったが、まあどうにかなるだろう」


 そういえば、乗ってきた車はあの不思議空間に残してきちゃったんだったな。謎の集落と一緒に水没して壊れてしまったかもしれない。

 というか、東根先生の車って高級車じゃなかったか? 確か、どうしても欲しくて安く譲ってもらったとか言っていたし、ずいぶんと気に入っていたようだったが……。


「東根先生……ずびっ、車、残念でしたね」


「ああ、別に落ち込んではいないから気にしなくていい。正直を言うと、ずっと憧れていたが見ることが叶わなかった六ツ尾集落を実際に見て歩くことができて、むしろラッキーだったと思っている」


「でも、お気に入りだったんですよね、あの車」


「まあな。あの車にはオーナーがこれまでに三人いたのだが、その三人ともがあの車を購入して半年以内に車内で変わった死に方をしたらしい。それを聞いたらどうしても欲しくなってしまってな。ほら、座ると絶対に死ぬ呪われた椅子とか絶対に座りたくなるだろう? 絶対に座れないように天井に固定してあったりするとなおさらだな、どうにかして座ってやろうという気持ちになってしまう。あの車も偶々たまたまなのかはわからないが高級外車で、安くしてもらってもそこそこ高かったからな。何というか、私にとってはまさに天井に固定してある呪われた椅子のような存在だったのさ」


「え……私やねるこちゃんも乗っちゃいましたけど、あの車ってそんなにヤバい車だったんですか?」


「私はまだ半年も乗っていなかったし何とも言いきれないが、今回六ツ尾集落にたどり着くことができたのはもしかするとあの車のおかげだったのかもしれない。そう考えるとだ、あの車は三人の命を奪ったのかもしれないが、十五人の命を救ったわけだ。数字の上であれば、どちらかと言うと良い車だったと言えないこともない。もちろん、戯言ざれごとだがな」


「いやいやいやいやいや!? そんな感じで流そうとしたってダメですから! そんなヤバい車に平気で他人を乗せて、ほんと信じられませんよ!」


 私に肩を貸したまま、横で話を聞いていたねるこちゃんがぼそっと言う。


「妖怪の方が正論を言っているでござるな」


「だから妖怪じゃないですってば!?」


 タクシーを手配したり、ねるこちゃんのお父さんに謝りまくったりとずっと電話をしていた杠葉さんがスマホを仕舞い、私を見て言う。


「ヤマコ、今回はよくやった。防犯ブザーを鳴らすアイデアも悪くなかった」


「ゆ、杠葉さんがデレた!? 私、杠葉さんに褒められたのってなんだか久しぶりな気がします!」


「お前をあまり褒めないのは、お前が滅多にいい仕事をしないからだ」


 いまさら照れ隠しを言っても遅いぞ?

 私のことが大好きなくせに!


 杠葉さんが私のことをじっと見つめて、顔をしかめて言う。


「なんだ、その腹の立つ表情は? 何を考えている? 今すぐにその顔をやめろ、殴るぞ」


「へっ!? こんなになるまでがんばったのに私、殴られるんですか……?」


 というか、「殴るぞ」なんて脅すのはジャイ〇ンだけかと思っていたぞ。

 小さい子同士でもなければ、今の日本で人間が人間に殴られることなんて普通はそうないはずなんだけどな。なんだろうな、今一番欲しいものは人権かもしれないな、切実に。


 そんなことを思った瞬間、真横から「あ、限界でござる」と小さな声がした。

 そして、ねるこちゃんがいきなりガクンと膝をついて、そのまま前のめりに倒れる。もちろん、ねるこちゃんの肩を借りて立っていた私も一緒に倒れた。

 私は地面に手をついて上体を起こし、膝立ちになってねるこちゃんの体を慌てて揺さぶる。


「えっ!? だ、大丈夫ですかねるこちゃん!? ど、どうしたんですか!? まさか私を助けて水を飲んだせいで、死んだっ……!?」


 杠葉さんも駆けつけようとしてくれていたが、真っ先にやってきた東根先生が倒れたねるこちゃんを挟んで私の対面に膝立ちになり、ねるこちゃんの顔や首や胸や腕やお尻に触れる。

 って、お尻に触れる必要は絶対になかったと思うけどな……?


「落ち着けヤマコ、死んではいない。多分疲れて寝ただけだ。このまま放っておいたらよくないだろうが、食べて休めば問題ないだろう」


「え、でも、ねるこちゃんは鍛えてるから平気だって言ってましたけど……?」


「多分だが、ヤマコが疲れたとか足が痛いとかずっと騒いでいたんだろう? それでこの子はヤマコに気を使って平気な振りをしていたんじゃないか? さっき私が柄にもなくあやかしは危険だと忠告してやったばかりなのに、あやかしのために体を張って気絶するとはな。この子は溺れた振りをしたカッパを助けようとして死ぬタイプに違いない」


「そ、そんなっ……!? な、なら万が一にもねるこちゃんがカッパに騙されないように、私がカッパを全部殺します! だってねるこちゃんは気絶するまで私のためにがんばってくれて、それなのに私はねるこちゃんが限界なことにも気づかずにずっと甘えてもたれかかっていて、自分で自分が恥ずかしいですっ……せめてカッパを皆殺しにするくらいがんばりませんと、申し訳が立ちません!」


「それは駄目だ。将来私が飼うカッパがいなくなったら困る」


「あ、そうでしたね、すみません……じゃあ、赤ちゃん一匹は残します! あとは殺します!」


 なんだか疲れが一周回ってわけのわからないテンションになってきていた私は、そんなことを宣言した。

 すぐ近くを流れる川に、沢山のカッパたちがんでいるとも知らずに……。

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