後・第26話 長寿の化け狸を封じよう!
「じゃあ、一体何歳なんですか?」
「ですから知りません」
大衆の往来の中、藤村と同じ内容の応酬を繰り返す。
「てか、先生が親戚なら、お兄さんもですよね?」
「何を当たり前のことを」
「...確認です。養子とかだったらばりばり地雷じゃないですか。もし先生の方だったら、目も当てられませんよ。私が」
「あー、怖や怖や」と藤村は大袈裟に身震いして見せる。半眼で黙っている芳子に気づいたか、藤村は姿勢を正した。
「はぁー、実際に見れば分かります。血の繋がりしか感じません、残念なことに」
芳子は兄・哲男の容姿を思い浮かべ、深く長い息をついた。
藤村と哲男には、実は面識があった。しかし、藤村は哲男の顔を知らない。何ともややこしい話だが、これには、ちょっとした出来事が絡んでいた。
時は、芳子が准教授になってすぐの年の10月31日に遡る。つまり、ハロウィーンである。
***
「先生、林又先生!」
背後から呼び立てる声に、芳子は後ろを振り返る。そこには、オレンジと黒に装飾された透明な廊下を全速力で向かって来る藤村の姿があった。
下階層が全て見通すことのできる透明なガラス張りの床には、見下ろした時に視界を妨げるコウモリが貼り付けられている。大学の建物は吹き抜けで、地上20階から地下10階までは仕切りのない一つの空間としてあつらえてある。故に、天井は上の階層の廊下の床部分である。その天井部分には、プロジェクションマッピングで目の吊り上がったかぼちゃが睨みつけ、牙の鋭いコウモリがそこここを滑空していた。
ぜいぜいと息を切らし、肩をしきりに上下させる藤村を待っていると、息が整ったのか伏せていた顔を一気に持ち上げた。
「お忙しい中呼び止めて申し訳ありません。実は、研究室兼職員室に、ゾンビが!」
「お帰り願ってください」
前のめりに詰め寄る藤村に、芳子は体を退け反らせて答える。
「いや、今回は理事長じゃないんです! 去年腰やってからなかなか治らないらしくて、あんなリアルなゾンビはできませんよ!」
芳子の眉間にこれでもかと皺が寄る。
翠学園では、研究室に戻ってみたら仮装した不審者がいる、というのは割と日常的なのである。
やりたい放題といっても過言では無いほど無法地帯なもので、こういうお祭り事を熱狂的に盛り上げる人間が一定数存在する。
その筆頭が学園の長たる理事長なのだから、他の誰が騒ごうと止めやしない。
昨年、理事長がゾンビの仮装で工学部の研究室に出現した。しかし、運が悪く芳子に見つかった。理事長は仕事でいくつか後ろめたい事があったらしく、芳子と目があった途端に勝手に足が動いた。逃げなければならないという不思議な脅迫概念の基、全力で疾走した御年128歳は、転けて全治3ヶ月の怪我を負ったのである。
「ですから、先程から言っているではありませんか。お帰り願ってくださいって。馬鹿の身元は見当がついています」
「えっ?!」
藤村は素っ頓狂な声を上げる。芳子は頭を抱えて再び深いため息をついた。
「誰だか分かるんですか?」
「部外者ですので、強制的に排除して大丈夫です」
「それは、ちょっと...」
「何ですか? 邪魔なのでしょう、退場願えば良いでしょうに」
芳子が問いかけると、藤村は明後日の方向を向いて苦笑し始めた。
芳子は怪訝そうな顔で先を促すので、藤村は観念したように口を開く。
「その、ですね。仮装のクオリティが無駄に高くて、昨年の理事長を凌ぐ勢いで、何と言いますか...うん、普通に、怖くて近づけませんでした!」
からっとした笑顔で堂々と言い放つ藤村に、芳子は再び頭を抱えた。サムズアップでもかましそうな勢いである。
「どんなに怖くても、中身は人間です。...身内の恥はさっさと処分したいのですが。まず、どうやって入ったのか疑問でなりませんね。受付のAIに、アレが来たら入れないようプログラムしていたのですが」
最初の慰めの言葉を最後に、小声で呟き出し自分の世界に入ってしまった。それに気づかない藤村は、なおも言い募る。
「先生も見れば分かります! そんな次元じゃないんですよ! なんか、こう、
藤村は自らの肩に乗せられた青黒い手に視線を向けて指さした。あれ? と首を傾げ、藤村の動きが鈍くなる。ギギギギと音を立てて首を少しずつ背後に回していく。
藤村の背後には、青白い...もとい、青黒いゾンビが藤村に手をかけてモデル立ちをしていた。
「ぎゃぁぁーーーーー!」
「っ!」
「うぉっ!」
藤村が発した絶叫に、芳子は盛大に顔を顰め、ゾンビは間の抜けた声を発した。その声は、若い男性のもので、それを聞いた藤村は、頭に疑問符を浮かべポカンとゾンビを直視した。
「いやー、ビックリした〜。んで、芳子、この人に説明してもらって良い?」
ゾンビは腰に両手を当てて芳子を指名した。
当の芳子は、面倒ですという表情を全面に押し出してゾンビを忌々しげに睨みつけている。
「来るなと申し上げたはずですが。そして、一応この挨拶も必要でしょう。お久しぶりです。お元気で何よりです、兄さん」
「うん! かなり久しぶり、我が最愛の妹よ。そして、お願いだからブロック辞めて」
ゾンビ、もとい哲男はそう言ってメモリーチップを掲げ、屈託のない笑顔を浮かべた。それもまた、格好のせいでただ怖いだけであったことは言うまでもない。
***
「哲男さん、可哀想に。顔知らないけど」
「水際で食い止めてましたからね」
哲男は何度も緑学園の研究室に侵入を試みて、受付で止められることを繰り返していた。
藤村と哲男の最初にしてその年最後の出会いは、ハロウィーンにうかれて上層部がセキュリティをガバガバにし、また諫める職員たちまで上層部に乗っかった事により実現したある意味奇跡的な出来事であった。
「理由、話せば宜しかったのでは? 県名誉教授の悪巧みに巻き込まれるから、身の安全を考えて来ないでください、とか。言いようはあったような気もしないでもないです」
「どっちですか? まあ、もう巻き込まれているのですから世話ないですけど」
「それは、まあ、仕方ないですよ」
自嘲気味になる芳子に、慌てて藤村が言い繕う。
「これは、あくまで希望的観測ですが、忠告していたらどうにかなってましたかね?」
「それは、無いと思います。断言できます」
「...理由は、聞かない方が良いですかね?」
「貴女が、まだ県國彦という人間を好きでいたいなら、聞かないことをお勧めします」
「了解です! 聞きません! なんたって私、県教にも所属しておりますから」
藤村は足を揃え、ビシッと敬礼して見せる。その潔さに、芳子は小さく笑みを漏らした。
藤村は芳子の表情に眩しそうに目を眇め、嬉しそうに微笑んだ。
「哲男さんの顔、ちゃんと見たいです! 私の知識欲は半端じゃ無いですからね。絶対現在の時間軸に戻しましょう、お兄さん」
「映像データ、探せばあると思いますが」
「...そういうことじゃないんです」
指をさして景気づけにと格好をつけた藤村は、芳子の言葉で腕ごと脱力した。しかし、この奇跡的なまでの残念さは、芳子の長所なのだと思い直す。
不安の残る芳子の胸中はどこ吹く風、外の景色は白く美しく、空は限りなく青かった。
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