第36話 政略結婚にもほどがある
真っ暗な帰路を、芳子は街灯だけを頼りに進んで行く。
暫く歩くと大きなビルにつきあたる。目の前にそびえる建造物は、見上げるには困難で、その先端は雲を突き刺さすほどだった。
少し段差が低めでクリーム色の階段を登り、エントランスに入る。
内装は迎賓館にも劣らず、まるで高級ホテルのそれであった。黒や白を基調として、差し色程度に淡い紫や群青、それと緑。全体的にトーンは落ち着いている。床は黒の大理石調タイル、壁は乳白色やアイボリーが調和している。
壁一面には蔦植物がしだれかかり、しかし剪定が細かくなされているので不恰好ではない。寧ろ、一枚の絵画のようだ。
芳子は調度品には目もくれず、エレベーターに直進する。
奥に待ち構えているのは、重厚な扉と大理石の台。手を伸ばした時の位置にあり、表面には人の手が模されている。
これは静脈認証システムで、防犯設備として多くの場所で用いられている。こういった居住施設では、ないところの方が少ない。さらに、システムをエレベーターなどの移動装置と連動させれば、手をかざすだけで本人確認だけでなく、居住階層まで自動で送ってくれるのだ。
芳子は、台に手をかざす。すると、数十秒と経たないうちに、目の前の扉が開く。乗り込んで数秒、芳子は自分の部屋に到着した。
ドアノブに手をかけたところで、バッグから僅かな振動が伝わる。
「ああ、そんな時間か」
ドアノブにかけた方とは逆の手で、肩かけバッグの前ポケットに手を突っ込んだ。
スマホの振動はもう止まっていて、画面にはどこまでも暗いディスプレイではなく"新着メッセージ一件"と書かれたポップが表示されていた。
古き悪しきの指紋認証を突破して、画面は直接メッセージアプリに飛んだ。
『時間ですよー。大丈夫? 時間空いた?』
芳子は部屋に入りつつ片手で返信を送る。
『はい、大丈夫です』
『OK それで、話って?』
『不確定要素を多く含むので、予めご了承ください。単刀直入に申し上げますと、スペインが攻めてきます』
『は?! え、マジで、今?』
『と言いましても、それは1年後の話です』
『なんだ、良かったー( ^ω^ ) ん? じゃあ緊急の要件じゃないって事?』
『1年後は決して余裕がある期間では...まあ、捉え方は人それぞれですかね。それでも、かなり急を要します』
『え、なんで?』
バッグを肩から下ろしテーブルに置くと、近くの椅子に腰掛けた。
『前提条件が完全ではないので断定はできませんが、現状、それほどポルトガルとの交友が進んでいるわけではないですよね』
『えーと、どれくらい仲が良くなきゃいけないの?』
『どれくらいというのも難しいです。アジア進出はしなかったんですよね?』
『うん』
『それならば、そもそも起るかどうかもあやふやな所です。史実によると、スペインはアジア進出をし始めた日本とポルトガルの繋がりに警戒して侵攻して来る事になっています』
『出る杭はってやつか』
『その当時の国力では到底太刀打ちできるものではありませんでした。しかし、ポルトガルと良好な関係を築いていたため、ポルトガルの協力もあり、日本は属国化を逃れました』
1580年、ポルトガルの王権をフェリペ2世が継ぎ、事実上スペインとポルトガルの合併が成立した。
スペインはポルトガルを手中に置くに従って、日本の存在を危険視した。未知数だと言うのに加え、なによりアジア進出など侵略的な行動がスペインに日本を敵視させる原因となった。
そして1589年、スペインは日本に侵攻した。
しかし、ポルトガル支援の下スペインを退た。
また、1640年、ポルトガル人は王権復活を目的としてスペインとの戦争を始める。1668年、革命は見事成功し、ポルトガルは国として独立を果たす事になる。
『そんなことあったんだ』
『スペインからしてみれば、脅威になり得るかどうかの探り程度でしょうから、それほど甚大な被害は無かったようです。しかし、ポルトガルの支援が無ければ乗り越えられたものではなかったので、緊急に関係強化が必要と思われます』
『へー、で、どうしろと?』
『政略結婚です』
『...またか』
芳子は、ワイン瓶を傾けてワイングラスにとぷとぷと赤紫の液体を注いでいく。グラスの1割程度まで注いだところでビンをテーブルに置き、ゆっくりと煽った。
『言っておきますが、それがその時代の常套手段です』
『分かってるけど、なんか好かない』
『貴方が好こうが好くまいかなどどうでもいいのです。当面の最優先課題はポルトガルとの関係強化。一つ注意点があるとすれば、嫁ぎ先は王族やそれに近いものではなく、どちらかと言えば軍事を司る家が望ましいです。確か、女児居ましたよね?』
『芳子さんや、問題がございます』
『何ですか?』
『結婚できる女の子、織田に居ない』
『は?』
『いや、養子はかなりとったんだけど、男だけでいいと思ってて、女の子徳ちゃんしか居ない。しかも、許婚あり』
『は?』
『あと、芳子が前言ってたことが本当だとすると、徳ちゃんが
『それは特に問題ではありません』
『あっ、そうなの。まあ、芳子が言うなら、そうなのか?』
『はい。それでも、難しい事には変わりないですね。徳姫の方も政略結婚でしょうし』
『そうだね、不本意な事に』
『では、織田軍の有力な家臣で娘がいて、なおかつ許嫁を探している方はいないのですか?』
『えー、ちょっと待って』
時間がかかることを想定し、上着をかけに席を立つと、食卓に置いていたスマホが震え出す。
『明智さんとこの珠子ちゃんは独身だし、適齢期とはいかなくてもある程度の歳にはなってるかな』
『明智珠子、ですか』
『まずい?』
『いえ、これ以上なく好条件です。その方向でいきましょう』
『えー、でもさー、外人に嫁がせるの?』
『何か?』
『んー、ちょっと酷かなって。だって、文化はちょくちょく入ってきてるとはいえ、まだまだ知らない土地だよ。そんなところに嫁がせるのは、俺が親なら猛反対する。例え上司に言われても、殺してでも突っぱねると思う』
『それほどの情を持ち合わせていますかね?』
『俺らの事情を基準に考えたら終わりだよ』
『そうでしょうか?』
『そうなんです』
『それに関しての議論は、恐らく平行線が続きます。では、明智光秀に息女・珠子とポルトガルの軍部を担う家との結婚を命令して下さい』
『命令?! お伺い立てる的なやつじゃなく?』
『はい。兄さんの話を採用すると、先方が提案を却下する可能性が出てきます。用心に越したことはないので、命令という形で強制力を持たせた方が確実でしょう』
『何か、余計なこと言った気がする』
『何か不満でも?』
『いいえ、何でもないですよー』
『そうですか。では、武運を祈ります』
『わー、嬉しい!(*≧∀≦*) 芳子も体に気をつけてね』
暗転した画面を尻目に、芳子の足は書斎に向く。ドアを開けて中に入ると、ディスプレイが明るい。誰からか、メッセージが来ているようだ。
リアクトに近づき、メッセージを確認する。送り主は無し。件名は"ioa"、内容も一貫してよく分からないものだった。
A is going to come back here. I think the reason is that we end soon P. Please be careful. You know as well as I, A is perhaps aware of our purpose.
(...が戻って来るそうです。恐らく、...の件で。分かっているでしょうが気をつけてください。多分、...は気づいています)
<途中経過>
日時:西暦2021年 3/2(火)20:20現在
結果検証:状況が揃っていない。不確定要素も多いが、最悪の場合もあり得る。
考察:明智珠子とポルトガル軍部との婚姻を勧める。
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