第5話 母親譲りの心臓


「って、なんですみれ縛られてるの!?」


 手首をかわいいリボンでラッピングされた澄玲すみれが布団の方へ逃げていく。


「なんでって、そりゃ、尋問」

「すっごい物騒ですこと!」


 澄玲がマダムになっている間にも、私は隅に隠れた虫を仕留めるかのようにジリジリと詰め寄った。


「言ってなかったけど、私は嘘を吐くのは好きだけど嘘を吐かれるのは嫌いなんだ」

「え、えー? すみれ、嘘なんてなんにもついてないよ」

「それは今から分かる」


 用意していた尋問道具を取り出すと、澄玲が小首を傾げる。


「えっと、まつり……それはなに?」

「かつて画家を目指していた人間が見栄えのために買ってみたもののろくに努力もしないで捨てた絵筆」

「とっても具体的なバックストーリーがあるんだね……」

「こいつで今から澄玲をくすぐる」


 布団の上に寝転がった澄玲が、怯えた目で私を見つめる。銭湯から帰ってきた澄玲はすでに制服から部屋着に着替えていた。着替えたあとでよかった。うん。いろいろと。雑念が減る。


「ぼ、ぼうりょくはんたーい」

「嫌なら縛ってるときに逃げればよかったのに」


 私が「縛るから手を出せ」と言うと、澄玲は「きゃー」とわざとらしい悲鳴をあげながらノリノリで縛られた。


「だって、今日はそういう感じなのかなーって、思って……」


 そういう感じって、どういう感じだ。


 聞き返すと余計しっちゃかめっちゃかになりそうだったので、返事の代わりに絵筆で澄玲の首元をくすぐった。


「ひゃひゃひゃ」

「うわ、めっちゃ敏感」


 ちょっとくすぐっただけなのに、澄玲は芋虫のように悶えていた。ついでに蹴られた。くそ、これなら足も縛っておけばよかった。


「まつりっ、待って、ひひひ」

「さあ吐くんだ」

「だ、だから嘘なんて吐いてないってへへへひゃほほ」


 逃げていく澄玲を壁に追い詰めた。逃げ場がなくなった澄玲はそのままズルズルとずり落ちていく。はだけたシャツの隙間に肌色が見えたので、そこもくすぐってやった。


「みゃみゃみゃ!」


 すごい声がでていた。それは、どういう声なんだ。


「ほらほら、言わなきゃやめてやんないぞ」

「いいいい言わない言わない! ヒミツだもん!」


 もうすでに嘘を吐いていると白状してるものじゃないか……。


「きゃきゃきゃ、おひひひ、めめめめめ!」


 笑いなんだかよく分からない声を出している澄玲が、涙目になりながら震えている。試しに絵筆でくすぐるのをやめてみる。


「あはは、まままま、にゃーーっ、っははっはは!」


 ずっと笑っていた。くすぐってないのに……。


「もう無理、限界! まつり、もうやめへぇっ!」

「隠してることちゃんと話してくれたらやめてあげるってば」

「うへへへへへ、そんなぁ! あっぱぱぱ、ま、も、もう、まも、まりもまりも!」

「え? まりも?」

「まりもじゃないっひひひ」


 くすぐる以外のことでもツボってしまったようで、収集がつかなくなる。すっかり笑い袋になってしまった澄玲をさらに追い詰めるため、私は澄玲のお腹を重点的にくすぐることにした。


 同じ場所をずっとくすぐっているとどうも慣れてしまうようなので、少しずつ位置を上にズラしていく。今まで触れなかった新しい部分に触れると、澄玲は「うきゃきゃ」とチンパンジーになった。


 よし、この調子でみぞおちのあたりもなぞってやろう。


「あんっ!」


 …………。


 くすぐる手が、ピタッと止まる。


 しまった、照準がズレてしまった。


 さっきまで暴れていた澄玲も、顔を真っ赤にして固まっていた。


「ご、ごめん」

「う、ううん」


 空気が粘ついて肌に纏わり付いてくるようだった。室内の湿度が真夏みたいに上昇していく。冷や汗が背中を伝った。


 澄玲はそのまま枕に顔を埋めて、動かなくなる。蹲ってお腹をガードされてしまったので、これではくすぐることができない。手を拘束していたタオルも解けてしまっている。


 尋問失敗か……。


「私の聞き方が悪かった。嘘っていうか、隠し事は無しにしようよ」


 呼吸に合わせて背中が膨らむ澄玲に声をかける。


「別に、なんでもかんでも知りたいとは思わないけどさ。知らないことがあるって分かると、それはそれで……モヤモヤする」


 それは独占欲のようなものなのか、自分では説明のしようがなかった。なにしろ、こんな風に誰かと一緒に暮らすのなんて初めてなのだ。家族以外の、関係で。


 私って、そんなに頼りないだろうか。まあ、否定はしないけど。


 子供みたいにいじけてしまう。無力感が重力を連れてきて項垂れた。


 誰かのために生きる。そう決めた私の視界には、大量の人間が行き来している。ただ、その中で一際目立つ人間がいる。それが澄玲だった。


 結局、特別なのだ。どれだけ淡々と生きようとも、すべての人間を平等に扱える気はしない。私にも優先順位はあって、その上位に位置しているのは、うつ伏せでぶっ倒れているこいつなのだ。


「私たち、そういう関係なんだし」


 湿度の次は温度まで上がってきた。まだ梅雨もやってきていないのに。どうなってるんだ。


「あちー、今日はあちーな」


 首元を扇ぎながら、窓を開けた。少しだけ冬の余韻を感じさせるような、春の夜風が熱くなった顔に当たる。


「まつり」


 てっきり化石になってしまったのかと思っていた澄玲が、グググ、と首を回してこちらを見た。


「すみれね、心臓が弱いの」


 なぜ澄玲が怒られたような顔になっているのかは分からなかった。澄玲は身体を起こし、壁に背を預けた。


「生まれつきの病気で」


 膝を抱えたまま喋る澄玲は、いつか見た、葬式での姿にそっくりだった。あの頃の澄玲は、ひどく鬱屈で、この世の終わりのような顔をしていたっけ。


 驚きももちろんあったし、疑問も山ほど浮かんだ。けど、それを出すのは不誠実な気がして「ふーん」と無気力に相槌を打った。


「まあ、そんな気はしてたけど」


 澄玲は時々、自分の胸元をさするような仕草を見せるときがあった。そういうとき澄玲は、いつも心ここにあらずというような表情を浮かべていた。人は不安なことがあると、ああいう顔をする。


 それに、以前澄玲を連れて回った私の黒歴史とも呼べる逃避行で澄玲は突然胸を押さえ始めた。あのとき澄玲と、澄玲の父親はなんでもないと言ってはいたが、私はどうにもはぐらかされた気がしてならなかった。


 ただ、澄玲はまだしもあの父親がなんでもないと言うのなら、緊急を要するものではないだろうと思って黙認していたのだ。


「そっか、心臓か」


 今目を合わせたら、そこで会話を切られそうな気がした。私は澄玲に背を向けたまま、クローゼットを開けた。


「何してるの?」

「ん? そろそろ夏服出そうかなと思って。冬服もう着てないでしょ」


 澄玲が着たいと言ったから買ってやったバナナ柄のジャケットとか、キャラクターのプリントTシャツをクローゼットに押し込む。


「それってさ、大丈夫なの?」

「大丈夫って?」

「治療とか」


 本当はもっと、踏み込みたかった。


 だって、心臓だぞ。動けば心臓に負荷がかかる。それは運動だけでなく、いろんなところで、不都合が生じるだろう。


 けど、それは違う気がした。私は支えるつっかえ棒なのであって、壁をこじあけるピッケルなどではないのだ。


「えっと、手術は、小さい頃にして……治療は、もうしてない」

「そうなんだ。手術の後遺症とかなの? その、心臓が弱いっていうのは」

「ううん、生まれつき、血液を送る力が弱いんだって。だから普通の人より、心肺機能が低いの。だから、すぐ息が切れるし、けっこう貧血になったりする。お医者さんからは貧血に効く薬をよくもらってるんだけど……澄玲も詳しいことはあんまりわからなくって」


 背中を向けて話しているので、声色からしか判断することができなかったが、澄玲はどこか申し訳なさそうにしていた。


「ほとんど説明は、お母さんが受けてたから……」

「それはしょうがないね」

「うん……」


 本当は今すぐ、逃げ出したかった。


 辛気くさいのは嫌いだ。問題と向き合うのは億劫だ。真剣になるのは恥ずかしい。


 これらの要素を日常生活に持ち込むのを私はひどく嫌ったし、ずっと逃げ続けてきた。


「お医者さんに聞けば教えてくれるかな」

「担当してくれてる人は十年前から変わってないから、たぶん教えてくれると思う」

「そう。じゃあ、今度一緒に行こう。澄玲のこと、詳しく教えてもらうから」

「ごめんね」


 この部屋に連れてきたばかりの澄玲も、よく不安そうな声でそう言っていた。まるで時間が逆戻りしたかのようだった。秒針は絶えず、進んでいるというのに。


 私が振り返ると、澄玲がぴく、と肩を震わせる。


 逃げていくその頭に、そっと手を乗せた。


「遠慮しないでいいよ」

「息苦しいから?」

「お、言い当てられた。エスパーか?」

「……」


 澄玲が私の裾をキュッと掴む。それが合図だった。澄玲が私の背中に手を回して抱きついてくる。小さな身体を抱き返すと、澄玲という存在が灯す光がとても淡いものであると気付かされる。


 さて、病院に連絡しなきゃな。澄玲の病状を聞きたいんですがって受付に言えばいいのか? それとも予約? 病院への手続きの方法もまともに分からないのだなと気付くと、自分の幼稚さを痛感する。


「黙ってたのは、まつりに嘘をついてたとか、隠してたとか……頼りにしてなかったとか、そういうんじゃなくて……」

「心配させたくなかったんでしょ」

「……」

「言い当ててしまった。私の方がエスパーだったか」

「まつり」


 はっはっはと笑う私に抱きついたまま、澄玲が私の名前を呼ぶ。


 肉付の薄い肩を抱いて「なに」と私も答える。


「さっきの絵筆、もう一回やって」

「えぇ……」


 それはさすがに予想できなかった。

    

 エスパーになれる日は、まだまだ遠いらしい。

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