第8話 vs怪物

「ボール! フォア!」


 あっさりと1、2番を打ち取った鈴本だが、3番打者に対してはフルカウントまで粘られた末にフォアボールを与えた。


(……ったく、遊びはしなかったけど、四球フォアボール出しても悔しがるどころかちょっと嬉しそうじゃねーか。どうしてピッチャーってのはこう強打者と対戦したがるのか……ドMであるとともに、俺達キャッチャーをいじめるドSでもあるな……)


 先輩相手に好き放題言う清水の心中など知る由もないマウンドの鈴本は楽しそうに笑いながら、右打席へと向かう中谷を見る。


「……るのは、中学以来だっけか? 楽しみだねぇ」


「……ったく、お前はいつもいつも楽しそうに野球するなぁ……そういうところ、好きだぜ」


 マウンドで笑みを見せる鈴本に釣られるようにして笑うと、唐突な告白をした中谷。そんな2人の放つ和気あいあいとした雰囲気に、キャッチャーの清水は終始呆れていたが……


(……ヤベェ。なんだこの威圧感は……!)


 中谷が右打席の中に入った途端、彼の雰囲気が変わったことを肌で感じる。いつの間にかマウンドの鈴本の顔からも笑みは消えており、ここからはガチンコの真剣勝負なのだということが清水にも当然伝わってきた。


(……分かりましたよ。初球はアウトローのストレート。とにかく、低めだけは外さないで下さい)


 いかにもストレートを投げたそうに目で訴えかけてくる鈴本に応え、清水は最も安全と思われるコースにストレートを要求した。


(サンキュー清水! 心配しなくても俺のコントロールなら……ビシバシだ!)


 アウトローいっぱいへの146kmストレート。バッターならば、手を出したところで打てないコースだ。


「……つまらんなあ。チキんなよ、鈴本」


 中谷が目一杯腕を伸ばすと、バットの芯がアウトローいっぱいのストレートまで届いた。


「フンッ!」


 そこから力任せにすくい上げたボールは、ライトスタンドに向かってグイグイと伸びてゆき……ポールの右側へと切れていった。


「……ギリギリファールか。危ねぇ~」


 最高のコースを打たれたというのに、鈴本の表情にはまだ余裕が見られる。が、捕手の清水の顔からは早くもそんな余裕が消えてしまっていたのである。


(危ねぇじゃねぇよ、なんだこの化け物は。なんであそこのコースをあそこまで飛ばせるんだよ……)


 中谷の打撃に度肝を抜かれたのは清水だけではない。他の朱護学園ナインも、ベンチの結も、彼の打撃を見て少なくはない量の汗を流していたのだ。


(……夏の甲子園での中谷君の評価は、投手としてよりも打者としての方が高かった。投手中谷は好投手止まりでも、打者中谷は化け物だと……今のバッティングを見ただけで、その評価に同意してしまう……!)


 清水は悩む。あの最高のコースを打たれたのならば、どこに投げれば中谷を抑えられるのだと。清水は悩み、悩み、悩んでも答えは出ず、助けを求めるように先輩である鈴本の方を見ると……


 鈴本はただ、無言で自分の心臓を叩いていた。


(……なんだそりゃ。男は度胸とでも言うつもりか?)


 しかし、鈴本のそのあまりにも堂々とした、自信に溢れた態度に清水は救われた。開き直って、そんな先輩の堂々とした姿に着いていこうと決めたのだ。


(……そうですよね。ファールなんていくら打たれても点にならないんだ。だったらそんなもん、いくらでも打たせときゃいい)


 清水は、再び外角に構える。マウンドの鈴本と同じ、自信満々の顔で。


(このコースなら、打たれてもファールにしかならない!)


(了解! 託したぜ後輩!)


(……また外角……いや、これは……)


 外角に投げられたスライダーは、更に外に逃げてボールになる。中谷は一瞬だけピクリと反応したが、バットは殆ど動かさずに悠然とボールを見送った。


(そんな外スラに引っかかるようなザコじゃねぇよ)


(最初からボールのつもりで投げてるのでご安心を。これで、外角を意識してくれれば……)


 3球目、清水は再び外へと構える。


(また外!? そんなに外ばかり続けて……俺が打てないわけねぇだ……ろ!?)


 外のボールに手を出した中谷のバットは空を切る。中谷は一瞬、なぜ自分が空振ったのかが理解出来ていないような表情をしていたが、すぐに頭を回転させて状況を飲み込んだ。


(……スプリットか。完全にストレートと見間違えたぜ……しっかし、球種は違うとはいえ外のボール3つで俺を追い込むとは……流石は鈴本ってところか)


 カウントは1-2で中谷が追い込まれている。しかし、中谷の頭を支配しているのは危機感ではなく疑問の方だった。


(……普通なら、スプリットは追い込んでから三振を取るための決め球に使いたいはずだ。しかし、コイツらはそれをカウントを取るための球に使った……他に投げる球がなくなったからスプリットを投げたのか、もう1回スプリットを投げて俺から三振を取るつもりなのか……それとも、他の球を決め球にするのか……)


 中谷が考えを巡らせる間に、清水はインコースいっぱいへとキャッチャーミットを構えていた。

 要求するのはストレート。鈴本が1番好きな、自信のある球種だ。


(全力ではらわたえぐって下さい! 三振か、ドン詰まりのゴロで決まりです!)


(いいねぇ清水! 俺の乗せ方をよく分かってんじやねぇか!)


 インコースへの自己最速、149kmのストレート。しかし中谷はその渾身のボールにも、腕をたたむことでバットを合わせてきた。


(重い……が、力でかっ飛ばせる!)


 中谷の打った打球は、火が出るほどの勢いで三遊間に向かって飛んでゆき……そのボールは、ショートの守のグローブへと収まった。


「……ってぇな……打球の強さ、あの原田並じゃねぇか……」


 初回、三杉学舎のスコアボードに0が刻まれた。

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