荒神鎮送4

 勢三郎はしんしんと降り始めた真白な雪の中、狸やテンの足跡の続くつづら折りの大手道を一人登っていった。


 その山頂がかつての領主の城跡である。


 崩れ落ちた城門をくぐると、そこに邪鬼が潜んでいた。隠れているつもりだろうが、勢三郎はとうにその居場所に気づいている。


 「そんな所に隠れても無駄なこと、潔く出てくるがよい」


 しかし返事はない。

 ただ粉雪が風に舞うばかりである。


 「出てこないならば、叩き落すぞ!」

 そう言って勢三郎は朽ちた柱を勢いよく蹴った。

 

 刹那、白雪が舞い降り、傾いだ柱の向こうにいきなり黒い影が落ちて来た。


 邪鬼であった。


 「ちっ、気づいておったか。さては殺しに来たな!」

 邪鬼はキツい目をして爪で威嚇した。


 「待て、話をしに来たのだ。すぐに斬ったりはせぬ」

 勢三郎は両手を広げて見せた。


 何も持っていないことを見せるためである。


 邪鬼は頬まで裂けた口を歪めてケタケタと笑った。

 その手を広げて見せたのは勢三郎の真似をして小馬鹿にしたのであろう。


 「人間などに話すことなど何もないわい。去れ、去らねば殺し合いの続きだ」

 邪鬼は牙を剥いた。


 「お前が真に邪悪な存在であれば斬る、だが、真実を確かめたい。お前はどっちだ? 橘姫なのか?」


 「くはははは……ワシが橘姫のはずがなかろうが、ワシはワシじゃ。虚言に右往左往する人間を見るのが好きなだけじゃ」


 「本当にそうか? ならば長者の屋敷で「私の体を返せ!」と申したのはなぜだ? 嘘であったか?」


 「そんな事を言った覚えなどないわい! この珍妙な人間めが、そうも死に急ぎたいか」

 邪鬼は鋭い爪を見せた。


 「お前程度の鬼など俺は今まで何百と斬り捨てて来た。そんな脅しに動じると思うか?」

 勢三郎の眼光は鋭い。

 その目を見た邪気は怯んだようにも見えた。


 およそこの邪鬼には力が無い。

 今まで退治してきた鬼の中では最弱と言って良い。なによりも勢三郎が戦った鬼姫とは比べようもないほど弱い力しか感じないのである。


 もしかすると橘姫自身、元々力が強いのかもしれぬ。

 やはり橘姫と融合したことであれだけの力を得たのだろうか。


 いや、この程度の魔物が人間の身体を乗っ取ったところでさしたる脅威になるとは思えない。

 鬼姫とは根本に持つ力があまりにも違いすぎるようだ。橘姫自身に力があったとしてもこの邪鬼が鬼姫ほどの力を得るものか。


 さればこの邪鬼は、鬼姫とは無関係の存在か?


 「どうにも合点がいかぬな」


  無関係ならば、何ゆえこの邪鬼は橘姫にこだわるのか。やはり「私の体を返せ!」と邪鬼が口走った、あの声が脳裏をよぎる。


 刃を交えた鬼姫の力は強く、眷属を生み出す能力を備えていた。まてよ、と勢三郎は目の前の邪鬼を油断なく見据えながら自問した。


 「おのれ、その首かききってやろうぞ……」

 邪鬼は危険な目つきで間合いをとっているが、攻撃を仕掛けてはこない。おそらく先の一戦で勢三郎の実力を知ったからであろう。


 鬼姫は多くの眷属を従えていた。

 邪鬼が橘姫の身体を乗っ取ったところでそれほどの霊力を得るだろうか。いや、むしろ元々そのような力を持った者が橘姫に乗り移ったと考える方が腑に落ちよう。

 

 『邪鬼が橘姫の身体を乗っとったか、或いは話に伝わる荒ぶる山神の怒りによるものか……。山神のことは神の禁忌に触れることゆえ、私の口からはこれ以上詳しく申し上げられませんが…』

 不意に桜姫が勢三郎に語った言葉が脳裏に浮かんだ。


 「!」

 その時、勢三郎の頭の中で鬼姫と荒ぶる山神の影がピタリと重なった。


 まさか、橘姫の身体を乗っとったのは荒ぶる山神の方ではあるまいか?


 邪神に堕ちた荒ぶる山神が乗り移ったからこそ、あのように恐ろしく強い鬼姫に転じたのではないか?

 堕ちた神であれば際限もなく眷属を増やす能力にも合点がいく。各地で山野の様々な獣たちが神のお使いとして祀られているではないか。鬼姫の力は、その力そのものだ。


 鬼姫の正体が、荒ぶる山神が橘姫の魂を追い出してその身に宿った存在だったとしたら?


 荒ぶる山の神に追い出された幼子の魂はどこに行くのであろうか? 勢三郎は目の前で牙を剥く邪鬼を見据えた。



 「なるほど、そうやもしれぬ……」


 橘姫という名前を呼ばれることもなく、荒ぶる山の神に体を追い出された赤子の魂は形を留めることなく消滅したはずだ。

 だが、もしも荒野を漂っていた無垢な魂がたまたま邪鬼の霊体に接触し、混じり合って変じたとすればどうか?


 あの時、こいつが体を返せと無意識に叫んだ理由にも説明がつく。無意識下で己の体を取り返したいという思いが邪鬼を突き動かしていたのであろう。

 この邪鬼の力が弱いのも弱々しい赤子の魂と融合したからだと思えば合点がいくのである。


 「何をブツブツ言っておる!」


 邪鬼はまなじりを吊り上げ、牙を剥いて威嚇したが、勢三郎は動じず、そっと刀の柄に手を置いた。


 互いに距離を保ったままじりじりと右へと歩を進める。

 邪鬼は瓦礫を背に本丸跡に続く道をちらりと見たようだ。


 この邪鬼が本当の橘姫の魂を核にしているとすれば、橘姫の魂が身体に戻ることはもはや叶わぬであろう。

 なぜなら、橘姫として育った記憶のまったくない者が今さら橘姫になることなどできはしないのである。


 しかし、橘姫の体を乗っ取った荒ぶる山神にしても、追い出した橘姫の魂がこのような形で現世に残り続けるとは予想外だったのかもしれぬ。


 橘姫の肉体を完全に支配するには、元々の橘姫の魂を完全に消滅させる必要がある。橘姫の身体がある程度育つ時期まで待って、その魂を葬り去るつもりだったのであろう。

 しかも奴が神だとすれば、橘姫の体が成人になる前に事を起こす必要がある。完全体になる前の肉体は人間として成長する、つまり月経がきてしまえば神はそれを穢れとして耐えることができぬのだ。


 だからこそ、肉体が成人の体になる前に、邪鬼と一緒に橘姫の魂を消し去る算段だったとすれば……。


 奴はわざと屋敷へ邪鬼を引き寄せたか?


 鬼姫が現れたあの時代、邪鬼は姿を見せていない。邪鬼を殺して完全な姿となったのであろうか。いや、ならば長き時を御社の中で眠る必要はなかったはずだ。体が成長しないよう時を止めて眠っていたのだとすれば、邪鬼は殺されていないのだ。


 このままでは時間が流れて体が成人になってしまう。鬼姫は騒ぎを起こし、邪鬼を倒せる者を呼び寄せた。


 だが、邪鬼が確実に存在しているのはこの時代だけである。邪鬼を確実に殺すにはこの時代しかない。だとすれば勢三郎をここに送り込んだ者こそ……


 バサリと落雪の音がして、ハッと勢三郎が我に返った。

 

 「出て行け、人間が! ここはわしの住処なのじゃ!」

 邪鬼は鋭く叫ぶと猿のように跳躍して、崩れた城の中へと身を隠した。

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