第7話
オレと匠、二人がぼんやりと待っていた講義室に、二人の女子が扉を開けて入って来る。明るい茶髪にタイトめのニットの女子が匠の方に手を振りながらこちらに歩いていきた。おそらく匠はこの女子を経由して情報を仕入れたのだろうと、そう想像しながらもオレは講義室の入り口で立ったままこちらを茫然と眺めているもう一人の方が気になっていた。
「ちょっと春! 早くこっち来なよ」
匠にニコニコと話かけていた女子に『春』と呼ばれた黒髪の女子。昨日間違いなく売店の前ですれ違った女子。目立たない黒髪に違和感のないブラック系のワントーンのコーデ。緩めのセーターの中にタートルネックを着込んでいるからか、スタイルバランスがよく見えるが、その統一感を台無しにするのが頰に貼られた真っ白なガーゼだった。
「えっと……お待たせ、匠さん」
声は少し高くて、耳に痛い。それとは裏腹に沈んだようにも聞こえる。
「ぜーんぜん待ってないよぉ。こっちこそ来てくれてありがとねー」
さすがは匠だ。言葉は元より声色だって彼女たちを不快にはさせない。それに引き換えオレはというと、難しい顔をしているからか全く目も合わせてもらえない。
「で、やっぱり聞きたい話って……噂の話ですよね?」
黒髪の女子はおどおどしながら匠に尋ねた。
「それはこっちじゃなくてさー……ね、コウちゃん?」
いや、そんなニコニコしながらオレに話を振ってくんなよ。二人とも完全にオレの方見て怯えた表情してんじゃねえか。
「あぁ、仰々しくしちまって申し訳ない。一応オレは……」
「幾島、先輩ですよね?」
「マジ? あの噂の先輩?」
オレは思わず天井を見上げた。新設されて久しい校舎の天井は白く輝いてる。まるで純真無垢な雪のようで冷たさもあった。なんか心の中が冷えていってしまいそうな感覚だ。
どうしても『あの事件』をきっかけに、学内では『危ないヤツ』とか『ネジの外れたヤバいヤツ』みたいな扱いを受けちまってるから仕方ねぇけど、面と向かってこんな反応をされちまうと心にくるものがある。
しかし……しょうがねえよな。やっちまったもんはさ。
手に持ったままだったペットボトルを捻り、何度目になるか分からないけど温い水で喉を潤す。相手が何を思っていても関係ない、これはオレが請け負った事だ。気持ちを切り替えて改めて彼女たちに、茶髪の女子が言った。
「でも幾島先輩って、結構学内でかなり顔利くって聞いているし、相談してみても良いんじゃない? ねぇ、春?」
良くない噂もあれば、ちょっとはマシな噂も出回っているってことなんだろうか。彼女の言葉には少し肩透かしを喰らった気分になったけど、まぁ少しは信用が得られるのであればそれに越したことはないな。
オレは黒髪の女子に視線を向けて、「で、アンタに話聞きてえんだよ」と尋ねるが、彼女は押し黙ったまま、茶髪の女子と匠の方に何度か目配せをした。彼女はオレに良い印象を持っていないのだろう、怪訝そうな表情を浮かべたまま、最後に椅子に腰掛けるオレを見下ろした。
「ほら、春! ちゃんと座って話なって」
ここで助け舟を出してくれる茶髪の女子。彼女に促される形で春さんはオレの真正面に腰掛け、そして緊張した面持ちで名を告げた。
「吉見春(よしみ はる)といいます」
垢抜けない表情、細い輪郭、磁器のように白い肌。恰好は今時の学生然としているが、まだこの学校に慣れていないのだろうと分かる。謂わゆる文学少女とでもいうのだろうか。正しい定義は知らないが、学のないオレにはそう思えた。
「幾島、幾島幸路朗(いくしま こうじろう)」とオレは言った。「まぁ知ってるみたいだけど」
吉見春も、そして茶髪の女子も同じように引き攣った笑みを見せていた。やはり自己紹介というものは何度やっても慣れないものだ。どうしても雰囲気が悪くなってしまう。
「ダメだってー! そんなおでこに皺寄せて挨拶なんてしても怖がらせるだけだって。ごめんね、二人とも」
オレの隣に座る匠そう言うと、女子の二人が少し笑みを見せた。やはり声のトーンが違うからか、それもと花があるからだろうか、匠が声を発しただけで少し雰囲気が軽くなったように感じる。匠はホッとするオレをみてクスクス笑っていた。ちなみにこれは匠が必ずやるテクニック。大体オレを引き合いに出して匠本人の軽さとのギャップで場を和ませている。
オレは匠の太ももにパンチを軽く入れながら、話を進めるように促す。「そうだね」と吉見春の顔を見て匠は話始めた。
「吉見さんはさ、横の彼女と同じこのガッコの社会学部の1回生。まぁちょっと困ったことがあったらしくてさ。それがこっちの耳に入ったんで、少しでもフォローできたらって思うわけよ」
「でも、別に、私……」
吉見春は口ごもりながら、少し俯き加減で匠を見つめた。
「気にしなくて良いよぉ。コイツ、評判はこんなんでも学内のトラブルシューターで通っているし」こちらに視線を送る匠。「トラブルなんたらはお前が勝手に言ってるだけだろ。でもまぁ、話してみろよ。聞くくらいはしてやるから」
吉見春の顔に陰が落ちた。茶髪の女子も心配そうに横から彼女に話かけているが、重い口が開かれることはない。
すると痺れを切らして茶髪の女子が代わりに口を開いた。
「春は、『あの噂』が原因で怪我しちゃったらしいんです」
刹那、吉見春に更に顔色を悪くする。オレは彼女の見せる仕草に違和感を覚えていた。彼女が講義室に入ってきたからこっち、この子はほとんどオレと目を合わさない、そしてまともに口も開かないのだ。もしかするとこの子、この話を誰にもしたくないんじゃないのか?
オレが心の中でため息を吐きながら様子を窺っていると、色々気にしいの匠が気を利かせて言った。
「まぁさ、そう急かさなくても良いじゃない? 吉見さんにも自分のペースがあるだろうしさ」
まったく……コイツはそこまで計算でやっているのか。匠の声を聞いて吉見さんも、そして茶髪の女子もホッとした表情を見せていた。
それでもオレの中の違和感は消えない。こんな時のオレの直感は当たるんだよ。大体、悪い方面の直感はさ。
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