ジョージとメアリー
すえのは
ジョージとメアリー
石畳の丘の町は夏の日差しを浴びて眩しかった。真っ青に広がる海からは、絶え間ない波の音が聞こえていた。
ジョージは白く輝く石段をゆっくりとのぼった。家々を仕切る石垣がどこまでも続き、庭木や花々がその上からちらちらと覗いていた。彼の肩口にはビビッドカラーの影が揺れていた。
石段から脇道に入り、細いくねくね道を進んでいくと、向こうからテナーおばさんが鼻歌を歌いながらやってきた。いつも陽気なテナーおばさんは、ジョージを見ると上機嫌で挨拶をした。
「あら、ジョージじゃないの。お散歩?」
彼も陽気に答えた。
「まぁね。メアリーのところに行くんだよ」
テナーおばさんはお腹を揺らして笑うと、ジョージの肩をぱしんと叩いた。
「ジョージったら、隅に置けないわね! あなたの顔を見たら、きっとメアリーも喜ぶわよ!」
ジョージはひりひりと痛む肩をなでながら苦笑いをした。
「見舞いに行くだけだよ。喉が痛んで歌えないって言うからさ」
テナーおばさんは豪快に笑った。
「まぁ、頑張りなさいね。あなたのお見舞いならあの子もきっとすぐに元気になるわ!」
テナーおばさんは腕に掛けた買い物かごを揺らして愉快にステップを踏み、彼が今歩いてきたほうへ去って行った。静かになった細い道に、風の音が流れていった。彼はメアリーの家に向かって歩き出した。
彼女の家の周りには高い木々が生い茂り、裏道には涼しい影が広がっていた。石垣は彼の背丈よりも高く、一階部分は何も見えなかった。少し上を見ると、メアリーの部屋の窓が見えた。メアリーはいつものように窓脇の机に座り、楽譜を見ているようだった。彼は大きく手を振ってメアリーを呼んだ。
「おおーい、メアリー」
窓の向こうのメアリーはすぐに気がついて、こちらに顔を向けた。花の咲くような明るい笑顔だった。彼女は立ち上がって窓を開け、顔を出した。長い栗色の髪が白い頬に流れた。
「ジョージ、こんにちは」
「メアリー、具合はどう?」
「ありがとう。だいぶよくなってきたのよ」
「よかったら、少し散歩に行かないか? 風に当たると気持ちがいいよ」
「うん。行きたい」
「おいでよ。一緒に行こう」
「すぐに行くわ。ちょっと待ってて」
メアリーは窓を閉めると窓枠から去って行った。
しばらく待つと、メアリーは裏木戸からひょっこりと顔を出し、彼のもとへ駆け寄った。
「ジョージ、誘ってくれてありがとう」
「体は大丈夫?」
「もちろんよ。喉を使いすぎて潰してしまっただけだもの。もう少しでお稽古にも復帰できそうなのよ」
ジョージはメアリーの元気な姿に安心した。
「それはよかった。展望台まで行こうか」
「うん」
二人は静かな丘の町をゆっくりと歩いた。頭上では木々の葉がさらさらとそよいでいた。
二人は裏道を抜け、ジョージが歩いてきたくねくね道を戻り、展望台へ向かう石段を上った。
彼が一段先を歩き、メアリーは後に続いた。彼が手を差し出すと、メアリーは微笑んでその手を取り、彼のエスコートに身を任せた。
海の音が遠くから二人を包み込んでいた。レモン色の日差しが二人の手を照らしていた。
階段脇の低い石垣の向こうで、子供たちが庭に水を撒いて遊んでいるのが見えた。ホースの先から飛び出した水の筋は真っ青な空の下で弧を描き、翡翠色の芝に降り注いだ。子供たちは喜んで笑い声を上げていた。そばを通る二人も童心に返ったような気持ちで子供たちを見つめた。
別の家からは新聞紙を広げる音が聞こえた。うっすらと、ラジオの音も流れていた。その家の主人らしい口髭の人は、窓際に椅子を置き、風に当たりながらコーヒーを飲んでいた。高い香りは二人のところにまで漂ってきた。口髭の人は二人を見ると、手を上げて、低い石垣ごしに挨拶をした。二人も笑顔で挨拶を返した。
遠い海の波は子守唄のように優しかった。鮮やかな空に、薄い雲が流れていった。
二人は石段を上りきり、丘からせり出した展望台の手すりに並んで立った。
「今日はよく晴れていて、本当に気持ちがいいわね。連れてきてくれてありがとう、ジョージ」
「お安いご用さ。メアリーの元気な姿が見られて、俺もほっとしたよ」
メアリーは何も言わずにうなずいた。
四角の屋根がついた展望台には、心地いい日陰が広がっていた。肩にも髪にも風が通り、穏やかだった。
「綺麗ね」
メアリーは展望台の手摺りを握り、背筋を伸ばして海を眺めた。ジョージは特に返事もせずに、彼女の隣に立っていた。
「ねぇ、ジョージ」
メアリーが海を見ながら声を掛けた。ひとすじの強い風が二人の間を吹き抜けた。メアリーの髪が翼のようにはためいた。
「私、先生のこと、断ったの」
ジョージは目の前が暗くなり、思わず大きな声を上げた。
「えっ」
言葉が詰まった。
「この前の発表会のときよ」
ジョージは大きな目でメアリーを見た。
「でも、どうして。あんなにお似合いだったのに。町のみんなだって、メアリーと先生はお似合いだって言ってたよ」
メアリーは首を横に振った。
「確かに、先生にはとてもお世話になったわ。優しい人だし、歌が上手で、私の憧れの人でもあるわ。でもね、違うの。そうではないの」
メアリーは手摺りから手を離しジョージを見た。
「先生は、私の歌声をとても愛してくれた。大切に思ってくれた。私の歌声を聴くと心が癒されるって、いつも褒めてくれた。先生がいてくれたから、私も自分の歌声を大切にしようと思えた。とても感謝してるわ」
メアリーの言葉は熱を帯びていった。
「でも、ジョージは、違う。私に歌がなくても、私のありのままを大切にしてくれた。喉を悪くして歌えなくなっても、こうして散歩に誘ってくれたり、お花をプレゼントしてくれたり、いつも励ましてくれた。とても嬉しかったわ」
ジョージは指の先から舌の先まで痺れていくのが分かった。メアリーの透き通った瞳が眩しかった。
メアリーはお腹の前で両手を組み、ジョージのほうへ前のめりになって、風に吹かれながら叫んだ。
「私はジョージが好き。あなたのことが、大好きなの」
ジョージは石のように固まってメアリーを見た。彼女は一途にジョージを見ていた。
「あ……」
かすれた声が、ジョージの乾いた口からもれた。
「あの……」
ジョージは思わぬ出来事に頭が混乱して、何を言ったらいいか分からなかった。もごもごと短い呟きを繰り返したあと、頭を思い切り振って気を取り直した。
「俺は……信じられないよ。メアリーに、そんな嬉しいこと言ってもらえるなんて」
ジョージは彼女の手を包みこむように握った。
「俺も好きだよ、メアリー。君のことが大好きだ!」
明るい叫び声は海の波まで届くようだった。波の崩れる音が、二人のところまではっきりと聞こえた。
メアリーの目は光輝き、一粒の涙とともに、太陽のような笑顔が弾けた。
「嬉しい。ありがとう」
二人は握り合った手を引き寄せ、ゆっくりと抱き合った。メアリーはジョージの胸に頬を寄せ、ジョージはメアリーの背中を固く抱いた。
レモン色の夏の日差しが、遠巻きに二人を見守っていた。
誰もいない展望台で、二人は見つめ合った。
ジョージはメアリーのひたいに、優しいキスをした。
青い夏空は、何も知らずにぴかぴかと輝いていた。
ジョージとメアリー すえのは @suetenata
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