第4話 水樹先生がかわいそう

 集中治療室から、私だけが追い出された。

 それからどうやって帰ってきたのか、よく覚えていない。気がつけば自宅近くの踏切で、電車が走り抜けるのを眺めていた。


「私は……どうして生きているんだろう」

 

 水樹は、どうなるんだろう。

 一緒に月を眺めたわずかな時間だけが、ふたりの思い出になるのかな?

 目を閉じた。

 カンカンと断続的な警報音が耳に突き刺さる。


「もういいかな」


 水樹は治療を拒んだ。

 香奈恵さんは「大丈夫だから」と抱きしめてくれたけど、絶望的なことばかり口にする。

 私を追い出した医師は「任せてください」と言ったくせに、どうせ「全力を尽くしましたが――」って言い出す。

 なにをやっても、誰と出会っても、私はひとりぼっちになる。そういう運命なのだ。

 ゆっくりと足を前に出した。


「疲れちゃった」


 それが私の最期の言葉になるのかな。そんなことを考えながら目を開ける。あとは黒と黄色のしまがついた遮断機を持ちあげて、中に入るだけ。それだけで、すべての悲しみから解放される。

 手をのばして遮断機をつかんだ。でも、足が動かない。


 ――大丈夫だよ、私は死なない。約束する。


 水樹との約束を破ることができない。

 誰よりも私に寄り添ってくれた人だから、裏切ることができない。


「うぅっ……っ」


 目の前を電車が通過した。つかんだ遮断機は、何事もなかったかのように私の手から離れていく。

 止まっていた人たちが動き出して、呆然と立ちすくむ私だけが取り残された。


「渡らないの?」


 後ろから声がしてハッとした。

 振り返ると、控えめなロングスカート姿の女性がいる。


「あら、あなた。水樹先生の数学研究室にいた子よね?」

「今川……桃佳。どうしてここに?」

「あなたの学校、最寄りの駅はこの先でしょう。水樹先生に会えないかなぁ、と思って散歩してたの。よく覚えていたわね、名前まで」

「忘れるわけないでしょう」


 水樹の教え子で、数学研究室に押しかけてきた人だ。勝手に許嫁だと言ったり、告白してフラれたり……水樹にキスした。

 燃えるような、赤い口紅の色をまだ覚えている。

 ギリッと奥歯をかみしめて、目尻に伝っていた涙を慌てて拭った。


「そんな怖い顔して睨まないでよ。水樹先生はお元気かしら?」

 

 ビクッと肩をすくめた。


「まあ、ご病気なの? お見舞いにいかなくちゃ」

「私はなにも言ってないッ。勝手に決めないでよ」

「目を見ればわかるわ」


 今川さんがじっと見てきた。その視線にたじろいでしまう。


「幼い頃から優等生を求められてきたの。不正解は許されない。親の顔色を気にしながら育って、成績優秀でもクラスメイトから嫌われないように顔色をうかがって生きてきたのよ。目は口ほどにものを言う、ってことわざがあるでしょう。目から気持ちや感情が伝わるの。水樹先生、かなり悪いのかしら?」

「知らない。帰るッ」

「……それで死のうとしたの?」


 胸がドキリとした。


「ぼぅっと突っ立って、遮断機に手をのばして。飛び込むのかなぁと思ったら、立ち止まって泣くでしょう。今から死にまーす、って必死にアピールしてたわよ」

「そんなことしてないッ」


 目をそらせばつけ込まれる気がして、睨み返した。すると今川さんはふふふ、と笑い出す。


「ロミオとジュリエット」

「は?」

「水樹先生は美しいジュリエット。あなたはバカなロミオだわ。ジュリエットが死んだと勘違いして自殺するの。ね、あなたにそっくりでしょう」


 ケタケタと笑ってから、冷たいまなざしで「バカみたい」と吐き捨てられた。


「あなたは、いつも自分のことばかりね。仮死状態から息を吹き返したジュリエットは、そのあと、どうなったのかしら?」


 ロミオの短剣で後追い自殺をする。

 一瞬、目の前が真っ白になった。


「なにも知らないくせに。勝手なこと……」

「心当たりがあるようね。目が動揺してる。水樹先生は、どうしてあなたのような人を選んだのかしら」

「えっ?」


 今川さんは、私と水樹の関係を知らないはず。まさか、どこかで盗聴をしていた?

 気味の悪さを感じたけど、そうじゃなかった。


「あなた、鈍感なの? 数学研究室で道連れにしてやろうと思ったのに、水樹先生、ショックを受けてたわ。あなたが「水樹は先生だ。あんたなんかと一緒にしないで」なんて言うから」

「水樹が?」

「そうよ。「僕はただの先生か」って、すごく残念そうな目をしていたわ。だから腹が立ってキスしたの」


 嫌な場面を思い出して、荒々しいものが込み上げてくる。だけど同時に頬が熱くなった。

 

「それ、夏前の話だよね。知らなかった」

「でもまあ、今のあなたを見ていると、水樹先生とはうまくいかなかったようね」

「そんなこと……ない」


 語尾が小さくなっていく。


「もっと自立したら? ひとりの男に依存しすぎよ。あなたの寂しさや自信のなさに巻き込まれて、水樹先生がかわいそう」


 今川さんの言葉が、たくさんのトゲになって刺さってくる。

 そして再びカンカンと断続的な警報音がなりはじめた。


「こっちは告白して玉砕したの。とても不愉快だから、あなただけが不幸だと思わないで。さようなら」


 駆けていく今川さんの背中を見送った。

 はじめて会ったときと同じ。今川さんは言いたいことを言って、去っていく。でも、その言葉が的確すぎて、激しい怒りはしゅんと身をひそめていた。


「……香奈恵さんに謝ろう」


 香奈恵さんは、水樹が苦しむ姿をずっと近くで見てきた。人工呼吸器をつけるリスクも、私なんかよりはるかに詳しい。だから悩んで、慎重な態度を示していたのに、「殺さないで」と。まるで香奈恵さんが水樹を死なせるみたいな言い方だった。


 私はなにも知らないで、見ないで、守られてきただけ。しかも、後ずさりをした。

 死にそうな水樹が怖くて、逃げようとした。

 最後の最後で水樹の手を離したのは……私だ。


 香奈恵さんに「ごめんなさい」とメールを送ったけど、返事は来なかった。

 


 




 

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