第35話

               ◇◇◇◇◇


 病室のドアが開き、森川先生が出てきた。


「ごめんね。待たせちゃったかな」

「いいえ、大丈夫です。それより太一は……」

「大丈夫。星野教授の発表、太一君は納得してくれたよ」

「そうですか」


 もしかしたら、太一は怒るのではないかと思っていた。一歩間違えれば、紗雪を危険に晒す可能性だってあったのだから。


「今から一時間後に、太一君の身体の検査をしようと思ってる。一応、動けるみたいだけど無理はさせたくないからね。夏月ちゃんに太一君の監視をお願いしたい」

「わ、わかりました」


 森川先生は夏月の返事に頷くと、その場を後にした。

 夏月は太一のいる病室のドアを開ける。ベッドの方に視線を向けると、太一がスマホを弄っていた。


「少し時間を置いたら、身体の検査だって。森川先生が言ってたよ」

「……なあ、夏月」

「何?」

「その……お願いがあるんだ」


 太一はスマホを脇に設えてあったテーブルに置くと、夏月に視線を向ける。太一の直ぐ傍まで近づいた夏月は、丸椅子に腰を下ろした。


「お願いって?」

「……俺の代わりに、ここに残ってくれないか」

「代わりって、どういう……まさか!」

「……これから学校に行こうと思ってる。許可を貰えなかったから、抜け出すつも――」

「絶対に駄目!」


 間髪入れずに夏月は太一の提案を否定した。

 太一は一週間も眠っていたのだ。目覚めたばかりの太一を、学校に行かせるわけにはいかない。それに森川先生に監視を頼まれたばかりなのだから。


「ごめん。でも、これだけは譲れないんだ」


 太一は左腕の点滴を自分で外すと、ベッドから足を投げ出した。夏月はそんな太一を静止するように、太一の両肩に手を置いた。


「……紗雪ちゃんが心配なの?」

「……ああ。紗雪と約束したんだ。俺が、俺が紗雪を守るって」


 太一の言葉を聞いた瞬間、夏月は太一を力強く抱きしめていた。


「な、夏月?」

「私……ずっと言ってなかったことがあるの」


 ぎゅっと抱きしめる力を強めた夏月は、太一の耳元に口を近づける。

 そして、今まで言えなかった自分の気持ちを吐露した。


「私、太一のことが好き。幼馴染とか家族とかじゃなくて、一人の男性として太一のことが好きなの」


 言った瞬間、一気に頬が熱くなるのを感じた。夏月は自分の表情を隠すように、太一の肩に顔を埋める。


「ずっと言えなかった。太一は私のことを恋愛対象として見ていないってわかってたから。でも、やっぱり気持ちを伝えないのは駄目なんだって思った。太一が死ぬかもしれないって思った時、私の中で後悔ばかり生まれた。どうして言わなかったんだろう。どうして素直にならなかったんだろうって。だから自分の気持ちを偽るのはやめようと思った。もう後悔なんてしたくないから」


 夏月は太一から身体を離すと、太一の目を見てはっきりと告げる。


「ずっと前から太一のことが好きでした。もし私の気持ちに応えてくれるなら、行かないでほしい。自分の身体を一番に考えてほしい」


 夏月は太一を見つめ続ける。

 本当は視線をそらしたかったのかもしれない。だけどもう逃げないと決めた。

 昔の自分とお別れする。もう、幼馴染の関係は終わり。一歩踏み出して、変わらないと駄目だってわかったから。


「……ありがとう。夏月の気持ち、本当に嬉しい」


 太一は笑顔を見せたけど、直ぐにその笑みは消えた。


「でも、ごめん。他に好きな人がいるんだ」


 太一の言葉を夏月は深く噛みしめた。

 わかっていた。太一ならそう答えることくらい。昔から太一はずっと変わらない。常に変わろうとし続ける姿勢は、今もずっと変わらなかった。


「……うん」


 夏月は頷くと、目尻に溜まっていた涙を拭いた。


「太一に伝えることができて、本当によかった。聞いてくれてありがとう」


 夏月は笑顔を見せる。もっと辛くて悲しい気持ちになるかと思っていた。

 でも、実際は違った。幼馴染という壁を越えて、真実の思いを知ってもらえた。その満足感で心は澄み切っている。


「お兄ちゃん!」


 病室のドアが勢いよく開き、太一の元へ駆け寄ってきたのは美帆だった。美帆は涙を浮かべながら、太一の胸に飛び込んだ。


「ごめん、美帆……夏月が連絡してくれたのか?」


 美帆の頭を撫でながら、太一は夏月に問う。


「うん。そうだよ。太一が森川先生と話している間にね」


 美帆は太一のことをずっと心配していた。夏月の代わりに病院に行くと聞かなかった。でも、美帆に行かせてほしいと頼んだのは夏月自身だった。


「ごめん、美帆。お兄ちゃん、もう行かないと」

「えっ? 行くってどこに」

「学校だよ。今から出れば、間に合うから」


 太一の発言に呆気にとられた美帆は、すぐさま首を横に振った。


「駄目だよ。お兄ちゃん。まだ目覚めたばかりなのに……夏姉も何か言って――」


 美帆の言葉を遮るように、夏月は人差し指を美帆の口に当てた。


「太一の好きにさせてあげよう」


 夏月の言葉に、美帆は暫く熟考する素振りを見せてから、ゆっくりと頷いた。

 美帆が持ってきた着替えを着用した太一は、夏月に告げる。


「ありがとう、夏月。後は頼んだ。それと、美帆は学校に行くように」


 そう告げて太一は病室を出て行った。

 暫く沈黙が続いた。先程までいた太一は、屋上から落ちる前と何も変わらなかった。


「本当、何も変わらないんだから」


 すると夏月のスマホが震え、メッセージが届いたことを知らせた。差出人は手塚だった。

 手塚から来た文章を目にした瞬間、ため込んでいたものが一気に溢れ出した。


「な、夏姉?」


 美帆が心配そうに夏月を見つめてくる。


「ごめんね、美帆ちゃん……」


 どうにか感情を制御しようと試みるも、涙は止まらなかった。

 ちゃんと言葉にして伝えることができた。だからこそ心のモヤモヤは無くなっているのに。それなのに、どうして涙が止まらないのか。夏月はその理由がわからなかった。

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