第7話 愛の人
ルミは、昔から惚れっぽい事に自覚はあった。
惚れっぽいというよりも、その人の良いところしか見えない楽観的な性格で、そこだけを最大限に見てしまうので、どんな人間でもすぐに愛せてしまうのであった。
その性格が時にトラブルを招く事も多々あるが本人は気にしていないし、毎日楽しく生きればいいというのがモットーであった。
中学を卒業し、成績もよくなかったルミは高校へは行かず、アルバイトを始める。
居酒屋、スーパー、コンビニ、時には倉庫の作業や荷物の仕分けなどの肉体労働までした。
接客や体力だけで働ける業種で食いつなぎ、18歳になった時に風俗の仕事に就いた。
これがルミにとって天職だったようで、身体を売るというよりも愛を売るというスタイルの接客が客に受け、瞬く間に指名No. 1の風俗嬢になった。
No. 1になってもその接客スタイルは変わらず、芸能人や政治家などもルミを目当てに足繁く店に通うようになった。
もうすぐ35歳になるルミは、風俗業界ではもう引退する嬢が多い中、まだまだ現役で辞める予定も全くなかった。特定の恋人もいなかった。と、言うより作らなかった。
仕事の妨げになるからだ。むしろ、客全員が恋人である、という考えでもある。
黒川との出会いは、ルミが風俗嬢になったばかりの頃であった。
新規でふらりとやってきた、ガラの悪い男。
一目見てチンピラだとわかるその男に、どの嬢も相手するのを嫌がった。
そんな中、ルミが進んで手を挙げ相手をした。
言葉遣いも乱暴で、あきらかにカタギではない黒川に、ルミは誠心誠意尽くした。
黒川もそんなルミの一生懸命な姿に心を動かされ、いつしか店に通うようになり、そのうち心を開くようになっていった。
だが、お互い恋人同士という感情では決してなく、都会で同じような境遇の戦友、といった感覚に近かった。
店に来ても、それぞれの近況やこれからの目標などを語って時間が過ぎていくこともあった。
数年して、黒川は桜田グループの社長秘書として働く事になったが、店にこそ顔を出さなくなっても、たまに電話をよこし、男を堕として欲しいと言われ、何度か従った事があった。
だがルミにとっては、それを悪い事だと思ってしたことは一度もなく、純粋にその男性達を愛してきた。
黒川が「もう十分だ」と言うまで、指定された相手と疑似恋愛を続ける。これが、ここ10年くらいの黒川との繋がりでもあった。
その相手がその後どうなったのか、ルミは知る由もない。なんとなくだが、知ってはいけないという気がし、考えてこなかった。
ただ、戦友の黒川の役に立てるのなら、その一心だった。
今回も連絡が入り、また指定の相手と恋愛をする。ただそれだけの事であった。
(わぁ、とっても可愛いおじいちゃん!)
ルミが、劇団の稽古場から出てきた鬼塚を見た第一印象はそれだった。
(ルミ、見た目は全然気にしないけど、こんな可愛いおじいちゃんだったらテンション上がっちゃう!)
軽い足取りでルミは鬼塚に近づいて行った。
「すみませーん、ここの劇団の方ですかぁ?」
急に若い女性に声をかけられ、鬼塚は驚いて足を止めた。
「あ、ああ、そうだが…君は?」
「アタシぃー、この劇団に興味があってぇ、ちょっとお話を聞きたいなぁ、なんて思ってるんですぅ」
鬼塚は女を上から下まで眺めた。
顔はあどけなくて可愛らしいが、茶色に染めた髪、露出の多い服、少し派手目の化粧は鬼塚のあまり好きではない部類であった。
「ううむ…ありがたいのだが…今は団員は募集はしてないのだよ。稽古の見学ならいつでも歓迎するがね」
「そうなんですかぁー、ざーんねんっ。あっ、でもアタシ、監督さんとお友達になりたいなぁー」
くねくねと身体を揺らし、人差し指で鬼塚の腕をつついてくる。
(なんと頭の悪そうな…)
鬼塚は、嫌悪感と不快感を覚えたが、態度には出さず
「ありがたいね。まぁ、でもよかったら公演を観においで」と、公演スケジュールのパンフレットをカバンから取り出そうとした時、急に視界がぐにゃり、と歪んだ。
その瞬間、鬼塚は地面に倒れ込んだ———
「ここは…?」
朦朧とした意識の中で、白い天井が見える。
「よかったぁー、気がついた!!」
甲高い女の声。
ぼんやりと鬼塚の顔を覗き込む女のシルエットが、しだいにハッキリしてくる。
「誰だ?アンタは…」
「誰って…まだ自己紹介もしないうちに倒れちゃうんだからぁ!ビックリしたよぉ!」
女は泣いている。女、というより少女に見えた。
幼い少女のように顔をくしゃくしゃにし、目は真っ赤で鼻水さえ垂らしている。
(そうか…そういえば…あの時…)
朧げだった意識が蘇ってきた。
稽古場の外で派手な女に声をかけられ…パンフレットを出そうとしたらそのまま…
だが、倒れる前に見た女の印象と随分と違うな…。
髪の毛は引っ詰めて、化粧もほとんどしていない。服装もジーンズにトレーナーというシンプルな出立ちだ。
女は、ずっと鬼塚の手を握っている。
「3日も寝てたんだよ、カズさん」
「カズさん…」
確かに俺は和男だが…こんな呼び方をされたのは何十年ぶりか…
看護婦が部屋に入ってきて、鬼塚が意識を取り戻した事にビックリしていた。
すぐに医者を呼びに行ったが、戻ってきてからかうように言った。
「この子、3日間、ずっと看病しにきてたのよ」
「もうー、看護婦さんったら、言わなくていいですよぉー!」
2人のやり取りをぼんやりと眺めながら鬼塚は、ルミの手をそっと握り返した。
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