第3章 自覚

それからは、何事もない日々が続いた。暑い夏がやってきて、残暑続く秋がやってきて、寒い冬がやってくる。これまでと何ら、変わりない。


変わったといえば、新人たちが段々と営業の仕事が板についてきたこと。ピチピチのひよっこだった新米たちは、秋にはすっかり社会人の顔をするようになった。


「あけましておめでとうございます。」

「おめでとう。」


年明けの仕事はじめの日は、どこもかしこも新年の挨拶が飛び交う。


「宮本、今日の夜空いてるか?」

「空いてるけど。」


朝、安田と顔を合わせるなり夜の予定を聞かれた。今日は、取引先に新年の挨拶に回るくらいで、特に用事という用事は入っていない。


「じゃあ、飲みにいかね?」

「年明け早々か?」


年末年始は実家に帰り、お節にお雑煮に酒だって浴びるほど飲んだばかりだ。かくいう安田だって、同じだろうと思う。


「……大事な話があるんだ。」

「大事な話?」

「あぁ。」


いつになく神妙な面持ちの安田に、これはただ事じゃないと感じた。


「分かった。19時にいつものところでいいか?」

「悪いな。」

「いや。じゃあ、また後で。」

「おう。」


安田からの大事な話か……。きっと安田が自分で言うくらいだから、検討こそはつかないものの、非常に大事な話なんだろう。


「あ、もしもし。」


俺は焼鳥屋の同級生に電話をかけて、個室を用意してくれるよう頼んだ。


始業時刻になると、俺は営業周りの現在のパートナーである1年後輩の作田という男性社員に声をかけた。今日の挨拶周りの打ち合わせである。


以前まで俺のパートナーは谷口さんだったが、今では谷口さんのパートナーは大島さんだ。二人は息も合っていて、営業部の中でも高評価だ。


「じゃあ、順に回っていくか。」

「そうですね。」


俺たちの営業部では、パートナーごとに担当地域が決まっている。そのため、取引先ごとの移動時間はそんなに掛からない。


「じゃあ、俺は挨拶用カタログを用意しておくから、作田は新商品のサンプルを貰ってきてくれ。」

「はい、分かりました。」


一旦作田と分かれると、俺は資料室に向かった。新年挨拶用のカタログは、通常のカタログと違ってオススメ商品だけ載っている薄っぺらのカタログだ。挨拶に向かうだけでも、きっちりコスモ商事の足跡を残してこよう、という戦略である。


資料室に向かう途中、前から大荷物を抱えた女の子がやってきた。


「大島さん?」


俺はその子が大島さんだと気づいて、声をかける。


「え、あ、おっと。宮本係長。」

「なに、その大荷物。」


大島さんは、ダンボールを二つ前に抱えた挙句、両手に紙袋を二つずつ持っている。


「あ。新商品のサンプルです。みなさん、挨拶周りに持って行かれるかな、と思って大目に持ってきたんです。」


へへへ、と笑った顔は無邪気そのものだ。その大荷物を抱えて、制作部から来たってことかよ。


「ちょっとここで待っててもらえる?」

「え?」

「頼みたいことがあるから。」

「は、はぁ。」


大島さんは困惑した声を出しながらも、俺の指示に従った。俺は急いで資料室に向かうと、カタログを準備して資料室に台車が無いか見渡す。


チッ。こんな時に限って、台車がない。しょうがないなぁ。


「大島さん。」


急いで大島さんのところに戻ると、彼女は廊下の端に荷物を床に置いて俺を待っていた。


「頼みたいことってなんですか?」

「あ、あぁ。これを持って欲しいんだ。」


俺は大島さんに、カタログを差し出した。


「カタログ、ですか?」


大島さんは、訳が分からないというような顔をしている。


「うん。こっちは俺が持つから。」


俺はそう言って、ダンボール二つと紙袋四つをひょいっと抱えた。


「み、宮本係長!そんな、私、大丈夫ですから。」


その途端に、大島さんは慌てだした。


「前、見えてなかっただろ。ぶちまけたら仕事が増えるだけだ。だから、俺の頼み。カタログ持ってくれる?」

「……はい。」


大島さんは諦めたように、俺が指示したとおりにカタログを持ってくれた。


「大体なんで、台車で運んでこなかったんだ?」


それは素朴な疑問だった。制作部には、台車が何台かあるはずだ。


「全部出払ってたみたいで。重くなかったから、余裕だと思ってそのまま持ってきちゃいました。でも、ご迷惑おかけしてすみません。」

「気にするな。みんなの分も、と思って持ってきたのは、大島さんらしいなって思った。」

「でも良かれと思ったことが結果的に宮本係長にご迷惑を……。」

「別に迷惑じゃないから。そんなに気になるなら、缶コーヒーでも奢ってくれればいいよ。」


俺はそんな冗談を言って笑った。これくらいで迷惑だと思われちゃ、俺だって困る。


「ありがとうございます。」

「どういたしまして。」


営業部に戻ると、作田も制作部から戻ってきていて早速挨拶周りに出かけた。


「今日はだいぶ冷えてるな。」

「1月ですからね。」


コートを羽織って、マフラーを巻いても、頬に寒さを感じる。


「わざわざ寒い中、ありがとうございます。」


そんな声をかけてくれる取引先もあったほど、今日は冷えている。順調に挨拶周りも終わり、帰社しているときだった。


「……宮本係長って、大島さんと仲いいんですか?」

「ん?仲いいっていうか……。部下だし。」

「……まぁ、そうですよね。」

「大島さんがどうかしたのか?」


いつもはきはきとした作田だが歯切れが悪そうに、大島さんの話を持ち出した。


「……いや、いつも一生懸命な姿を見てると、俺も頑張らなきゃなって思わされるといいますか……。」


作田はそれ以上、口を開かなかった。俺はポンポンと、作田の肩を叩いた。


「悪いことじゃ、ないと思うが。公私混同はするなよ。」

「……っ。はい。」


俺は、社内恋愛は好きじゃない。だけど、人の気持ちってもんは、どうしようもないものだっていうのも、ちゃんと理解している。


だったら上司として、働きやすい環境を作るのに、努めるまでだ。もし、二人の関係が気まずくなりそうだったら、俺がカバーしてやるよという意味を込めて、作田の肩をもう一度ポンポンと叩いた。


そうか。作田は大島さんが好きなのか。あれ?なんでだろう。なにかがしっくりこない。


「お疲れ。」

「お疲れ様。悪いな、個室だなんて。」

「安田が大事な話があるっていったからだろ。」


19時になり、俺は安田と一緒にいつもの焼鳥屋の個室に居た。すでに、お通しが準備されていて、温かいお絞りも席に着く時に店員さんに渡された。


「まぁ、そりゃそうだけど。宮本ってほんと、いいやつだよな。」

「なんだよ。気持ち悪いな。」


お絞りで手を拭きながら、安田に毒づく。


「とりあえず、乾杯するか。」

「そうだな。」


生ビールを二つ頼み、焼き鳥もいつものメニューを頼む。


「乾杯。」

「乾杯。」


グラスをカチンと鳴らし、冷えた生ビールを喉へと運ぶ。寒い季節だけど、疲れた体には最高だ。


「っかー。やっぱ生だな。」


安田もうまそうにビールを飲む。いきなり本題に入るのもどうかと思い、何か話題を探す。


「そういえばさ。大島さんってやっぱモテるんだな。」

「ん?なんで?」

「いや。今日ある人から、大島さんのことが好きだってカミングアウトされてさ。」


カミングアウトされなくても、大島さんがモテているのは、傍目に見てればよく知っていた。というか、営業部の誰もが、知っているだろう。


「そっか。じゃあ、宮本も気が気じゃないな。」

「は?」

「宮本、大島さんのこと好きなんだろ?」


安田に言われて、俺は吃驚した。


「なんで俺が大島さんのことを?」

「え?まさかお前、無自覚なの?今日だって荷物、持ってやってたじゃん。」


吃驚した俺に、安田は吃驚していた。


「大島さんのことを好きなのは、安田だろ?大島さんが入社したばかりの頃、騒いでただろ。」

「あれは、別に好きとかそういうのじゃない。可愛い子を見て騒いでただけ。」

「でも、大島さん、彼氏居るだろ。」

「10月くらいに別れたらしいよ。」

「別れた?」


あの彼氏と?あんなに仲が良さそうだったのに?


「そもそもなんで安田がそんなこと知ってんだよ。」

「本人に聞いた。俺、大島ちゃんと結構仲いいんだよ。」


安田の口から仲がいいということを聞かされて、作田からカミングアウトされた時のしっくりこない感じがまた、胸にざわめいた。


「……。」

「ん?どうした?」


いきなり無口になった俺に、安田が不思議そうな顔を向ける。


「俺、大島さんのこと好きなのか?」

「そうなんじゃねぇの?俺はいつ、二人が付き合い始めるのかなって思いながら見てた。」


でも、大島さんは多分、俺のことをそういう目で見ていない。


「……俺、そんなにバレやすいのか?」

「んー……。多分分かってるのは、俺と谷口ちゃんくらいじゃね?」

「谷口さん?」

「あの子、洞察力すごいから。二児の母親だしね。」


ははっと笑った安田の言った言葉は、ちょっと洒落にならない。


「はぁー。まじかよ……。」


だけど、俺が大島さんを好きだって考えたら、しっくりこなかった感じがストンと落ち着いた。まるで、パズルのピースがはまったかのように。


俺はうなだれて、テーブルに突っ伏した。


「しかし。宮本が自分の気持ちに気づいてなかったっていうのは、面白いな。」

「……うるせぇ。」


今まで、女には不自由したことはない。思い返してみれば、自分から好きになったっていう女はいないかもしれない。


「……そういう安田の大事な話ってなんなんだよ。」


俺はテーブルに突っ伏したまま、安田を見上げた。


「あぁ。俺、会社辞めようと思って。」


前々から、安田に引き抜きの話が来ているのは、なんとなく知っていた。だけど、コイツはそれに応じるようなやつじゃない。安田の仕事の才能は、どこに行っても開花するだろう。だからもし、引き抜きの方じゃないとしたら。


「……独立、か?」


一度だけ、前に安田の口から聞いたことがある。やってみたい事業がある、と。でもそのためには、社会のノウハウを自分で身につけたいのだ、と。


「あぁ。」


安田はしっかりと、頷いた。


「まだ何をやるとは言えないけど……。とりあえず、2月一杯で会社を辞めようと思う。」

「2月一杯?それはまた、えらい急だな。」

「あぁ。部長にはもう結構前から話してあるから、1月の終わりくらいには、みんなに伝達されるだろうから、その前に宮本に話しておきたくて。」

「そうか。大変だろうけど頑張れよ。お前ならやれる。」


俺は安田に向かって、グラスを突き出した。


「サンキュ。」


俺たちは熱い乾杯を交わした。

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