第7話 紡がれた約束の言葉

     *****




 その翅は幾重にも重なる青のきらめきだった。


 遠い昔、青い花の中に生まれた。

 愛し愛される喜びとともに生きたのに、

 ある日、思いもしなかった力で引き裂かれ、奪われた。


 傷ついた青き翅は、それでも大切な者を追って残された力で飛び立つ。

 ようやくたどり着いた地で、命の最後の輝きは、

 赤が結ぶ「約束」へと託された。

 はるかなる時間の旅の、物語の最初の一ページが、そっとめくられたのだ。


 長い長い間、世界には変わらず光が投げかけられてきた。

 それは遠い場所からの目印、行く道の指標。


 暗闇に閉ざされることも、砂嵐の中で見失うことも、

 迷う心で目隠しされることもあったけれど、

 求める人がもう一度、戻るべき場所を目指すために、光はあり続けた。

 迷えるものを導かんと、傷つくものを救わんと、光は呼びかけ続けた。


 けれど多くの者がそれに気づけずにいた。

 思わぬ苦しみや悲しみが、

 光に向かわんとする彼らの勇気を、見えない手で絡め取ったのだ。


 それでも光は想いが伝わる日を願い続ける。

 託された言葉をそっと囁き続ける。


 赤が赤を引き寄せて時が満ち、今また青を取り戻す。

 遠い日の「約束」が果たされる時、

 世界はまた輝きに包まれ、喜びに満たされるだろう。


 青き翅の震えが伝えるものは、

 愛しいあの人にどうか届けと込められた言葉。


 いびつになっても絶望することなく、

 再び結びつく二つの心のために求め続ける。


 終わりは始まりで、始まりは終わり。

 また舞い戻るその日まで。


 託された想いをその身に請け負ったものは、

 有限の中を無限の夢を追って飛んでいくもの。


 この世界に花々が揺れる限り、

 この空にその翅の輝きがある限り、

 光は投げかけられ、我らの行くべき道を照らすだろう。


 姿を変えても、時を超えても、たとえ途中で迷いさまよっても、

 その想いが必ず、大切な人の元へと辿り着く。




     *****




 それは、ロディーヌがまだ読んだことのないものだった。あまりに美しく悲しく、心洗われる思いの物語。大切な人を失うという、胸を抉られるような痛みにロディーヌも長く苦しんだ。それだけに、物語がいう「想いに込められた力」に涙があふれそうになる。

 はるか遠い神話の時代に紡がれた想い、その一つ一つがロディーヌの胸の奥深くに染み入る。


 真実を探す旅は決して平坦な道ではないけれど、希望の光はいつも掲げ続けられているのだ。ロディーヌは古代語で綴られるその響きに、自分を守ってくれる大きな温もりを見つけ、勇気を分け与えられたような気がした。

 そしてまた、「赤」という言葉に強く惹きつけられるのを感じた。赤、それは青に囲まれて育った彼女の中にはなかった色だ。この先自分はその色に出合うことになるのかもしれない。それはきっと未来に結びついていくのだろう。そんな風に思えてならない。

 思いがけず心の中に投げ入れられた言葉だったけれど、ロディーヌはそこに、今まさに動き出す何かを感じずにはいられなかったのだ。


 ほどなくして店主が現れ、美しく仕上がったハンカチを広げてみせた。ロディーヌは小さな歓声を上げ破顔した。ロディーヌの「L」の回りに大好きな花が添えられていたのだ。嬉しい偶然に微笑みも深くなる。遠くからきてくれたお礼ですよ、店主はそう言って笑ったけれど、お礼を言いたいのは自分の方だとロディーヌは思った。

 ああ、何という素敵な日だろう。お姉ちゃんを助けてくれる人が必ずくるのだと娘は笑い、ロディーヌの作りだした青を美しいと言ってくれた。そして見せられた神話の中に進むべき道を感じ、名にはこれまでのすべてを知っている愛すべき花が添えられた。今日という日を忘れることはないだろう、ロディーヌは心からそう思うのだった。

 すぐに使いたいからと包装をことわったロディーヌに、それならば、と店主は色とりどりのリボンを差し出した。ロディーヌは迷うことなく赤を選んだ。いつもなら青を選んだだろう。けれど今日は赤なのだと感じる。この色を未来に結びつけたい、そう思ったのだ。ポケットにハンカチを忍ばせ、再度お礼を言って店を出たロディーヌは、船着場に向かって歩き出した。


 異国の帆船が停泊する大運河はここ数日で見慣れた光景だ。世界のまん中なのだと改めて感じさせられる壮大さ。初めて見た日には、自分はずいぶんと遠くへ来たのだという感慨が大きかったけれど、今はこの船たちと同じように、旅立つ先の時間を、世界を思うようになった。ロディーヌもまた出発しなければいけない。

 まばゆい明りに照らし出された自由自治区の空は夜が更けても漆黒に沈むことはない。未だ煙るような紫色の空に、白銀の月が煌煌と輝いていた。


 女神さま……。

 ロディーヌは白く細い指を胸の前で組んだ。投げかけられる月光のきらめきに美しい存在を思う。その途端、青が大きく揺らめき、指し示されるはるか遠い西の地。ロディーヌはその揺らめきの中に、旅立つまでの長い時間を振り返らずにはいられなかった。


 やがて降り注ぐ月光の中、ロディーヌは面をあげる。かわいい少女の応援、大好きなエピステッラの新しい物語、新しく手に入れたハンカチ。帆船の夢から始まったその一日はつまずきそうだった自分にまた一つかけがえのない力を与えてくれたように思う。

 ロディーヌはゆっくりと世界大河を後にした。宿のある路地前でもう一度振り返り、運河の上に輝く月を見る。

 胸にかけたロケットを取り出してぎゅうっと握り込めば、大好きな天空草の花の甘い香りと、清らかな水に満たされていくような気がした。 


 翌朝、ロディーヌは大河にかかる橋を渡った。広い自由自治区を抜けるにはまだまだかかる。けれど大街道の交差点を超えたら、西へ行く旅は本格的に始まるのだ。それはきっと、泉の王国から中心を目指してきたときは全く違うものになるだろう。

 想像を超える世界へと進んでいくのだ。くじけそうになるかもしれない。自分の弱さを苦々しく思うかもしれない。ロディーヌは大きく息を吸い込んだ。大運河から離れ、また街道には多くの人と店と活気が戻ってきていた。もう陽光の下にはためく帆は見えない。けれど、あの時の夢を力にするのだとロディーヌは思った。あれは叶わぬものではない。自分を待っている未来なのだと信じたい。

 自治区の賑わいも今となっては、逆にロディーヌの心に重くのしかかりかねない。この先の道に自分が一人だと思うと、この賑わいから離れたくないような心持ちになるからだ。きらびやかな商品、宿泊先の賑わい、威勢の良い人たち……暮らす人がいるということは、それだけ大きな力を持っているのだとロディーヌは改めて気づかされた。生活とは命の営みを感じることなのだ。


「そうよ……お兄さまたちはもうずっと寂しい思いをしているかもしれない。早く行ってあげなくては! ぐずぐずなんてしてられないわ!」


 見ず知らずの人たち、すれ違っていく人たち、もう二度と会わないかもしれない人たち、けれどその一瞬の交わりの中に優しく温かいものがある。人は誰もそれを欲しているのだと、この旅を通してロディーヌは知った。与えられ癒され、小さな喜びの大きさを教えられたのだ。

 家族から引き離され、温もりの存在を忘れかけているかもしれない兄たちを思えば、自分の境遇など恵まれたものだと感じる。それを自分も返していきたいと望めば、なけなしの勇気も幾分かは増えていくようだった。

 あの苦しみの時間を経てロディーヌは学んだ。弱い自分を認めればいい。その自分ができることは何かを考ればいい。嘆くよりももっとできることがある。それをするまでなのだ。悔いのないよう向かっていきたい。そんな決意を胸に、ロディーヌの自由自治区での三週間ほどは過ぎていった。

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