(終)New Worldに至る君に
2020年クリスマスの冷え冷えとした空気を閉じ込めたままの部屋は閑散としていた。床に置きっぱなしにしてあった飲みかけの飲料水のペットボトル、冷蔵庫の中に入っていた消費期限の切れた異臭を放つ惣菜の数々、そして兄貴の私物。みな、ゴミ袋に無造作に詰め込んでいく。兄貴の私物だけで袋が四袋分になった。
兄貴の死を引き止めたのは九里香だったが、兄貴の死を招く遠因を作り出したのも九里香だった……死の運命は変えられない。兄貴は僅かな時間を生きながらえたことになった。
暴行事件発生前、電車内にいた兄貴の隣に座っていた乗客の証言があった。
「吉秋見てろよ。俺はやるからな……やるからな……よし……」
小声で何度も何度も反復して呟いたのち、兄貴は座席から立ち上がって女の身体にまとわりつく
暴行事件の後、駅の監視カメラに映っていた兄貴はゆらりゆらりと身体を揺らしてホームから線路へ落下するが、その最中、表情がどこか残念そうでもあり、そしてどこか吹っ切れたようにも感じた。
結果はどうであれ、兄貴は自分の理想とする生き様に向かって突き進んだことだけは確かだった──。
* * *
俺がニューワールドに再び訪れたのは年明けの2021年1月1日。クリスマスイブの夜に九里香と別れてから8日後のことだった。
午前9時の仙台駅東口には人が溢れかえっていた。初売りの列に並ぶため、もしくは初詣に向かうためなのかは分からない。クリスマスの時期とは違った表情を見せていた。
複合商業ビル「delta」に入り、2階のゲームセンター「ニューワールド」を歩いてエクステⅦの筐体が置かれているエリアまで向かうと既に先客が座席に座っていた。
九里香とハオさんだ。
二人は俺に気付くとすぐさま駆け寄ってくれた。ハオさんは俺の二の腕を掴んで揺さぶるとボロボロと涙を流した。心なしかやつれているように見えた。
「死のうとしてたこと、九里香さんに聞いたよ。僕は君の友達だ。なんで僕を信頼してくれないんだ……打ち明けてくれたなら全力を尽くしていたのに……うぅ……生きていてくれて本当に、本当に良かった……」
「ごめん、ハオさん……もしかしてずっと俺がここに来るのを待ってくれてたんですか? クリスマスの日からずっと……」
「ねえ、吉秋くん……。その頬に貼ってある湿布はどうしたの?」
九里香に指摘されて湿布を勢いよく剥がしてやると目の前の二人は「うわっ……」と小さく声を上げた。
「ははっ、凄いだろ? 親父にぶん殴られてさ、これでもだいぶ腫れが治って色も薄くなってきた方なんだぜ」
俺はクリスマスイブの夜から今日にかけて何をしていたのか二人に語った。首吊りの紐が用意されているアパートの一室には帰らず、仙台駅から電車に揺られ、多賀城にある実家に帰省していた。親にもう一度人生をやり直すチャンスが欲しいとお願いするためだ。
玄関口で土下座する俺に不安がる両親に訊ねられて、今年も留年が確定していること、今日までどのように過ごしていたかを告げると、親父の怒りを買ってしまってぶん殴られたという次第だ。まあ……学業ほったらかしにして数ヶ月もゲームセンターに入り浸っていた奴に追加で学費を払おうなんて思わないよな。
そしてその夜、39.8℃の高熱を出して実家で寝込んでしまった。次の日に病院に行って検査したところ新型コロナ陽性……共働きしている両親にまでうつってしまって一家揃って病床に伏せる羽目になった。この出来事も相まって印象最悪、家族からの援助は一切受けられなくなった。
「今と同じ生活は出来なくなるかもな……兄貴と同じように就活して働かないと」
九里香はその言葉を聞いて今日一番の悲しい表情になった。心配してるよな、兄貴と同じ結末を迎えるかもしれないこと……でも、いいんだ。
「そんな顔すんなよ九里香。俺は決めたんだ。不恰好でも、兄貴は俺のために、俺は兄貴のために……最後の最後まで燃え尽きて落ちる寸前の線香花火みたいに煌めいて生きてみせるんだってな」
俺を超えていけ、と兄貴の最後の言葉が頭の中に過った。
俺はもう大丈夫だと分かってもらうために
画面に表示されたのは店内ランキング一位の「YOSHIYA」ではなく、作られたばかりの戦歴の無い「YOSHIAKI」の真っさらなデータが表示されたからだ。
「クリスマスイブの日、どっかで落としたみたいなんだ。さっき受付に行って落とし物がないか確認してもらったんだけど無かった。だけど
もう、必要ないさ──」
隣の筐体の座席に九里香が座り、お金を投入した。
「──なんだか今の吉秋君、今まで見た中で一番優しい顔してるね」
その声にふと横目で見る。俺も、今まで見た中で一番優しい顔を九里香はしていた。
「私ね、吉秋君が絶対この場に戻ってくるって信じてハオさんにエクステの戦い方教えてもらってたんだよ。今度こそ勝ってみせようと思ってね。でもハオさん教えている間ずっとメソメソしてて何言ってるかよくわからない時があって……」
「それを言うなら九里香さんだってゲーム画面見ながらボロボロ涙流してたじゃないですか。あれはもう完全に諦めてた顔です」
「ははっ……二人して泣きながら格ゲーしてたのかよ」
俺の笑顔が出たことでやっとハオさんは安堵感を得たようだった。
「吉秋君、いざとなったら今度こそ僕を頼ってほしい。今回は何も出来なかったけれど、どんなに君が強者に行手を阻まれようとも、僕が道を切り開く手伝いをするんだ」
ハオさんがいてくれたおかげで俺は既に救われていますよ、と言いかけたけれど、なんだかそんな事をいうのが照れ臭くて「ありがとうございます。期待してますよ」と返事した。
俺と九里香の対戦、キャラ選択は即座に決められた。俺は得意キャラの燃え盛る豪傑イフリート、そして九里香はハオさんに教えてもらった初心者向けの操作しやすい学生服を着たバトルガールのライチを選択した。
俺自身泣かないって決めてたのに、自然と一雫、涙が流れ落ちていった。
「なあ……九里香。俺に過去の声を届けに来てくれてありがとな。俺は兄貴を超えるために生きていく。何度負けたって、何度挫けたって、俺の戦いはもう誰にも止められない。これが俺の『ニューワールド』だ」
九里香は俺の言葉を聞くとふふんと満足そうに鼻を鳴らした。硝子玉のように透き通る青い瞳に薄らと涙を浮かべながら──。
「そう! いつだって、どこにいたって、ニューワールドなんだから!」
* * *
その後、「YOSHIYA」のICカードが見つかることはなかった。形見に思っていただけに少し寂しくなるが、役目を終えたと思って兄貴があの世へ持ち去ってくれた──そう思うようにしている。
数ヶ月後、スコアが稼げなくなったために「YOSHIYA」は店内ランキング一位の座から遂に陥落、ニューワールドを出入りしていたエクステファンの間で話題となった。
SNSには「一度対戦してみたかった」など引退説がささやかれて残念がるコメントや「次は俺が店内ランキング一位になる」といった戦意を高揚させたコメントが無数に見られた。
その中で「俺はYOSHIYAを見かけたことがある。金木犀の香りがする天使の格好をした女と一緒にいるところを見た」というコメントがいくつか目に入ることがあった。
月日が経つにつれてかつてニューワールドで名を馳せたYOSHIYAの話題が無くなっていった。兄貴の名を勝者として名を残すという人生をかけた俺の想いも、きっと──皆の記憶から忘れ去られていくんだろうな──。
* * *
第二幕
New Worldの天使
終
* * *
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