(3)葉美都重工仙台支部・テーマソング



 去年の秋に九里香を車で轢いてしまってから一週間が経ったあたりだったと思う。会社の先輩や同僚から顔色が悪いと何日か心配され、事情を話した。仕事の疲れから不可外な出来事があった。白昼夢だったのかもしれないが車に衝突する寸前の女性の恐怖に怯える顔が頭から離れられないのだと……。


「天使の格好をした女? なら、大丈夫じゃないかな。そいつは九里香だよ」


「えっ……誰ですかそれ?」


「お前、九里香に会ったことないの? この街に現れる人助けをする天使のことだよ」


 僕は困惑して思わず先輩に「は……?」と不躾な物言いをしてしまった。頭の中に『世にも奇妙な物語』のテーマソングが流れ始めた。


「俺さー、前に飲み会で酔っ払った時にマンションの鍵無くしたんだけど、九里香に一緒に探してもらったんだよね。見つかって良かったわ。ハハハ!」


「あの、岩崎先輩も疲れてるんじゃないですか……? そんなおとぎ話みたいな存在がいていいはずがないですよ!」


「いるんだなあ、これが。俺も初めて話聞いた時は半信半疑だったけどさ。杏菜ちゃんも会ったって言ってたぞ」


「はい、私も会いましたよ」


 岩崎先輩の向かい側のデスクに座る2年後輩の杏菜ちゃんがこちらを見て可愛げにニコリと笑った。


「私、彼氏と喧嘩しちゃった時にお互い仲直りするように説得されたんですよ。このまま別れたらきっと後悔してこの先引きずるって。仲直りして良かったです。えへへ」


「へえー(彼氏いたんだ……)」


 これらの話を皮切りにオフィス内で九里香の話題が広がっていった。九里香に会った又は存在を知っている人が八割、全く知らなかった人が二割となった。九里香のことを知らないのは僕だけではないようだった。


 杏菜ちゃんが「九里香とまた会いたいなあ」と言うので胸がドキッとした。再び例の交通事故のことを思い出して背筋が冷えた。


「どした、なー君。やっと落ち着いてきたと思ったのに、まーた顔色悪くなってるぞ。ハハハ、気にすんなよ。あいつはそんな事で死ぬような奴じゃないさ。元気出せって、九里香の死体はどこにも無かったんだろ?」


 岩崎先輩は杞憂きゆうだと言って、根拠の無い物言いで僕を励まし続けた。ここでも僕は腑に落ちなかったが、どうやら岩崎先輩の言う通り本当に杞憂だったらしい。


 例の交通事故以降も九里香に遭遇、又は目撃した情報が耳に入ることが度々あった。僕は天使を轢き殺してなんかいなかったのだとホッとして胸を撫で下ろした。



 * * *



 あの日から三ヶ月が経ち、こうして真夜中のパーキングエリアで九里香と初めて会話をしている。


 加熱式タバコをくわえて肺いっぱいに煙を吸い込むと、隣に座る九里香の顔に向けて吐き出した。


 九里香は顔に煙がかかろうとも煙たそうな素振りを見せなかった。それどころかタバコの煙は九里香の身体をすり抜けていき、後方で霧散むさんしていった。


「煙、私にかけないでよ」


「ごめん、試したかったんだ」


 杏菜さんが言っていた、九里香はのだと。きっと車との衝突をこのように回避したに違いない。


「ハァ……人騒がせな奴だな。君は」


「?」


 九里香は首を傾げた。僕が例の交通事故のことを話すと「あの時の」と言って顔を綻ばせた。仙台市内の警察署に顔見知りがいるらしく、そのことでこっぴどく叱られたそうだ。


「九里香はこの街の困ってる人達を救う手助けしているみたいだね。どうして僕の前に現れたのか知らないが、僕は思い悩んでることなんて何一つ無いよ」


「そうみたいね。私、感じ取れるの。人の負の心を。あなたは心の揺らぎがほとんどない」


「では、何故ここに?」


「ふふっ、ちょっと一休みしていたんだよ。街の至る所を行ったり来たりしてるから疲れちゃって」


 九里香は人助けの天使の活動をする中で、奇妙な人物に四六時中追われていることを語った。その人物に追いつかれると周囲の人々に不都合なことが起こるそうだ。


「これだからストーカーは嫌なの」


 と、九里香はため息をついた。


「……君と出会ったのも偶然と、また偶然か」


 僕はゆっくりとベンチから立ち上がり、九里香に僕の趣味の話を語ってあげた。


「僕は真夜中の寝静まる仙台市街地に思い馳せながら、ネオ・シティポップを聴いて自己陶酔じことうすいしたいんだ。そう──自分だけの世界に浸っていたい──。悪いが次のサービスエリアに行かせてもらうよ」


 喫煙所から立ち去ろうとすると、背後から九里香に呼び止められた。


「ねえ、私も一緒に行きたい」


「ええっ!」


 九里香の発言を聞いて、足がもつれてズッコケそうになった。


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