(2)芳賀邸の天使のお話



 母は今から2年前(2019年の秋)に、岩手県南部の燿里崎ようりざきという場所で起こった以来心的ショックにより自室にこもっていました。


 今は心身ともに快方に向かいつつあって音楽関係の仕事に復帰しています。この三日間で母の姿を見たのは朝起床してシャワーを浴びに階下に下りてきた時と私が朝昼晩のご飯を部屋に届けに行った時だけだと思います。


 母は家事のほとんどを家政婦の古内さんに任せていました。私が小学生の頃に頑張り屋の母のサポートを出来るようにと古内さんから料理や部屋の掃除等の家事を教わったつもりでした。


 けれども母曰く「古内さんが掃除してくれた方がずっと綺麗、眞喜亜まきあは家事が隅から隅まで行き届いていないし作るご飯は全く美味しくない」とのこと……社会人になった今でも家事で母に褒められたことは一度も無いと思います。


 大学総長を勤めていた亡き祖父から受け継いだ木造二階建て一軒家は母と二人で住むにはあまりにも広すぎます。昭和初期に建てられた赤い洋瓦のスパニッシュ風の洋館で、特徴的な外観をしているために、祖父のかつての友人や近所の人達から親しみを込めて「芳賀邸はがやしき」と呼ばれています。


 まるで子供の頃に遊んだ人形の玩具のお家の様にも見えます。昭和初期に建てられたとはいえ、内装リフォームを繰り返したことにより、現行の新築住宅と同じ設備が整っていると思います。


 幼い頃は経年劣化による隙間風に吹かれて、四六時中しろくじちゅう冷え冷えした思いをしていましたが、床暖房が設備されたことにより、足下が暖かくなったのは本当に有り難いです。リフォームを検討した母に感謝ですね……。


「さてと、私は今から朝ご飯を作ります。眞喜亜ちゃんは日課のランニングしてきなさい」


「はい、古内さんお願いします」


 寝巻きからランニングウェアに着替えると自宅から外出していつものように広瀬川ひろせがわ沿いの道路を朝ランニングします。


 朝の新鮮な空気が清々しくて目が冴えて心が晴々としていきます。河川敷かせんじきでラジオ体操をしているお爺さん、お婆さん達が私に手を振っていました。


「眞喜亜ちゃーん、おはよーう!」


「おはようございまーす!」


 私は母の指導で運動不足予防のために毎朝ランニングをすることを決められています。


 高校生の頃からランニングを始めて、運動が苦手な私は当初「ヒィヒィ」と声を上げて脇腹を抑えながら苦しい思いをしていましたが、今は日課にしてきた甲斐かいあって、5km、10kmと着々と距離を伸ばせるくらいまで走れるようになったと思います。


 連日のように一人で広瀬川沿いを走っていると時々一緒に走ってくれた友人のことを思い出して、ふと寂しい想いにさせられます。


『頑張って眞喜亜ちゃん。私も頑張るから!』


 あの頃、連日ヘトヘトになって心が折れそうになっていた私を黒髪の九里香は汗を流しながら何度も励ましてくれました。


「今年も来てくれるといいなあ」なんて、私は呟いてみます。


 気持ちの良い汗を流して、手持ちの水筒で水分補給しながら帰路につきます。


 芳賀邸は前庭と裏庭に分かれていて洋風の邸宅ではありますが、祖父の趣味で裏庭は趣のある和風庭園になっていて黒松や山茶花さざんか椿つぼきが植えられています。


 裏庭を経由して家に入ろうと思い、息を整えながらがきの側を歩いていると、裏庭の入り口の枝折戸えだおりどのところに自宅の様子を遠目で眺めている金髪の天使の姿をした一人の女性がいることに気付きます。


「あら、九里香」


「わっ!?」


 私の声に心底驚いた様子でした。


「なんだ、眞喜亜ちゃんかー……眞喜子さんかと思ってびっくりしちゃったよ」


「お母さんはまだ寝てるみたいだよ」


 九里香が心底ホッとしたように胸を撫で下ろすので、私はくすくすと微笑みました。


「ここじゃなんだし、中入ろうよ」


「うん……」


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