第22話 心の綻び

 日の曜日に王子がいらっしゃると告げると、お母様は大騒ぎを始めた。

 掃除はもちろん、インテリアの装飾から食事までなんだか気の毒なくらい大変そうだった。

 でもアイリーンとわたくしは日の曜日のランチは草原でピクニックにしようと決めていたので、お母様には申し訳なかった。それを告げるとお母様は一瞬悲しそうに見えたけれど、その分、ディナーで張り切るのだとどこかに消えてしまった。

 侍女に指示を出す声だけが家のどこかから響いている。


 ピクニックを提案してくれたのはアイリーンだ。土の曜日にわたくしは相当浮かない顔をして帰ったらしく、話を聞いてくれた。

 わたくしはだいぶ話を端折ってダイジェストで伝えた。

 レオンという騎士と知り合ったこと。

 王宮の伝説とも言えるリアム様と知り合ったこと。

 そして、なによりヴィンセントの心が離れていってしまっているような気がして、それを思うと気が沈むのだと話した。


 と、そんな行き詰まった時こそ広い空の下に出られてはいかがでしょうか、という提案をアイリーンはくれた。そう、確かにわたしたちはしあわせだからと言って相手と過ごす時間を疎かにしていたのだわ、とわたくしは反省した。

 そう、初恋の相手が皇太子殿下でもわたくしには婚約するだけの身分がある。それだけでも幸運! お父様はきっとすごく苦労したに違いないだろうし。

 しあわせな花嫁に、わたしはなるのだわ。


 日の曜日はあいにくの薄曇りで、空は白と言うよりグレーだった。

 それでもキルトを敷いてヴィンセントと座ると、子供の頃を思い出してなんだか楽しい気持ちになった。

 護衛に来ていたレオンは馬を繋ぐと、離れた木陰に佇んでいた。


 子供の頃といってもヴィンセントはもう皇太子殿下であらせられたから、そうそうすきに遊べるわけではなかった。

 それでも王殿下とお父様の計らいで、ヴィンセントはわたくしの家に度々やってきてくれた。

 お小さい時は馬車で。

 大きくおなりになってからは馬に乗って。

 ヴィンセントの来る日の曜日がどんなに待ち遠しかったことか!

 うきうきして眠れない夜も年頃になると増えてきた。


「野趣あふれるもてなしだね」

「お嫌いでしたか?」

「いや、子供の頃を思い出すね」

 そう言ったままヴィンセントは遠くの空をじっと眺めて黙ってしまった。


「この間のパーティーでは互いにいろいろなパートナーと踊ったね」

「ええ、言葉を交わしたことのない方もいらっしゃいました」

「……」

 そのまま彼はまた黙ってしまう。

 わたくしは手持ち無沙汰になり、手元にあった草花を弄んだ。

「花冠を覚えている?」

「もちろんですわ!」

「……僕はあの時、かわいらしいきみを妃殿下にしたいと思ったんだが……。あんなに小さい時に運命の相手を決められるだろうか?」

 手元の草花を見ていたわたくしは前を見ることができなくなってしまった。

「きみはあの時と同じく……いや、年齢を増すごとに美しくなっていく。手が届かなくなるんじゃないかとやきもきすることもある。きみを手に入れることが僕の人生を豊かにすることはわかっているのだけど。……毎朝、僕の部屋の前に真っ白い薔薇を一輪、置いていくひとがいるんだ」


 ああ、それは。


 それ以上なにも聞くことはない。意中の男性を早くに決めて、毎夜、寝る前にその方の部屋の前に白い薔薇を置く。手間がかかるけれど、その方との親密度のパラメーターがある程度上がっていればこれ以上に相手の気を引く効果のある方法はない。


 ミサキはヴィンセントに的を絞って、本格的に攻略を始めたんだ……。

 彼女の緋色の燃えるようなドレスが目の前に見えるような気がした。

「皇太子殿下の思われるままに」

 それだけをやっと言うと、わたくしはアイリーンの元へと走り、異変を感じたアイリーンはわたくしを屋敷に連れ帰った。


「殿下がお夕食も食べずに帰られるなんて! エルメラ、あなた、どんな粗相をしたの!?」

 お母様の追求は無口なお父様が口を挟むまで続いた。お父様はなにも言わず、気の毒そうにわたくしを見た。

 豊かな髪をブラッシングしてもらう。こんなに量があるのは余りあると言うのではないかしら、とどうでもいいことを考える。ツバキの枝で作られた重いブラシを置くと、夜着のわたしにアイリーンは向き直った。


「皇太子殿下は心変わりなさったのですか?」

「たぶん」

 アイリーンはなにも言わずにわたくしを抱きしめた。でも自業自得だ。

 自分が『ミサキ』ではなく『エルメラ』になったからといって、何人もの男性との出会いに心震わせていたのは確かなのだから。ヴィンセントだってほかの女性に目が向くことだろう。

「綻びは直すこともできましてよ」

 そうね、と答えたけれどこのゲームのシステムを知っているわたくしには絶望的に思えた。

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