僕は君だけを思う 後編

 少し強めの風が吹いた日、君は風の中でたなびいたひとつの言葉を口にした。それに頷くように、僕も、君と同じように「愛してる……」そう返した。


 でも、君は思い出さない。思い出せない。

 それがとてもつらかった。


 いっそもう、忘れてしまおうか……。

 言葉ではプロポーズしたけど、君に渡せていなかった指輪。その指輪を、君が事故に遭った日に君に渡そうと思っていた。

 君もそれを楽しみにしていた。それは今も渡せずにポケットに入っている。

 でも、君は思い出さない。過去の幻影を……僕以外の人を見てる。

 それを見てるのがつらい。……つらかった。

 だから。


「香澄、君に僕から最後のプレゼント」

「は? 最後の、ってどういう意味?」

「もうじき退院できそうなんでしょ? だから、そのお祝い、かな。今までたくさん持って来たし、もう持って来ない、って意味で」

「退院祝いなら最後とか言わないでよ。変な尚人。ねえ、今すぐ開けていい?」

「いいけど、って、もう開けてるし」

「うわあ、お菓子がたくさん!」


 目をキラキラさせながら、大きな袋に入ったお菓子を漁る。


「いただきます!」

「この場で全部食べないでよ?」

「何でよ?」

「今はほとんど動いていないんだし……太るよ?」

「うっ……」


 だから、退院してからにしなよ。

 そう言うと、君はお菓子を袋に戻してぷうっ、と頬を膨らませた。それが凄く可愛くて……でも、それを見るのがつらくて、そっと君から視線を逸らせた。


 君に渡したお祝いは、君に渡すはずの指輪だった。指輪と、君が好きそうなお菓子も一緒に袋に入れて。もちろん、指輪は袋の底のほう。

 君は指輪の存在にいつ気づくだろうか。


 毎日欠かさずお見舞いに行っていた僕は、そのプレゼントを最後にお見舞いに行くのを止めた。君にも会わなかった。

 仕事が忙しくなったのもあったけど。

 でも、本当は君に会いたかった。会って、将来のことや他愛もない話をしたかった。けれど記憶のない君に会ってもそんな話をしても、きっと君は戸惑うだけだと思うから。


 君に会わなくなって数ヶ月。全てが嘘のように、嘘だったかのように君を取り巻いていた環境が、いいほうへと変わってゆく。何がきっかけだったのかはわからないけど、少しずつ記憶を取り戻していると、君のお母さんに聞いた。

 僕はそれが嬉しい。嬉しいけど寂しい。


 今夜君だけに誓うよ。もう、二度と君を離さないと。


 そう言えたら、どんなによかっただろう。

 でも、君の記憶は、僕のプロポーズを、僕とのデートを思い出すことはなかった。僕との、楽しい記憶だけを。


 君に会わなくなって半年。僕の心は君を想って切なくなる。

 そんなある日、友人から「香澄に好きなヤツがいるらしい」と聞いた。それに瞠目した。

 今すぐ君のところに飛んで行って、僕がいるのにって問い詰めたかった。

 でも、出来なかった。

 記憶のない君にとって、僕は恋人でもなんでもなかったから。

 本当は多少、期待していたのだ。指輪を見た君が、僕との思い出を思い出すんじゃないかと。

 既に半年たったからお菓子なんて残ってないはずだし、指輪を見て記憶を取り戻したなら、君は何か言ってくる……そう思っていた。でも、この半年、君は何も言ってこなかった。


 君の記憶は戻らない。だから諦めろ。


 そう言われているようでつらかった。でも。


「潮時、なのかな……」

「何が潮時なの?」


 自嘲気味に呟いた声に返事が返された。驚いて振り向くと、両手に腰を当て、リスのように頬を膨らませて怒っている君がいた。


「香澄……」

「尚人ってば、ちっとも私のところに来ないんだもん」

「……は?」


 意味がわからないことを呟いて、夕焼けの川っぺりの土手に座っていた僕の隣にどっかり座ったことに驚いて、君の顔をまじまじと見る。


「だから、尚人を待ってたの! 最後のプレゼントって何よ! これが最後のプレゼントだなんて、私にどうしろってのよ!」


 そう言って君は、左手を僕に見せた。薬指には、僕が渡した指輪が嵌まっていた。


「香澄……?」

「……全部、思い出したから! 尚人の告白も、プ、プロポーズも! この指輪を見て思い出したから!」

「え……?」

「といっても、思い出したのは一昨日の夜だったんだけど……」

「はあ? 一昨日……!?」

「いや、だって、尚人からもらったお菓子さ、賞味期限とか大丈夫だったから大事に食べてたんだもん。でもって、ビロードの箱に気付いたの、一昨日の夜だったんだもん。昨日は熱だして寝てたし、尚人に思い出したよって言いたかったのに、熱のせいでメールも電話もできなかったから……。私に好きな人ができたって話を聞いたら飛んで来るかと思って、思い出した時に良くんに話して協力してもらったのに、尚人ったら全っ然飛んで来ないんだもん。……今日、散々探しちゃったよ」

「……」


 久しぶりに君の声を聞いた。心の底に圧し殺していた、本当の声を。

 いつもは言わない、その言葉を。


 ……僕の悩んだ時間はなんだったんだ?


 そう思っていたら。


「……ごめん、嘘だよ。尚人、今まで待たせてごめん。私の好きな人は尚人だよ? 記憶を無くしていた時のことも覚えてるよ。毎日、お見舞いに来てくれてありがと。嬉しかったし、尚人が来なくなって寂しかった。記憶を無くしても、また尚人を好きになってたんだよ? それに、尚人にずっと会えなくて、つらくて、哀しくて……。だから、誰かに取られる前に、会いに来ちゃった!」


 告白するのって、いろんな意味で恥ずかしいー! と、顔を真っ赤に染めて照れる君が、手をうちわがわりにしながら顔を扇いでいる。それに愛しさが込み上げる。



 だから僕は、頑張った君に愛しさを込めてそっとキスをした。


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