第18話 プレゼント


 「それにしてもNIFすごかったよなー」

長田がコーラのペットボトルを閉めながら言う。


 NIFから十日。璃奈と長田と志田と俺の四人でゲームをした日から一週間くらいが過ぎた。


 俺は、古文の宿題を終わらせた。長田はまだ終わっていないようだが、志田は昨日会った時にもう終わったと言っていた。夏休みももう残すところあと半分というところに迫っているし、コンビニの前の花壇には一本だけコスモスが立っていた。


 そんなに時間がたったのに、長田の熱はまだ冷めていなかった。というよりも、再燃していた。


 長田がそのくらい熱狂的なファンであるというのもその原因の一つだが、原因はそれだけではない。


 昨日の夜、FLY公式アカウントが

「明日の午後七時に配信で重大発表をします。ぜひ視聴ください」

という告知をしたのだ。

 「新曲だ!」

と俺たち三人は盛り上がり、こうして長田の家まで俺は来ているのだ。


 ちなみになぜ長田の家かというと、俺の家よりもインターネットの回線が良いからというただそれだけの理由だ。

 俺たち三人が、志田の家に行くのは男子高校生としてやってはいけないことのような気がするし、配信を見るには少しでも回線がいい方がいいから、誰も何を言わずとも申し合わせたかのようにこういう集合になるのだ。


 「新曲って、NIFでやった曲だけか?」

「シングルだとしても後一曲くらいは新曲入ってるだろ」

「そうだよな。なんか璃奈ちゃんから聞いてないの?」

「普通、知ってても言わないだろ」

「まあそうだよな」

「そのそうだよなってのなんだ?流行ってんのか?」

 今日の長田は、そうだよなと言いすぎている気もするし、これまでこいつがそうだよななんて言っているのを聞いた覚えがない。まあそれはそもそもこいつの話を真面目に聞いていないのが原因だとは思うが。


 「昨日見たアニメでヒロインが言ってた」

「なるへそ」

 昨日、蚊に刺されたへその辺りが痒い。

「へそとか言いながら、へそ掻くなよな」

「おう」

「てか志田こないのか?」

「友達と出かけるから、遅れるかもって言ってたな」

「じゃあ、格ゲーの特訓でもするか」

 結果から言うと、志田は配信に間に合った。


 いつだったか、コンビニからうんこが出そうな時よりも全力疾走した俺みたいな感じでぎりぎりだったわけではなく、いつもと同じに俺と長田がコンビニでお使いを頼んでも余裕があるような間に合い方だった。

 

 「長田くん。英語の宿題できた?」

「いや、まだやってない」

「北山くんは?」

「やったんだけど、最後の長文がよくわからんかったな」

「そこ聞きたかったのにー」

「あれを理解しろってのは無理があるだろ」

 志田が俺に向けていた視線が、希望から失望に変わる。受けもしないし受かりもしない国立大の問題が分からないだけで、望みをなくすのはやめていただきたい。もっと言えば、望みを持つのもやめていただきたい。


 「そんなに難しいのか?」

「長田くんもやってみればわかるよ」

「へいへい」

 特訓の証を志田に見られないように後ろ手でベッドの下に押し込みながら、長田が答える。


 時刻は午後六時半。

 時間はまだまだある。

 「俺、今のうちに風呂入ってくるわ」

長田が立ち上がる。

「おう。」

「わかった」

「二人でおっぱじめたりするなよ」

とにやりと笑う。


 下ネタというのは、何かしらの反応があるから面白い。恥ずかしがったり、否定したり、さらに乗っかったり反応の仕方はいろいろある。その反応さえあれば、言った側が「受けた」と思うのが、下ネタだ。逆に言えば、反応のない下ネタはドン滑りなのだ。


「……」

「……」

 何だか恥ずかしそうに少しクネクネしながら、長田は出て行った。

 俺と志田は、無言で歓声を上げた。


 「北山くんは、シングルどのくらい売れると思う?」

「NIFのやつが表題曲なら、十万枚くらいいくかもな。秋田だし」

「だよねー」

 メガネをクイッとやりながら、志田が相槌を打つ。


 今日は友達と出かけていたというから、この丸いメガネはおしゃれなのだろう。結局は顔がいいからか良く似合っている。


 「そのメガネ似合ってるな」

と長田なら言ってやりそうなものだが、いくら友人でも女の子にそんなことを言う勇気藻甲斐性も俺にはない。


 「そういや、長田に璃奈のことずっと黙ってくれてありがとな」

「いきなりどうしたの?」

目鼻口顔のすべてを使って「?」という顔をしながら志田が首をかしげる。表情筋の豊かさからして、志田は弥生人よりも縄文人の血が濃さそうだ。


「いや、お礼言ってなかったと思って」

「気にしないでよ」

「璃奈ちゃんのためだもん」

「ありがとな」

「そういえば璃奈ちゃん昨日うちに来たよ」

「また、格ゲーやったのか?」

「うん。もちろん格ゲーだけやってたわけじゃないけど」

 この様子だと、俺と長田の秘密の特訓は意味がなさそうだ。


 それにしても、二人が仲がいいことは俺も知っていたが、そんなに頻繁に会っているとは思わなかった。

「配信って七時だったよね?」

「うん」

 ピンピンピンピンピンピンと六コンボを響かせながら、答える。

「もう一分前だよ」

「マジか」

と返事をした瞬間、真っ暗だったディスプレイが着き、配信が始まった。


 しばらくお待ちくださいとテロップが流れているだけだが、もうすぐ始まるはずだ。

 そして長田は、まだ戻ってこない。


 「北山くん呼びに行った方がよくない?」

「呼びに行ってる間に、始まったら俺見れないじゃん」

「うわぁー自己中。すごい共感できるけど」

「だろ」

 そして長田は配信に遅れた。


 「シングル発売決定!」というテロップが出て、メンバー各々のコメントが流れる前にはぎりぎり間に合ったからか、特に何も言わずに長田は定位置に座った。

 

 結果から言えば、俺たちの予想は的中した。

 新シングルの表題曲はNIFでパフォーマンスした「changing history」でその他に三曲の新曲がカップリング曲としてシングルに収録されると発表され、その三曲と表題曲のchanging historyは公式サイトでミュージックビデオも公開するとのことだった。

 そしてめでたいことに、このシングルでFLYとしてのメジャーデビューが決まった。


 

 「璃奈ちゃんの好きなものってなんだ?」

「知らんなラーメンとか?」

「北山くん妹なのに何も知らないんだね」

志田がまるで自分が何か文句を言われたかのようにそっぽを向きながら言う。

「妹に何が好きか聞いたりしないだろ普通」

「お前、あんな可愛い妹がいるのにもっとコミュニケーション取れよ」

「高校生にもなってそんなにベタベタしてる兄妹なんていないっての」

「俺一人っ子だからマジうらやましいよ」

 長田が天を仰ぐ。

 とは言っても、本当に天を見ているわけではない。


 もし、こいつに鉄筋コンクリートやら何やらを透視できるような力があれば話は変わるが、そんなものを持っているとは到底思わないから、恐らく限りなく百パーセントに近い確率で俺の考えは正しいはずだ。


 長田が見ているのは、無機質な天井かそこから下がる蛍光灯か。もし透視能力を持っていたとしてもこいつが見るのは、女子の下着の中身くらいだろう。


 俺たちは、長田の家からバスで三十分ほどの東久留米のイオンに来ていた。

 ここに来たのは久しぶりだが、来てみると実感するのが、交通の便が悪いことだ。せっかく周りに電車が通っているのに、どの駅からも程よく遠く、歩いていこうと思える距離ではない。


 「とりあえずこの辺見てみようよ」

志田が案内図の前で、アパレルショップのエリアを指さす。


「おういいねー俺が選んだ服を璃奈ちゃんが着るって考えると」

 長田が目を閉じる。妄想の世界へのフルダイブがこいつの趣味だ。

「長田くんホントキモい」

「それなー」

 俺たちは、璃奈にメジャーデビューのお祝いを買ってあげるためにここに来たのだ。そんな時に下賤な自分の欲望はもしあったとしても心の中にしまっておくべきだと俺は思う。


 「ココとか璃奈ちゃん好きそうじゃない?」

と志田がブルーと英語で書かれた店の前で止まる。

 「お前の服じゃなくて、璃奈ちゃんのだろ」

「うん」

「大人っぽ過ぎないか?」

確かに長田が言うのも一理ある。店の中には無駄にオーガニックにこだわってそうな女子大生が好きそうな何だかくすんだ色の半袖だか長袖だかよくわからないような長さの服ばかりだ。


 そして、青い服はどこにもない。

 「それは、アイドルの時のイメージでしょ」

「最近、璃奈ちゃんはもう高校生になったから大人っぽく見える服着たいってずっと言ってるの」

「大人っぽい?璃奈ちゃんが?」

長田が頭を抱える。


 足を組めば「考える人」だ。


 俺もそんな話は何回か聞いてことがあったので、頭を抱えている長田はほったらかしにして、志田の後に続く。


 志田がいろいろ悩んで、Gパンみたいな生地のワンピースとつなぎを合体させたような服を買って外に出るまで、俺は世界的人気を誇る某RPGのように、ずっとついて回りながら志田の意見を聞いてどんなものがいいのか考えていた。



 それが何分くらいかかったのかわからないが、俺と志田が店から出てきたとき、長田はまだ頭を抱えていると思ったのだが、そうではなかった。


 スマホで色々調べたり聞いてみたりしていたらしく、その結果長田はアクセサリーで、志田の意見を参考にというかほとんど丸呑みした俺はお菓子に決めた。

 無難というか、王道というか全く新鮮味のないチョイスだと自分でも思うが、仕方ない。長田は知らんが、俺には経験値がないのだ。


 そうして長田は、三階にある店内がピンク色でスポイトみたいな名前の店でアンクレットだかブレスレットだかを選んだ。


 俺はこんな男子禁制みたいなオーラを出しまくってる店は入れないと思って外で待っていたし、志田は一緒に行ったら色々文句を言って自分が決めてしまいそう打という理由で待っていた。そんな中一人で店に入って買い物を済ませた長田の精神力はすごいかもしれない。


 一階に降りて、色々とドーナツやら菓子パンやらクッキーやらを買って俺たちは帰路に着いた。


二人とも出来るなら直接渡したいとのことだ。


 しかし、二人が電話してみたらしいが、今のところ璃奈とは連絡がついていない。

夏休みとはいえ、平日だからスタッフやメンバーとご飯に行ったりはしないだろうと考えた俺たちは、璃奈が帰ってくるまでとりあえず待ってみるという長田の意見に賛成し、俺たちは途中のコンビニでコーラやらポテチやらを買って、俺の家に向かった。



「ただいまー」

「「お邪魔しまーす」」

 「人には「早く帰って来てくれ」とかラインしてきたくせに、遅いじゃん」

玄関を開けたと同時に璃奈にそんなことを言われる。


 「俺たちはメジャーデビューのお祝いを買いに行ってたんだよ」

「お祝い?」

 物凄い反応速度。

 現金な奴め。


「とりあえず部屋行こう」

「うぉ!近親なんてけしからん」

「長田くんホントキモい」

志田が長田のことを道端に落ちていた犬のクソを見たときよりも冷めた目で見ているが、話はよく聞こえない。


 だが、長田が何か変なことを言ったんだろうということは想像がついた。


 「とりあえずカンパーイ」

長田の音頭で俺たちはコーラのコップをぶつける。


 乾杯というのは本来は飲み干すことを指すらしいから、俺たちも含め日本中の人たちが乾杯だと思っているものは乾杯じゃないのかもしれない。


 ちなみにパラオでは、戦時中に日本が統治した影響でいろんなところに日本語が残っていて、乾杯のことを衝突と言うらしい。


 乾杯を何をどうするのかという動詞として考えると、パラオ式の方が正しい気もするが、めでたい時にそんな物騒な言葉は似合わないのかもしれない。

 乾杯について俺があれやこれやと考えているうちに、プレゼントのお渡し会はどんどん進んでいた。


 「中学の時の体育着」というダサい次元を通り越して、もはやサービスか疑いたくなるような恰好をしていた璃奈は、志田が選んだつなぎみたいなワンピースみたいなのを着ているし、腕には長田が選んだブレスレットだかアンクレットだかが巻かれている。


 「ねえ、お兄ちゃんは何買ったの?」

俺の前にある二人の物とは大きさも量も桁違いな包みを指さす。

「これな、好きに食べていいぞ」

「やったー」

と袋を開けて、固まる。


 「こんなのこんな時間から食べれないよー」

と言って袋ごと冷蔵庫に入れに行ってしまった。


 今この場で全部食べてほしいなんて思わないが、全く食べないというのは悲しいものだ。



 ああ悲しいかな。

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